kaiunmanzoku's bold audible sighs

Be love Be peace Be harmony Be compassion Be joy

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.

南朝皇統デマ 1457年12月以降、南朝の皇統を継ぐ血統は史実上絶えている

長禄元(1457)年12月の「長禄の変」以降、南朝の皇統を継ぐ血統の行方は、現存する史実では未確認状態です(2017年3月8日17時現在)。

 

未だに動画サイト等で、南朝の皇統を継ぐ人物が幕末に存在したということを紹介しているものが見受けられ、巷間に流布するデマの信者が絶えないようです。

しかし、そのいずれも根拠が乏しいものばかりです。

先に一度、私のブログに書いたのですが、誰も見てくれていないようなので、もう一度多少は読者の多いこのブログに書き直しておきたいと思います。

先のブログはこちら:

南朝の皇統を継ぐ人物が幕末に存在したということを紹介している動画サイト等について - kaiunmanzokuのざれごと、たわごと、綺麗事

 


「長禄の変」以降の南朝の血統の行方は現在に至るまで不明であり、新しい史料の発見がない以上、南朝皇統の血統は絶えたと判断するしかありません。


その「長禄の変」を記す最後の信用できる史料(上月記、赤松記)が記していることに着目していただきたいと思います。

f:id:kaiunmanzoku:20150614141104j:plain


上の画像は、現代史の一人者である秦郁彦先生の「昭和史の謎を追う熊沢天皇始末記の一節からスキャンした画像です。
南朝の血統の行方を記す最後の信用できる史料が記す「長禄の変」について説明がなされています。

田中義成博士「南北朝時代史」の長禄の変の項に、室町時代の長禄元年12月2日(1457年12月27日)に赤松満祐の遺臣らが謀略をもって後南朝の行宮を襲い、南朝の皇胤である一宮(自天王)と二宮(忠義王)の兄弟を討って、神璽を奪って朝廷に還した旨の記述が「吉野の山奥に尚南朝の皇子二人御座し・・・・・共に御名並びに御系統を審らかにせず・・・」とあります。この上月記、赤松記を紹介して、これ以上の史料がまだ発見されておらず、今後も期待が出来そうもないと論じられています。

特に共に御名並びに御系統を審らかにせず」には後南朝系の記録が徹底的に抹殺破壊されたことも含まれる表現であることにご留意いただきたいのです。

自天王」・「忠義王」が本名でないことも、この表現でお分かりいただけると思います。本文には「一宮」「二宮」とだけ記されているのです。そんな痛ましい限りの(後南朝系の記録が徹底的に抹殺破壊された)状況が上月記、赤松記に記されている共に御名並びに御系統を審らかにせず」なのです。

 

正統な歴史に史料を以って異議を唱えるのは学問の自由でよろしいが、インターネット上で真実であるかのようにデマを広げて貰っては困るのです。根拠を示す史料がない場合は、自分の意見であることを示すか、創作や空想、仮説の類であることが分かるよう明記するべきと思います。

 

余談ですが、足利尊氏を悪玉に楠木正成を善玉にする南朝正義説ともいえる南朝イデオロギーのバックボーンは意外にも水戸光圀楠木正成礼賛に元を置く歴史が浅いものです。

少し考えてみて下さい。

北朝は、持明院統後嵯峨天皇(88代)の長子である後深草天皇(89代)に始まります。一方、南朝大覚寺統後嵯峨天皇次子である亀山天皇(90代)が始祖です。

明治憲法以降の皇室典範は明確に長子相続を規定しています。この論理で言えば皇位継承の正当性は北朝にあると言えるではないでしょうか。後醍醐天皇大覚寺統であり傍流出身のために治天の地位に就く権利が否定され、子孫への皇位継承が出来ない天皇であったことも忘れられがちです。

この問題は、章を改めて述べる機会があればそうしたいと思います。

幕末維新の南朝イデオロギー水戸光圀が生み出し、山形有朋が明治政権の基礎作りに用いたプロパガンダと考えても良いと思っています。

今後新しい史料の発見が報じられることなく、南朝の皇統が論じられることがあるようなら、それはデマゴーグであるとだけ言っておきます。

 

 

 

 

第0列島線 明朝の海防最前線 / 「海」とは「地(治)の果て」のこと 明朝の国境線は海岸線

「香港は中国の一部ではない」と主張する香港独立派には立派な歴史的文化圏的根拠がある。それは、歴代チャイナ政権が第0列島線を海外勢力との緩衝地帯として海防最前線として来ている事実がそれにあたる。

 

「国境や国民国家の一体感があまり意識されない時期」に「意識されない地域」を生きていた人たちが持っていた「東アジアの共同体」と言う概念は創作物であり、有害なプロパガンダである。

そのような幻想を持つ者達こそ「死守すべき国境線」なるものが、いつ、どのようにして決定されたのかについて少しは歴史的に吟味してみた方がよいだろう。

そして明代17世紀のチャイナにとって、尖閣列島の存する東シナ海や多くの環礁がある南シナ海において倭寇やスペインポルトガルと言った海洋勢力から「死守すべき国境線」は、第0列島線であった。

 

 

第0列島線は国境線ではない。海外勢力との緩衝地帯であり、海防最前線である。


明の国境線は海岸線までと大明一統志に明記されている。

大明一統志だけでなくその他の多くのチャイナ側の史料に記載されている通り、非海洋民族であった歴代のチャイナ政権にとって「陸の果て」が統治の限界だったのである。チャイナ人にとって文字通り「海」とは「界」と同義であり、文明地域に対する周辺の未開の地域との境界のことで、「陸の果て」「地の果て」「(中華文明の)治の果て」の意味である。東の地(治)の果てを「東海」と言い、南の地(治)の果てを「南海」と言うからこそ、中華文明の光や皇帝の威光は四海の手前まで及ぶわけだ。

f:id:kaiunmanzoku:20170307102316j:plain

 

さて、海防最前線のことだ。
明の海防最前線は「南は台山(現・台山列島)、礵山(現・四礵列島)、東湧(現・東引島)、烏坵(現・烏坵嶼)、彭湖(現・台湾の澎湖諸島)彭山(現:南彭列島)までと皇明実録に記載されている。
また、「此海外要地倭船多由此過」「これ海外の要地なり、倭船は多くここより過ぐ」と虔臺倭纂の絵図の東湧横に注記されている。 東引島は「海外」だった。

 

これを踏まえた明朝の第0列島線とは下記の図のようになる。

 ちなみに、現在でも、馬祖・金門は台湾の勢力下にあり、大陸政権下にはない。香港やマカオの独立運動には歴史的な意味があるのである。

f:id:kaiunmanzoku:20170307100337j:plain

 

2017年3月18日下記部分を付け加えた

「国境や国民国家の一体感があまり意識されない時期」に「意識されない地域」を生きていた人たちが持っていた「東アジアの共同体」と言う概念は創作物であり、有害なプロパガンダである。

そのような幻想を持つ者達こそ「死守すべき国境線」なるものが、いつ、どのようにして決定されたのかについて少しは歴史的に吟味してみた方がよいだろう。

そして明代17世紀のチャイナにとって、尖閣列島の存する東シナ海や多くの環礁がある南シナ海において倭寇やスペインポルトガルと言った海洋勢力から「死守すべき国境線」は、第0列島線であった。

第0列島線 福州を出ると間もなく清国の領域外であった 李鼎元 馬齒島歌

李鼎元の漢詩『馬齒島歌』に

「三十六島此門戸、絶類竿塘石虎五」

三十六島、此れぞ門戸なり、はなはだ類す竿塘と石虎五と

(読み下し文はいしゐ氏から)

慶良間諸島久米島という島々三十六島」は、琉球の門戸である。

清国の門戸である五虎門、馬祖列島と、他に類を見ないほど似ている

 その国境の目印としての役割出入国の出入口という意味の両方で他に類を見ないほどそっくりだということだ。

この国境の再発見は2015年の6月に発表された。発表したのは長崎純心大学准教授の石井望氏だ

f:id:kaiunmanzoku:20170305233443g:plain

 上の図は清の門戸、五虎門、東引、北竿、南竿、莒光の位置。

琉球の門戸「三十六島と 清の門戸「竿塘石虎五」とが両方提示されたということは、

その中間が存在しているということだ。

つまり清国の外交官である李鼎元が「いずれの王によっても統治されない領域」すなわち「無主地」の存在を認知していた証拠だ。もちろん中間の尖閣は無主地だ。

チャイナの主張は中間領域を認めていないが、それが誤りだと分かる。

f:id:kaiunmanzoku:20170305233503p:plain

上は久米島と粟国、渡名喜、座間味、渡嘉敷と並ぶ琉球の門戸の位置。

下は慶良間諸島Wikipediaから引用)船から見ると、馬歯のように見えたのであろう。

f:id:kaiunmanzoku:20170305233718p:plain

 

清の門戸を日本人向けの観光地図に位置を書き込んでみた。五虎門は観光地だ。閩江の河口の流れを使って出航するのに適した場所に五虎門ある。

f:id:kaiunmanzoku:20170305233538p:plain

下のGoogleの地図で見ると、五虎に例えられる島が、想像以上に大陸に近くにある。

当時は、そこを通り過ぎると、もう「門外国外)」であった。

f:id:kaiunmanzoku:20170305233758p:plain

 

以下の画像は いしゐのぞむ氏のホームページからのものだ。

詳細説明はこちらのホームページでご覧いただきたい。

senkaku.blog.jp

 

f:id:kaiunmanzoku:20170305233845j:plain

 

f:id:kaiunmanzoku:20170305233911j:plain

 

 

中国とは文明が栄え仏の教えが説かれている国。中華人民共和国や中華民国のことではない。

【中国とは元々はインド北部地域の事】

 

正真正銘の中國から 後漢に伝わった「仏説 四十二章経」 に「中國」が出現する。

 

仏説四十二章経 は、インドから一度さらに西域に伝わった仏教が安息国(イラン)や大月氏経由で後漢に伝わって、元(もと)の梵語から漢訳された初期の仏教典のひとつ。
後漢の皇帝が夢の中で金色に輝く「金人」を見て西方に仏がいることを知り、大月氏国(アフガニスタン北部)に使者を派遣して『四十二章経』を写させたと言う伝説がある。

下記の画像は 迦葉摩騰, 竺法蘭 訳[他] 国立国会図書館デジタルコレクションから。

国立国会図書館デジタルコレクション - 仏説四十二章経

 

「六根既に具えるも、中國に生るること難し」とある。

 

六根とは、五感と、それに加え第六感とも言える意識の根幹のことである。

つまり、六根とは 眼根(視覚)、 耳根(聴覚)、 鼻根(嗅覚)、 舌根(味覚)、 身根(触覚)、 意根(意識) のこと。


「それらが備わってい(六根清浄であっ)ても中国に生れることは難しい」の意味だ。

 

これはお釈迦様の言葉である。お釈迦様が中国と言っているのは、当然いまの中華人民共和国のことではない。釈迦が活躍したインド北部地方であり、仏教の教えが語り継がれるような文明地域のことだ。

f:id:kaiunmanzoku:20170301100622p:plain

f:id:kaiunmanzoku:20170301100619p:plain

 

ちなみに、「六根既に具えるも、中國に生るること難し」の前後を併せて書き記してみる。

 

佛の言わく、人悪道を離れて、人たること難し、

既に男たることを得るも、六根完具すること難し、

六根既に具えるも、中國に生るること難し、

既に中國に生るるも、佛世に値ふこと難し、

既に佛世に値ふも道者に遭ふこと難し、

既に道に遭ふことを得るも、信心を興すこと難し、

既に信心を興すも、無修無體なること難し

 

となる*

この世に生まれ出て、人として生まれる事や文明が栄え仏の教えが説かれている国中國)に生まれる事や、仏がまさに現世に出現して教えを説いている世の中に生まれ出ても、その悟りをに導いてくれる人(仏、道者)に出会う事、そして悟りを得ることのむつかしさを説いているお経の一節である。

 

このような中國の意味を知ってしまうと、現在の中華人民共和国やかっての中華民国を中國と呼ぶのを差し控えたくなるのは当然だと思っている。

願わくは、ダライ・ラマ法王猊下提唱の Middle Way が成就し、東ユーラシア大陸の巨大国家に仏の教えが広まり、本物の中國が実現し人々が救われる日が来たらんことを!

 

なぜ、戦後日本で支那を「中国」と呼ぶのか?》については、下記のブログを読んでほしい。

チャイナはチャイナ、現在では「中国」も「統一中華」も周辺諸国侵略のためのプロパガンダとして使用されている。チベットウイグル満州等は断じてチャイナではない。

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

支那を皇帝が自称していたことについては、こちらを参照下さい。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

 ⋆『四十二章経』の原文(漢文)とその意味を知りたい方のために簡単な解説

佛言。      仏様は仰られた。

人離悪道。得為人難。三悪道(地獄、餓鬼、畜生)から離れて人間に生まれるのは難しい

既得為人。去女即男難。人間となっても、男として生まれるのが難しい

既得為男。六根完具難。男となっても体や精神の機能に何も欠点なし(六根清浄)で生まれるのが難しい

六根既具。生中国難六根揃ってても、中国(文明が栄え仏の教えが説かれている国)に生まれるのが難しい

既生中国。値佛世難。中国に生まれても、ちょうど佛が世に居る時生まれるのは難しい

既値佛世。遇道者難。佛が世に居る時期に生まれても、善知識(道者)と遭遇するのが難しい

既得遇道。興信心難。道に遭遇しても、これを信じる事が難しい

既興信心。発菩提心難。佛道を信じるようになっても、自ら菩提心を起こして修行に入るのが難しい

既発菩提心。無修無証難。菩提心を起こしても、証得するまで出来るのが難しい

 

南蛮寺興廃記 即心即仏の奥義

「南蛮寺興廃記」


天正五年(1577年)のことだとされる。 キリスト教側は南蛮寺の学僧フルコム(ルイス・フロイス?)、その他のバテレン、イルマン達である。


仏教側は南禅寺の印長老(268世、梅印元冲?)の他、浄華院の理道和尚、永観堂の深海律師などの学僧達が出席した。


諸宗の僧侶が居並ぶとフルコムを論師として南蛮寺の学徒達が席に出てきた。 南蛮寺代表フルコムは蜀紅錦の衣を着し、二尺余りの長剣を帯びて、僧侶に向って進んだ。僧侶の方から南禅寺の印長老がこれに対し法論が始まった。


最初にフルコムが印長老に質問した、「仏法とは何であるか?」


印長老は答えて言った、「即心即仏」。


フルコムはまた尋ねた、「即心即仏の奥義は何であるか?」。 


印長老は重ねて云った、「即心即仏」。


その時、フルコムは座を立って、長老に近づいて胸をつかんだ。


彼は遂に剣を抜いて胸に突きつけて迫った、「即心即仏の奥義とは何であるか?」。


しかし、印長老は平然と眼を閉じて黙然としていた。


その時、側にいた浄華院(京都、浄土宗の寺)の理道和尚(理同和尚?)は、長老が眼を閉じて黙然としていたのを見て、印長老の負けだと誤解した。


そこで自分が代わろうとした。


しかし、印長老の弟子達は少しも騒がず、まだ事の落着は見えない。もう少しお待ち下さいと理道和尚を引き止めた。


その時、印長老は忽ち眼を開けて「カアーッ!」と大声一喝した。


フルコムは眼をふさいでたまらず卒倒(気絶)してしまった。


この安土城での法論は「南蛮寺興廃記」に記述されている。


画像は

 

南蛮寺興廃記 - 国立国会図書館デジタルコレクション

【南蛮寺興廃記】

 

f:id:kaiunmanzoku:20190301104643p:plain

永続的識別子 info:ndljp/pid/2541597 タイトル 南蛮寺興廃記 著者 雪窓, 宗崔 出版年月日 慶応4(1868)序 請求記号 198.21-N622 書誌ID(国立国会図書館オンラインへのリンク) 000003283624



尖閣諸島の領土・領空・領海と排他的経済水域に関する基本の「き」

尖閣諸島の領土・領空・領海と排他的経済水域に関する基本の「き」】

2010年9月7日以降、機会あるごとにあちらこちらで主張してきたことの要旨をまとめてみた。

日本領土である尖閣諸島に対する中共の主権侵害行為は実力をもって排除しなければならない!


主張の要旨:

1.尖閣諸島の領有権及び主権は日本に属する。

2.尖閣諸島の領有権及び主権の帰属に関して日中間に未解決の問題はない。

3.現時点で解決されるべき問題とは、日本領土である尖閣諸島に対する中共の主権侵害行為である。

  ①歴史や国際法を無視した主張、

  ②中共籍船舶や飛行機による領海や領空への侵犯、

  ③排他的経済水域での違法行為等

4.このような中共の主権侵害行為は「時間をかけ」対話で解決されるべきものではなく、直ちに中止するよう申し渡すべき性格の問題である。

5.主権侵害行為は実力をもって排除する。

6.中共が、上記に異存があるならば、中共は自ら国際司法の場に提訴する等の平和的解決の道を採るべきであって、徒に(3項で記したような)威圧を以って「尖閣史 五百年の歴史変更」を試みるべきではない。

                              ー以上ー

 

f:id:kaiunmanzoku:20131121205320j:plain

 

第0列島線 「籌海圖編」上半分の島嶼は全て明の海防能力の外側(海防管轄外)だったことを表す

f:id:kaiunmanzoku:20150409165724j:plain

画像は、東洋文庫 第4冊57頁 倭寇を偲ぶ烽火台(福州) 1927年4月撮影

 

2013年3月13日のFBへの投稿

いい しげる - いしゐのぞむ氏 尖閣研究報告... | Facebook

いしゐのぞむ氏 尖閣研究報告
籌海圖編(1562年)の沿海山渉圖(四書全書、台湾商務印書館)

長崎純心大学共同研究報告書「言葉と人間形成」の比較文化研究 

平成25年3月長崎純心大学較文化研究所 尖閣釣魚列島雑説七篇 
いしゐのぞむ氏(比較文化学科准教授)の報告書より複写

f:id:kaiunmanzoku:20130325194444j:plain

f:id:kaiunmanzoku:20130326102922j:plain

 

 


海防書「籌海圖編(ちゅうかいずへん)」内「沿海山沙圖(えんかい さんさず)」

その地図中の赤い点線部は明の領土の境界線赤丸部分は明の国外にある軍の駐屯地である。様々な島の名前が書き込まれているが、明の領土は海岸線まで。一部の島嶼こそ軍の駐屯地であったが、その他は明の領外であり、明の海軍の最大の敵である倭寇の根城と言ってよい。図に見える魚釣島大正島久場島と言う尖閣諸島は明國外の倭寇が攻めてくる経路として描かれている

 

 上半分の島嶼には駐屯地はない

 

     ⇅ 対照的

 

下半分には、「巡検」「水寨(とりで)」「烽堠(烽火を上げる物見台)」「」「」「」などの駐屯地が列記される

 

また、明朝の領土は海岸までと「大明一統志」などの地誌に明記されているので、上半分の島嶼は全て明朝の領土外であり、海防能力の外側(海防管轄外)にあることを示している。

 

 

第一列島線を脅かすことに余念のないチャイナだが、彼らが歴史戦を挑めば第0列島線の歴史的文化的意味を問わざるを得なくなる。


古来、東ユーラシアにできた王朝にとって「海」は「界」であった。
陸上勢力である彼らは長く「洋」を知らず、陸の果てをもって「界」とした。「海」がそれである。

したがって、歴代王朝は例外なく海岸線を国境とし、沿岸から数十キロ離れた島嶼ですら権力下に入れることは稀であった。

香港やマカオ厦門といった沿岸部においては、常に倭寇勢力と接し、大河の沿岸部は大陸の奥深くまで度々侵略支配を許していた。近代においては西洋列強が倭寇に代わったに過ぎない。
歴史上、東ユーラシア沿岸部は常に外部勢力との力の均衡点であったと言える。
そうであってみれば、江南人たちが歴史・文化をチャイナと異にするのは当然であり、彼らが「中国の一部ではない」と主張する充分な根拠となりえるのだ。

現在、香港やマカオ、あるいは越人の血を引くと考えるカントニアの概念を持った若者たちが独立運動を起こすのも至極当然のことであると言える。

 

参考図書

尖閣反駁マニュアル百題』いしゐのぞむ著 集広舎

第三部 史料百題指南 十四 「福建沿岸圖の下半分に海防陣 上のすみの尖閣に海防は及ぶか」 196頁参照

南鮮人の確証バイアス回路 一旦信じ込んだことを肯定する事象はすべて受け入れ、それに反することは考えても見ず、全く受け入れない

www.sankei.com

 

確証バイアスの典型例だ。確証バイアスが南鮮人の病として特徴的だと南鮮のマスコミがちょっと前に紹介していた。


記事に出てくる南鮮の学生は、慰安婦問題を論じる上での基本的な知識が無いにも拘らず、一旦信じ込んだことを肯定するための事象はすべて受け入れ、それに反することは全く受け入れない。
事実を見ても聞いても正しく思考する回路が働かない。完全に壊れた状態だ。以前にこの状態に陥っている南鮮人たちを、私は「事実を見ても現象を説明できる言語と思考回路を持っていない人々」と表現した。まさにそれだ。

 


ここでいう一旦信じたこととは、「日本は悪者である」。「老衰したおばあさんは正しいことを言っている」である。その固定観念の枠を出ることは甚だ困難だろう。情緒、特に脳幹に訴える怒りや恨みの感情と結びついた固定観念は、理性的な思考を拒否する朱子学の影響下に長くあった半島の人々は、それを好んで「恨」に化してしまう。

 

どういうことかというと、こう言うことであると考える。

情緒的「正義」が満足されることが「善」。自己肯定と同義。

情緒的「正義」が否定されることが「悪」。自己否定と同義。

社会的弱者が強者によって情緒的「正義」が否定されつつ生活せざるを得ない場ではあるが、そこになんとか例外的な自己肯定の場を持ち込もうと本能的な努力をする。それは精神的努力だ。だから、そこに「恨」が生まれ、「火病」が生まれる。

「社会矛盾で恒常的に抑えられた自己肯定欲求が、「反日」によって情緒的「正義」を満足させたくなる」と言い換えても良い。

そのような思考や行動を無理やりにでも解釈しようとすれば、そうなるのだろう。

そんな場合には、他者から見たら馬鹿げたことで信じられないのだが、一旦情緒で善や悪と判断して受け入れてしまったものを「そうではなかった」と修正できないらしいのだ。

 

付和雷同して大きな声で叫べば、それが「正義」になるというお国柄である。

先に述べた事が当たっていれば、民族的集団ヒステリーということになる。

日本と日本人に何でも原因を押し付けさえすれば(反日という場を与えれば)、後は民族に備え付けられた確証バイアス回路がその国を動かしてくれるという訳だ。


チャイナと北の赤色工作員にとって、こんなに操りやすい国と民族はないだろう。

f:id:kaiunmanzoku:20170228113324p:plain

第0列島線が歴代チャイナ政権の海防最前線だった(明の領域は海岸線まで)

古来、東ユーラシアにできた王朝にとって「海」は「界」であった。だからこそ、歴代王朝は例外なく海岸線を国境とし、沿岸から数十キロ離れた島嶼ですらその権力下に入れることは稀であった。

「香港は中国の一部ではない」と主張する香港独立派には立派な歴史的文化圏的根拠がある。

 

下記は、長崎純心大准教授石井望氏による「歐州史料 尖閣獺祭録 第八十二囘」だ。
明の領域は海岸線である。第0列島線こそが歴代チャイナ政権の海防最前線であった。

1595年編集 謝杰(しゃけつ)による「虔臺倭纂(けんだいわさん)」を見ると
東湧横に注記「此海外要地倭船多由此過」とある。
「これ海外の要地なり、倭船は多くここより過ぐ」と読み下す。


東湧とは現在の馬祖列島。馬祖列島の現在の位置を下の方に示しておく。

海外とは、境界の外だ。

Essay / Senkaku 「海」は「界」であった。 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

その東湧のすぐ横に注記があり、チャイナの界の外で重要な場所と書いてある。意味は、国境である海岸線を守るうえで重要ということである。つまり、これ此海外要地倭船多由此過明の海防の最前線が馬祖列島であることを示す文言だ。

 

画像は 八重山日報 平成28年11月3日 版 長崎純心大准教授石井望氏

による「鷗州史料 尖閣獺祭録 第八十二囘」から

f:id:kaiunmanzoku:20170226211011j:plain

f:id:kaiunmanzoku:20170226205036j:plain

 

今の地図で馬祖(東湧)と尖閣列島魚釣島)の位置を比べてみよう。

陸地からほど遠くない海域が、明朝の海防最前線であったことがお分かりいただける。

赤字で書いた此海外要地倭船多由此過「此」の上の小さな白い点が東湧(現在の東引島)だ。馬祖と書いた字の内側を倭船が多数通行していたと明朝の高級官吏が記録に書き示しているのだ。

 

f:id:kaiunmanzoku:20170227201253p:plain

 

東ユーラシア沿岸部は、中華を称する陸上勢力と日本や西洋の海上勢力との力の均衡点であったと言える。

第0列島線 (The Zero Island Chain)こそが、歴史的・文化的国境線だと言えるのだ。

そうであってみれば、第0列島線上にある香港やマカオが歴史・文化をチャイナと異にしている現実は「中国の一部ではない」と主張する充分な根拠となり得る。

第一列島線 を脅かす主張を憚らないチャイナ政府が「歴史戦」を日本に挑むなら、第0列島線もその戦場になると覚悟すべきだ。

祖国(国家への帰属意識)を持たない難民と祖国を持つチベット亡命政権

歴史や文化、慣習の土台に乗った秩序。普段は意識することの無い空気のように、家族、友人、地域を形作っている秩序。それこそが国家を形作り、それに参画している「国民」という意識を産む母体である。国家に対する帰属意識がそれだ。


国民国家には国家の柱になるコアがあり、歴史と文化がある。それが象徴されるのは、言語であったり、理念であったりするが、多くは国旗や国歌にそれが良く表されている。およそ国民国家の意識が成立している人々で構成される集団なら、コアになる元首や理想を表した国旗・国家がある。

 

例えばチベットも不当に中共に支配されてはいるが、立派な元首と国旗がある事は知られているだろう。彼らは明確に国家に対する参画・帰属意識がある。

 それどころか私に言わせれば、チベット亡命政府こそが立派な「国民国家」だ。

国土こそ不当に中共に支配されて奪われていても、核になる元首と国旗、なによりも国家に帰属意識を持つ「国民」がいる。亡命政府とは言えども、立派な国民国家が成り立つということの証明だ。


今日の難民社会を困難にしているのは、「難民たちに帰属意識を持たせる『祖国』がない」ということであろう。

現在行われている難民支援の主流は、衣食住や医療という生命維持を中心とする人道支援が中心である。これはこれで、最低限必要な支援として続けるべきだが、戦場や迫害から逃れられる周辺地域からさらに先進諸国へ避難民や移住民として移動をする人々に対する対策が必要だ。

とはいえ、その最大の問題は、国家に対する帰属意識を持っていない人々が多いということであり、困ったことに大多数がそうだという現実にある。

彼らは、自分たちが部族や宗教や利益を与えてくれているグループにそれぞれ帰属していると考えている。「〇〇部族」「○○派XX教徒」「政権支持派」「反政権派」等だ。

 

東ユーラシアには、これから大量に難民を生み出すかもしれない共産国家がいくつかある。そこにも国家に参画している、帰属していると心底思っている国民意識を持った人々は少ない。いるのは、「〇〇人民」、「XX族」や「党幹部」「都市住民」「農民」等だ。運が良ければ自ら考える「民衆」が誕生するが、党や軍に所属している人々にすら、殆ど国家に対する帰属意識などない。国家体制を拠り所に寄生して利をむさぼる人々であるか、彼らに寄生されて利を稼ぎ出す人々の差があるだけだ。


これらの国の人々は、主権者として国家に帰属しているという意識がないため、祖国を簡単に捨てるファシズムの支配する国々では特にそうだ。

 

彼らに、紛争が終わった、あるいは、危険が去ったからと言って、「『祖国』へ帰れ」と言ったところで、彼らが脱出してきた土地は、彼らにとって、彼らの『祖国』とは言い難い。政治的・精神的に帰属する国がないからだ。移住先の国が放置すれば、その国の社会保険制度、教育、職に寄生し、その国の歴史文化的価値観に溶け込めず、濁らせるだけの厄介者になりかねない。

それこそが今日の難民問題の本質だと思う。

国家への帰属意識なき難民には「教育」によって国造りを教え込む以外に方法はないということだ。国造り以上の愛国活動はなく、国への帰属意識を育てる土壌もまた人の心にしかない。難民対策の核心はそこにある。

 

その際、難民自身が主体となって行う国造り教育が望ましい事は言うまでもないだろう。

 

下記の章に書いた(1)~(3)の活動が参考になると思っている。

そのなかで「祖国」を作ることが難民対策だ。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kaiunmanzoku/20151114/20151114175931.jpg

 

 

半島から、職を求め戦火を避けて密入国した人々も同じ問題を抱えているだろうがここでは取り上げない。

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.