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文明の衝突と言うことを考える

FBへの投稿から

 

文明の衝突:右傾化ではなく自己発見だ】


この文明の衝突と言う世界観はいろいろな示唆を与えてくれますが、私が感じるのは文明圏のアイデンティティの問題です。


EUの域内(特にヨーロッパ域内)でのグローバル化文明の衝突が無いか軽いのに対し、(トルコを入れない)アラブ圏あるいはイスラム圏と言うくくりになると文明の衝突が避けられないという例示です。


経済のグローバル化は文明のグローバル化を直ちにはもたらさない。むしろ経済のグローバル化文明の衝突をもたらす。その現実を文明圏のアイデンティティの自覚に見るような気がします。


このことは、世界の右傾化ではなく自己発見が原因なのではないかと考えています。

打倒トランプ政権側に宣伝口実を与えるだけのパリ協定離脱宣言

パリ協定離脱宣言そのものの害悪


米国はバカではないので、温暖化防止の国際的枠組みにいつか戻るし、戻るまでの間にも民間努力は続けられるだろう。企業もイメージが大事だと十分知っている。

 

そして、温暖化が離脱宣言によって急激に促進される(と左翼は政治宣伝するだろうが、そんな)わけではない。


問題は打倒トランプ政権側に宣伝口実を与えるだけの政策を打ち出したトランプ政権の無能力ぶりである。こっちはウマ鹿かもしれない。

 

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米国のパリ協定離脱は、中共封じ込め戦略の頓挫

中共封じ込め戦略の一部頓挫】

トランプが主張している通り「パリ協定は中共に有利な取決め」であり中共は余剰生産設備を整理するだけでも協定の数字の一部を達成出来る立場にあります。

この協定の成立過程を振り返れば、協定に米中を巻き込むために世界中の国が妥協した事は誰にも明らかでしょう。もともと「パリ協定は中共(と米国)に有利な取決め」なのです。

そもそも米国がこの協定に参加したのは、中共の封じ込めのために米国が協定の中でリーダーシップをとって中共を締め付ける手段を持てる、そんな戦略も予定されていたとも言えるのです。

TPPに続いて、国際外交の舞台で米国のリーダーシップ発揮の場がまた一つ失われたというのが私の感想です。

 

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一般論として、どの外交の場でも同盟国である米国が、発言力や影響力を低下させ、中共やロシアの影響力が相対的に上がることは日本にとって大きな問題です。

尖閣危機時における国際世論の獲得

慰安婦靖国と言った中華プロパガンダ対応

・拉致・ミサイル・核問題で北朝鮮制裁に中共の圧力を求める時

北方領土交渉

中共にスパイ容疑で捉われている人々の救済

南シナ海の自由航行維持のための諸外国の協力

いずれの問題も米露中が国際社会に発信している情報が直接日本の政治に影響をもたらしているものです。

 

また、チベットウイグル南蒙古や中共国内の人権問題についての影響は大きなものがあるでしょう。なによりも台湾海峡危機や香港マカオ危機のような際には、米中の国際社会への発言力や影響力の変化が重大な事態を引き起こすことは間違いありません。

 

今回の米国のパリ協定離脱宣言は残念です。

南鮮は反日を放棄せよ。さもなくば亡国だ。

【今更踏み絵にはならないTHAAD】
反日の放棄だけが南鮮が独立国として存続する道

 

南鮮で大統領を選ぶ選挙戦が始まったという。

左派候補2人が立候補し、両候補は選挙後に中共からTHAADという「踏み絵」を迫られるかもしれないと報じられている。米軍の最新鋭迎撃システム「THAAD(高高度防衛ミサイル)」のことだ。

中国はTHAADの配備に反対し続けており、新大統領へは辛辣な報復も予想されるからだ。

www.zakzak.co.jp

 

しかし、私の思いは別にある。

今回の半島危機で、日米が最終的に北の毒牙を抜き北鮮が自由陣営と行かないまでも中共の走狗から独立した国になれば、北に統一してもらえば良いと思っているからだ。朝鮮半島など緩衝地帯として機能できれば国際社会は是認する。

 

そもそも、今回の半島危機は南鮮が呼び込んだものだ。


昨年の慰安婦合意をきっかけに生まれた反日機運が朴槿恵の弾劾へと繋がっていく中で、南鮮の民衆は、南鮮内の従北派と北鮮の独裁者、後ろで糸を引く中共に誤ったメッセージを送ったのだ。「あと一押しで半島を赤化できる」と。

 

バカな傀儡師は沖縄にいる工作員からも使嗾されたのであろう。
「日本人民と米軍を切り崩せば、日本人民は反米運動を盛り上げ米軍を追い出す」と。

 

かくして、北の若大将は「在日米軍基地周辺を核のターゲットにしたぞ」と4発日本海に打ち込んだのだ。

 

だから言う。今更THAADを踏み絵にする価値はないと。反日こそが中華プロパガンダなのだから。反日の放棄だけが南鮮が独立国として存続する最後の道なのは、もはや間違いないからだ。

 

 

天竺才や漢才や洋才も大和心を失わず世に用いるのが 大和魂

本稿は「教育勅語と大和心」としてブログにあげた文章です。当時は、森友学園の「愛国」教育が話題となっていて、その問題点を指摘する意図がありました。

モリカケ騒動が過去のものとなろうとしていますので、引き続き、大和魂や大和心についての説明の際にも参考としてもらえるよう、題名を変えました。

 

 

教育勅語と大和心】

 

「私は【教育勅語の内容は是】としながら、その精神を活かすために、そこに欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとした国家神道の影をできるだけ落とすことなく扱ってもらいたいと思っている」と以前FBに投稿した。

 

明治以降の神道というのは、欧米の一神教を過剰意識した体系として再構成され「国家神道」になった節がある。以前のものとは明らかに違っている。

したがって、いわゆる「國體」第一の国家神道によって、本来の「大和心」に欠けている「表象」があちらこちらに見受けられるためである。

 

簡単に言うと八百万の神々への尊重の念が少し欠けているのが「國體」第一の国家神道だと思っているからだ。

 

1889年の大日本帝国憲法発布以降に行われた勅令による宗教教育の禁止と共に「宗教ではない」国家神道は宗教を超越し政治・教育と一体化したといわれている。欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとした。その翌年の1890年に世に出たのが教育勅語だという認識を忘れてはならない。やまとごころを踏みにじる一連の出来事を。それを歴史的事実と共に考えることが重要だ。

 

その後始められた神社合祀では、43,000社の神社が取り潰されることになる。

狙われたのは、古事記日本書紀に出てこない八百万の神である。

この神社の統合整理で①敬神思想を弱める、②民の和融を妨げる、③地方を衰微する、④民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する、⑤愛国心を損なう、⑥土地の治安と利益に大害がある、⑦史跡と古伝を滅却する、⑧天然風景と天然記念物を亡滅する(南方熊楠の主張)結果となった。

もう一度南方の言葉を借りれば八百万の神々に対する「神狩り」が行われたのだ。「狩られたのは」主に出雲系の神々や土着の神々だ。

多数の日本古来の祭礼習俗が失われ、由緒と呼ばれる歴史の糸口も壊滅的打撃を受けた。日本古来の「大和心」や「大和魂」の一部が日本人の記録と記憶から消されたのだ。教育勅語の制定と普及というのはこの時期の話である。

 

「私は【教育勅語の内容は是】としながら、その精神を活かすために、そこに欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとした国家神道の影をできるだけ落とすことなく扱ってもらいたいと思っている」というのは、この歴史を意識しているからだ。

 

八百万の神々に対する敬神の姿勢を損なうことなく、また、皇室に対する尊崇も失うことなく、天竺才や漢才も洋才も大和心を失わず世に用いるのが大和魂だ。大和民族、日本人の個性、日本(人)を日本(人)たらしめるものは、そういう価値観を共有してきたことだ。仏教、律令四書五経、鉄砲、文明開化を思い起こして欲しい。

 

異なる意見を持つ人々に対する優しさや思いやり無くして大和魂はない。

 

海外の一神教にある匂い、自己肯定のための他者否定をなくす。そうしてこそ、八百万の神々と皇室を尊重できるのでははないか・・・と言い換えれば理解してもらえるだろうか。

 

皇室に対する尊崇と八百万の神々に対する敬神の姿勢、それが日本の歴史であり、将来に残すべき価値観だ。日本人の心、大和心だ。それを守ろうとする民族の心のエネルギーが大和魂と言ってよいと思う。

教育勅語を教えるのは良いことだが、たとえ事実であろうと幼児に中韓を非難させたり、英雄崇拝まがいのスローガンを叫ばせてはならない。

 まるで、共産国や南鮮の洗脳教育だ。やっていることが同じになってしまっている。

それは、断じて大和魂の教育ではない。

 

 

 

教育者たらんとする者こそ大和心から学び直すべきだ。

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敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花

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チャイナやコリアがいう「東海」は東の陸の果て、「南海」は南の陸の果てのこと

チャイナやコリアがいう「東海」は東の陸の果てのことで、「南海」は南の陸の果てのことだ。
海上勢力でない彼らにとって「海(カイ)」は境と言う意味の「界(カイ)」であり統治の及ぶ限界であった。中華思想文化圏の人々にとって文字通り「海」とは「界」と同義であり、文明地域に対する周辺の未開の地域との境界のことで、「陸の果て」「地の果て」「(中華文明の)治の果て」の意味である。東の地(治)の果てを「東海」と言い、南の地(治)の果てを「南海」と言うからこそ、中華文明の光や皇帝の威光は東西南北の四海の手前まで及ぶというわけだ。

 

そして「海外」とは、国の境の外という意味の「界外」であり、それは「洋」という漢字で表される。「海内」が四海の内(側)、国内という意味で用いられて「天下」という意味を持つのも中華皇帝の支配範囲が、地の続く限りで、地の果てまでであることを示している。


さて、「洋」だが、「洋」とは東洋、西洋と用いられるように外国のことである。
いまでも「洋行」と言えば国外に出る事だ。


「洋」と言う字には「羊」がいる。

羊を贄として沈め、海神に航海の無事を祈る儀式が行われていた。

実際に、冊封使を載せた船上から生きた猪や羊が生贄として海に投げ入れた記録がある。それは、「いずれの王も統治していない世界」、「文明の光の外の世界」に出たがゆえに、その世界(海の王国)の人外の王(海神)に敬意を表するためである。

つまり、「洋」とは、中華皇帝やその他の人間の王の支配の及ばないところ。あるいはその方角の国のことだ。

 

このように、尖閣に中華皇帝の統治は及ばず、日本海はコリアが主張する「東海」ではないという理由は漢字の成り立ちからでも自明である。地の果て、沿岸が「海」なのだ。

 

 

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馬琴は姑巴嶋を、超能力者である曚雲の千里眼の能力の及ばない遠島として椿説弓張月に描いた

椿説弓張月 曚雲の最後の場面


曚雲が慌てて風を起こし、雲を呼んで空中へ上ろうとするところを舜天丸は「姑巴嶋」で三社の神に祈念を込めた桃の枝で作った矢に義家と記した小金の札を取添え、弓を満月のように引き絞って放つと、どこかに鶴の鳴き声がして、その矢は流れる星のように、曚雲の咽喉を砕いて深く突き刺さったので、曚雲は地上に転げ落ち、為朝は宝剣をもって九度、刺し通し、遂にその首を切り落とすと、一天俄に掻き曇って、大雨が降りだした。

 

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 画像は下記より

椙山女学園大学デジタルライブラリー 椿説弓張月  前編六巻・後編六巻・續編六巻・拾遺六巻・残編六巻

http://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/dl/Yumihari/Zan/show.php?s=18&e=30&fn=zan4/019

 

ここに出てくる「姑巴嶋(こはしま)」だが、物語では、為朝、舜天丸、起平治の一行は、曚雲千里眼を怖れて姑巴嶋へ潜伏して、そこから琉球に向かうという筋立てだ。

この「姑巴嶋」、馬琴が物語の舞台としたのは尖閣諸島久場島でないと言い切れるだろうか。

ここに有力な証拠がある。

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画像は下記のサイトで見られる。画像の赤線と囲みはスクリーンショット後に描きいれたものだ。

椙山女学園大学デジタルライブラリー 椿説弓張月  前編六巻・後編六巻・續編六巻・拾遺六巻・残編六巻

http://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/dl/Yumihari/Zan/show.php?fn=zan1/018&s=7&e=18

為朝と寧王女(ねいわんにょ)が、佳奇呂麻(かけろま)の林太夫(りんたいふ)が操る船で、共に姑巴嶋へ向かうところを書き記したページだ。

 

船は、東馬歯山・西馬歯山(慶良間諸島)、姑米山(久米島)、度那奇(渡名喜島)、安根呢(粟国島)を抜けて、姑巴嶋へと向かっている。

文中には、神の導く快速の船で「数十里の海路」を半日ほどと書いてある。実際の尖閣諸島までは沖縄本島近くから四百数十キロなので「百数十里」となるが、注目していただきたいのはそこではない。

琉球の国外への門戸である東馬歯山・西馬歯山(慶良間諸島)、姑米山(久米島)、度那奇(渡名喜島)、安根呢(粟国島)を抜けて船が出ていっているという事実である。

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これは先にブログで書いたが、

三十六島此門戸、絶類竿塘石虎五」

「三十六島、此れぞ門戸なり、はなはだ類す竿塘と石虎五」と李鼎元が詠んだ島々そのものである。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

つまり、馬琴は姑巴嶋を、超能力者である曚雲の千里眼の能力の及ばない遠島として椿説弓張月に描いたのである。尖閣諸島久場島の可能性が充分ある。

 

下記はWikipediaから抜粋引用する。

椿説弓張月』(ちんせつ ゆみはりづき)は、曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本

文化4年(1807年)から同8年(1811年)にかけて刊行。全5篇。

鎮西八郎を称した源為朝の活躍を『保元物語』にほぼ忠実に描いた前篇・後篇と、琉球に渡った為朝が琉球王国を再建(為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったという伝説がある)するくだりを創作した続篇・拾遺・残篇からなる。日本史のなかでも悲劇の英雄の一人に数えられる源為朝に脚光をあて、その英雄流転譚を琉球王国建国にまつわる伝承にからめた後編は、そのスケールの大きさと展開力で好評を博した。

椿説弓張月 - Wikipedia

無中生有(むちゅうしょうゆう)は、三十六計の第七計。

呉の孫堅荊州劉表を攻めようと河南省鄧県の辺りへ向かったとき、劉表の最前線は黄祖を大将として対岸(漢江)に堅固な防御線を引いていた。

孫堅孫策の精兵が群れを成して何度か岸辺に上陸を試みたが、皆ばたばたと射殺されてしまう有り様だった。

戦況不利と見た孫堅軍は矢の届かぬ距離まで陣を引き、一計を案じた。

夜に入ると付近の漁師の小さな漁船まで借り出し、無数の小舟を用意して列ね、赤々と、かがり火を焚かせ、黄祖軍に夜襲を仕掛ける様子を見せた。

真っ暗な川面に無数に光り輝くかがり火である。その様は無数の大軍が押し寄せてくるように見え、兵に恐怖心を呼び起こし、黄祖軍は弩弓といわず火矢といわず矢と言う矢を射られる限りに射たのだった。

しかし、その小舟には兵は乗らず船を操る水夫だけが乗っていたにすぎない。その正体がわからないように夜が明ける前に引き揚げていくのだった。

孫堅軍は、そういうことをそれから毎日繰り返したのだ。

さすがに七日七夜続けると、7日目には黄祖軍も空の船であることに気が付いたが、連日連夜の徹夜で疲れ果ててしまっていて、ろくろく応戦もしないでいた。

そして、その次の日の夜に今度は強兵を満載した船で向かったところ、水上で攻撃を全く受けることなく、無傷で続々と岸辺に上陸できた。いまや雲霞のごとき孫堅軍は一挙に黄祖軍を打ち破ったのであった。

 襄陽の戦い

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無中生有(むちゅうしょうゆう)は、三十六計の第七計のことで、

「無中に有(ゆう)を生ず」ともいう。

 

最初に、敵が本気にするような、はったり、偽装を敵に示して欺く。

次に、それがはったり、偽装であることを敵に気づかせる。

何回も何回も繰り返し、相手が油断するか、疲れ果てるのを気長に待つ。

仕上げは、一気呵成の攻撃だ。

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中共の艦隊や飛行隊が、盛んに宮古海峡を行ったり来たりを繰り返している。同じように尖閣の接続海域や領海に中共の公船が出たり入ったりを繰り返している。

 日本の主権を脅かそうというデモンストレーション(示威)の一環であろう。

つまり、

①歴史や国際法を無視した主張、

中共籍船舶や飛行機による領海や領空への侵犯、

排他的経済水域での違法行為等

これらは、最初のうちこそ臨時ニュースになり、緊張感が国民の間に溢れていた出来事であった。しかし、耳にし、目にすることが当たり前のようになってきている。

報道もどんどん扱いが小さくなっていく。

だが、漁船に民兵を満載させてやってくる日は今日かもしれないではないか。

 

理想は、充分な備えと心構えを見せて、相手に「デモンストレーションは無駄だ」と諦めさせることだが、まずは普通の国の普通の領海・領空・経済水域の警備を行わねばならないだろう。

違法行為は拿捕し、検挙し、起訴する。危険行為は相手の船舶や航空機に損傷を与えてでも阻止する。必要充分な警備活動を普通に行うことだ。警告をし、必要な安全を考慮したうえの正当な職務執行中に起きた結果については、その原因を作った側が負うべきだ。

尖閣には安全航行確保や人命救助のための有人監視施設も必要だろう。

 

2017年3月26日 具体的提案等についての部分を文章を入れ替えて書き直した。

なお、無中生有の例として孫堅孫策黄祖の戦いを用いたのは Wikipedia を真似たのだが、物語は黄祖孫堅とのこの戦いに勝った後に江夏城を得て江夏太守となったという形に改めた。

 

 

 

 

教育は学科や学力の事ではない

【教育は学科や学力の事ではない】

 

論理性と倫理性を育てること。
そうすれば芯の通った人間になることが出来る。

 

芯の通った人間になりさえすれば、いづれ「志」を持つようになる。

世の中で「夢を持て」と言われている。文明開化時に ”Dream” という言葉を「夢」とだけ訳して「志」という訳を付けそこなったことが理由だ。最初から「夢」と「志」の両方の意味があると訳しておけば、誤解せずに育った人々が今よりずっと多いだろう。とっても残念だ。

 

つまり、」を持てる芯の通った人間を作るために、論理性と倫理性を育てるのだ。


志を持つことの大切さというのは、芯の通った人なら、その志で何を学び何をすればよいかが自ずとわかり、実行できるというその一点にある。


それが教育によって人を作るということだ。
私やあなた、私やあなたの子供たち孫たち、家族や友人、世の中を救うということだ。

 

人にはがあると知り、お互いに尊重し合って生活できる知恵のことを「教養」という。

 

今の国会を見ていると戦後の学校に教育が不在だったと嘆くしかない。

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東芝再建策私案 三井住友重工を創設せよ

WHに限らず、米国の原子力産業は原子力発電所の設備建設に数十年という長期間のブランクがあった。オバマ政権下で発電所建設が推進されるにあたり、日本の企業との合併はそのギャップを埋めるはずだった。


その一方で、東芝原子力部門は沸騰型原子炉から出発しWHの加圧型原子炉を製品群として加えることで世界の原子力発電のリーダーを目指していて建設畑のノウハウのギャップを埋めるはずの米国側と相互補完の関係になるはずだった。


しかし、結果は米国での工事管理はWHに丸投げされていたかのようだ。海外で発電プラント建設経験豊富な東芝は何をやっていたのか。経営をその権限ごと丸投げして請負わせていたのだろうか。米国の最先端技術を日本の親会社にも渡すまいとするなら、建設管理のノウハウも渡しようがないだろう。


残念ながら、今まで見て来たどの記事もどの報道もその視点を欠き、そんな現実が生じたかどうかすら知りようがない。


いま、チャイナや南鮮の企業がWHを取得したところで、米国の企業の技術だけを物まねできると思ったら大間違いだし、彼らにその技術を渡すべきではない。チャイナは敵だし、南鮮は敵に渡るかもしれない。


東芝から(原子力だけではなく)電力部門を、その付随する全てのエンジニアリング部門を含めて切り離し、IHIや日本製鋼所、その他の発電関連部門と合併して三井住友重工を作るべき時が来た。かの土光さんの時代に浮上した「三井重工案」の現代版を検討すべきだ。そしてWHはその傘下に入れるべきだ。

現代版という言葉を使っているのは IoT 等のインフラを伴う社会的需要に答えるだけの国際的競争力を持った新しい企業形態を、この際模索すべきだという意味である。

 

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*上記はFBに【三井重工を創設せよ】として掲載したものを手直しした。

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.