kaiunmanzoku's bold audible sighs

Be love Be peace Be harmony Be compassion Be joy

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.

神功皇后 住吉三神の神託

亦建内宿禰居於沙庭 請神之命 於是敎覺之状 具如先日 凡此國者 坐汝命御腹之御子所知國者也 爾建内宿禰白 恐 我大神 坐其神腹之御子何子歟 答詔 男子也 爾具請之 今如此言敎之大神者 欲知其御名 即答詔 是天照大神之御心者 亦底筒男 中筒男 上筒男三柱大神者也【此時其三柱大神之御名者顯也】 今寔思求其國者 於天神地祇 亦山神 及河海之諸神悉奉幣帛 我之御魂坐于船上而 眞木灰納瓠 亦箸及比羅傳【此三字以音】多作 皆皆散浮大海以可度

  

また建内宿禰、沙庭に居て神の命(みことのり)を請いき。 是に敎え覺えし状(かたち)は具(つぶさ)に先の日の如く「凡そ此の國は 汝命の御腹に坐します御子の知らす國なり」。 爾くして建内宿禰白さく「恐し我が大神。 其の神の腹に坐します御子は何れの子か」。 答えて詔らさく「男子(おのこご)なり」。 爾くして具(つぶさ)に請いしく「今、如此(かく)言敎えし大神は、其の御名を知らんと欲す」。 即ち答えて詔らさく「是は天照大神の御心。また底筒男(そこつつのお)・中筒男(なかつつのお)・上筒男(うわつつのお)の三柱の大神ぞ【此の時、其の三柱の大神の御名は顯(あら)わるるなり】。今、寔(まこと)に其の國を求めんと思わば、天神(あまつかみ)・地祇(くにつかみ)、また山の神、及び河海の諸の神に悉く幣帛(みてぐら)を奉り、我が御魂を船の上に坐せて、眞木の灰を瓠(ひさご)に納め、また箸及び比(ひ)羅(ら)傳(で)【此の三字は音を以ちてす】を多(さわ)に作り、皆皆大海に散り浮かべて度る可し」。

 

 また再度、建内宿祢が祭場に居て神託を願った。この時に神様が教え諭す様子は先日と全く同じで、「そもそもこの国は、神功皇后の胎内にいらっしゃる御子が統治なさる国です」。 そこで建内宿祢が「畏れ多い我が大神。 あなた様が依り憑いている皇后の胎内にいらっしゃる御子はどのようなお子なのでしょうか」と申し上げると 大神が答えて「男子である」と仰られる。 そこで詳しくお聞きしたいとお願いして「今、このようにお答えを下さる大神は、どなたなのでしょうか。お名前を知りとうございます」と申し上げると。 お答えになられて仰られることには「この神託は天照大神の御心である。また私は底筒男(そこつつのお)・中筒男(なかつつのお)・上筒男(うわつつのお)の三柱の大神ぞ【この時に、その三柱の大神[住吉三神]のお名前が世の中に明らかにされた】。今、誠心からその国を欲しいと思うのならば、天神(あまつかみ)・地祇(くにつかみ)、また山の神、及び河海の多くの神々全てにお供えをなさり、私[住吉三神]の御魂を船の上に祀って、眞木の灰を瓢箪に納め、また箸や木の葉で作った皿等【この三字[比(ひ)羅(ら)傳(で)]は音を持って充てる】を数多く作って、それを全て大海に撒き散らし浮かべて海を渡ると良い」と。

 

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神功皇后と建内宿祢

 

教条化したリベラリズム / 暴走するポリティカルコレクトネス

人間は社会的動物ですが、やはり自然の産物です。だから進化の過程で得てきた体の成り立ちや脳の働き方が既にあり、それを変えるには進化という生物学的時間の限界があることを認めなければなりません。


厄介なのは「人は神(の子)のうつし身である」理性を働かせさえすれば「人間の情動全てがコントロールできる」。そのような妄想が人間社会に産まれてきてしまったことです。


社会を維持するために、どう振る舞うかを規制しなければならなくなった社会で、はみ出し行動が何であって、どういう罰を受け、何が推奨されるかを説くのが「宗教」「哲学」「法」「道徳」等であり、それらは社会維持のために必要ですが、それ以上のものが「宗教」「哲学」「法」「道徳」の名で押し付けられる状況が生まれてしまったのです。


最近のトピックスの一つが「ポリティカルコレクトネス」だと思います。「教条化したリベラリズム」です。つまり「理性で、理性の力によって、あらゆる情動と自然の支配が可能だ。いずれ可能になる」という考え方です。


そこには人の驕りが過剰に溢れています。

 

人類誕生から現代までの時間地球という人類の住む広大な空間無視するのは「人の驕り」です。「神仏を畏れぬ」という言葉が似合うかもしれません。

「自分たちの文明こそが」、あるいは「自分たちの文明だけが」地球上に現出したどの時代のどこの文明よりも開明的で、道徳的で、高尚で、知的な、人類の理想を実現できる価値観を持った至上の存在であると位置づけ、その理想社会を理想とし、その価値観を絶対的なものとして他者に強要しようとする。

つまり、結果として自分以外の他者が歴史と共に蓄積した経験を無価値か、自分たちの持っているものと比べて劣っているのだと無視する。

そのために身内(自分たちの尺度だけ)で取り決めたルールを、「ポリティカルコレクトネス」と名付け、他のどの優れた文明の尺度も認めることなく(HateやRacismの根本がそこにあると気付くこともなく)、また、進化という生物学的時間の限界を無視して人類(文明人)共通の価値観として押し付ける。

 

これが彼らの驕り(独善=教条に囚われた状態)だ。

そして、その宗教的文化観に基づく倫理的嫌悪感が Hate として、宗教的文化観に基づく異文化排斥が Racism という形になって、悲劇として何度も歴史上の教訓・語り草となって来たのです。まさに、彼ら聖典の民)の持つ善と悪という二面的世界観こそが歴史上の悲劇を引き起こしてきた原因そのものなのです。


地震や台風、火山や津波という自然の驚異に数千年以上曝されてきた日本人であれば「自然には、まだまだ人知・人力の及ばぬ領域がある」「人は自然の一部であり支配者ではない」という考えが自然に身についている。自然や人を越えるものに対する畏敬を失わないのはそのためでしょう。

 

「人は自然を支配しコントロールできる」「人類は万物の長であり、人のために万物は存在する」というような発想は、自然に対する畏敬を失っていない日本人にしてみれば、人の驕り、教条化された思想に他ならないと思えるのです。

 

 

1939 中華疆界変遷図 「中国の夢」中華民族の偉大なる復興とは

【中国の夢:中華民族の偉大なる復興とは】


有名な「中華疆界變遷圖」です。

標題は検索結果に反映しやすいように「中華疆界変遷図」としてあります。


1939年発行の中華民国時代の中等学校用地図は、彼ら(中華民族を称する支配階級の人々)が華夷秩序をどう教えて来たかを知る良い史料です。


「中国の夢」「統一中華」「中華民族」なるプロパガンダが、赤い貴族に率いられる人々にどういう「脳内世界」を構築させ、その周辺の国と人々にいかに危険を及ぼすかを想像する必要があります。

 

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真正の歴史的事実に基づいた地図とは言い難いので、以下は気付いた事項のほんの一部を例に挙げたものだ。 

南シナ海で今日チャイナが主張している「9段線」とは異なる海域を過去の中華の境界「舊時國界(旧時国界)」としている。

▼一度も支配下に置いたことのない地域が多数過去の中華界内に含まれている。

Nenki Boko in Japan before 1945 and Indentured Servitude in the 18th century in the British colonies.

A nenki boko job system;

The term nenki boko can mean “indentured labor” and this habit was practiced often before World War II in Japan. Nenki boko meant that people worked for their employers on a contract basis.

They, the workers would work for a fixed number of years, then be free to work on their own. 

 

"Indentured Servitude" in the 18th century in the British colonies:

The employer made a contract with the worker or, his or her parents instead of the sea captain; he did so because he needed labor and the worker or, his or her parents did so they needed conveniences and/or money. Until the late 18th century, indentured servitude was very common in British North America. It was often a way for poor Europeans to immigrate to the American colonies: they signed an indenture in return for a costly passage. After their indenture expired, the immigrants were free to work for themselves or another employer. 

Indentured servitude - Wikipedia

 

However, a nenki boko job system in Japan also enables workers to gain a license to practice in a regulated profession. Most of their training is done while working for an employer who helps the young workers learn their profession, in exchange for their continued labor for an agreed period after they have achieved measurable competencies. Nenki boko usually began at ten to fifteen years of age, and would live in the master craftsman's household or the marchant' one. Most young workers aspired to becoming master craftsmen or managing marchants themselves on completion of their contract.

In the case of geisha girls before WWII, the girls should apply the job by themselves and the employer, okiya lets the girls learn artistic accomplishments, the reading and writing, and the basic education. The employer, okiya is handling all those expenses including the cost of basic necessities of life (as food and shelter and clothing). So if the girl herself or someone wants to be released earlier from her service, she/he should pay the money to cover remaining costs for enterprise on their contract basis. 

 

We can find that almost same system is working in Japan nowadays, sumo wrestlers' training system. If you want to be a sumo wrestler, you join a sumo stable. The master of the sumo stable is handling all expenses for your necessities of life until you become a junior grade wrestler called 'juryo' who earns his living. 

They, the workers would work for a fixed number of years on a contract basis, then be free to work on their own. That is a nenki boko job system in Japan.

 

In the case of comfort women before 1945, the women should have applied the job by themselves, or if not, the parents of their daughters (The person younger than 18 years does not get prostitute :By the promulgation of the prostitute control rule of 1900((娼妓取締規則(明治三十三年十月内務省令四十四号)))) entered into an agreement with prostitution brokers (they were called zegen in Japanese at the time) who advanced a chunk of money to the parents, and their daughters had to work as prostitutes until they earned the advanced money paid to their parents. Afterwards, they were set free.

Usually it took several years, mostly five to seven but during the war it took a year or two and surprisingly some earned over a million dollar a year.

Zegen (prostitution brokers ) didn’t abduct Korean women, and never sold them as merchandise to brothels. The applicants for comfort women must have applied on their own will by statute. Japan STRICTLY PROHIBITED any kind of human trafficking and mistreatment of people. If there were zegen who mistreated comfort women, whether they were Koreans or Japanese, was punished as a criminal by the Japanese authorities. When some Korean or Japanese military men mistreated comfort women, they were also punished by the Military authorities.  

 

“In a world of conflict, a world of victims and executioners, it is the job of thinking people not to be on the side of the executioners.” — Albert Camus

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Madame Butterfly was purchased at 100 yen by Pinkerton, Lieutenant in the United States Navy in the opera. This "100 yen" was the money to cover the remaining costs including the loss of profits in the term of her contract. 

Madama Butterfly - Wikipedia

 

1944 日本 西南太平洋精圖 南シナ海の島嶼群が日本名を付けられて表記

豪州国立図書館所蔵

Seinan Taiheiyo seizu [cartographic material] = [Map of southwest Pacific Ocean]

 

Creator:Asahi Shinbunsha 朝日新聞社
Title:Seinan Taiheiyo seizu = [Map of southwest Pacific Ocean] / compiled by Asahi Shinbunsha 西南太平洋精圖 朝日新聞社
Created/Published:Tokyo : Asahi Shinbunsha, 1944 東京 朝日新聞社 1944年

全体図

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主要部

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南シナ海部分

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南シナ海島嶼部拡大

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東シナ海部分

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終戦1年前の西南太平洋が描かれている。

西沙諸島スカーボロー嶼というサンゴ礁からなる島嶼群には日本名はついていない。

南シナ海島嶼群が日本名を付けられて表記されている。

SF条約で日本が権利を放棄したもので、戦勝国による取り扱いが未だ決まっていない。SF条約の当事国でない中華人民共和国が不法占拠する権利はない。
SF条約調印国(日本も一方の当事者)で法的な扱いをどうするかを決する議論に参加する義務があろう。

SF条約で日本が権利を放棄した太平洋の南洋諸島群についても、必要なら旧宗主国としての義務を果たすべきであろう。

1808-1814 英国  アヘン戦争前の地図 尖閣無色 台湾黄色 八重山は琉球と共に青

豪州国立図書館所蔵

China and Japan [cartographic material]

 

Title:China and Japan / drawn and engraved for Dr. Playfair's Geography; engraved by H. Cooper, 28 Chancery Lane
Author:Playfair, James, 1738-1819

全体図

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拡大図

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所見:

1800年代に入り英国は清にアヘンを輸出、たびたび清はアヘンの輸入を禁止していた(1800、1815、1839林則徐のアヘン焼却)。やがて、1840-42アヘン戦争へとつながる。そのころの英国地図。

▼チャイナの範囲は清帝国の版図と切り離して描かれている。清は1827年に満人の漢俗化を禁じている。

▼台湾はチャイナと同じ黄色、尖閣諸島は無色、八重山諸島琉球諸島、日本列島と共に青く彩色されている。当時の英国の認識による色分けと思われる。

▼興味深いことに、チャイナ沿岸の島々は黄色に塗られているものと、そうでないものがある。金門島は無色、東湧島と呼ばれていた馬祖列島も無色に見える。

▼小島でもあるに拘わらず三仙臺(SAN-HSIEN TAI)が描かれている。Law I.と記載されているので緑島との混同があったものと思われる。本来の緑島はもう少し離れている。

1894 英国 尖閣は先島諸島に含まれる 日清戦争の講和と賠償金に関与した英国の認識

豪州国立図書館所蔵

Title:Stanford's map of eastern China, Japan and Korea : the seat of war in 1894
Author:Stanford, Edward, 1827-1904

オンラインの地図のロケーション: https://nla.gov.au/nla.obj-231212461

全体図

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尖閣部分拡大図

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所見:

尖閣台湾付属島嶼ではなく先島諸島、 Majico Sima Group (宮古島グループ)だと認識され青緑色で一纏めにされている

▼Majico Sima Group は、"(To Japan)" の表記の通り、尖閣諸島も含め日本に属するとの認識が確認できる。

▼地図左下方に「1894」の文字。発行年が1894(明治27)年であることが確認できる。下関条約1895(明治28)年3-4月に談判が開始され調印された前年に英国が「尖閣諸島先島諸島の一部として日本領である」と認識している証拠である。なお、日本政府による尖閣国有化は1895(明治28)年1月。

日清戦争の講和と賠償金に関与した英国

黄海海戦の後、1894(明治27)年11月上旬から米、、露が調停のための非公式の斡旋を開始している。1895(明治28)年3月から始まった正式の交渉では講和条約による賠償は調印の前々日まで調整が行われ、支払方法の交渉は4月15日まで続いている。賠償金が清国の賠償能力を超えていたため難航したのだ。結局、日本は清国に対して3回分割英ポンド金貨を支払わせている。
1873(明治6)年の台湾出兵が英国の斡旋で清国から賠償金を得た後も、日清戦争後の下関条約でも英国の斡旋があり、清国からの賠償金はいずれも英ポンド金貨で支払われた
清国は、その支払い能力を越える賠償金を払うのに外国からの借款に依存せざるを得ず、清国外債の発行や引き受けに英国人ロバート・ハートの活躍があった。ロバート・ハートは英国人でありながら清国政府の総税務司という特殊な立場に有った人間である。

1898(明治31)年春の第3回目の1600万ポンドの支払いは、威海衝を占領していた日本軍の撤退条件となっており日清という当事国のみならず、関係国(英国と三国干渉の露・独・仏)にとっても重要な意味を持っていた。

尖閣諸島の帰属については、台湾出兵時に斡旋をした英国のみならず、下関条約に間接的に関与した国々にとっても関心事であったはずだ。

▼当事国である清が尖閣を自国領と認識してなかった証拠については次を参考にして欲しい。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

megalodon.jp

1849 独 台湾西海岸を赤く塗り尖閣は無色 チャイナ帝国と保護国(満州とモンゴル、東トルキスタンとチベット)と日本帝国

米国国会図書館所蔵 1849(嘉永2)年 ドイツ

チャイナ帝国と保護国満州とモンゴル、東トルキスタンチベット)と日本帝国の図

www.loc.gov

Title:Das Chinesische Reiche mit seinen Schutzstaaten (den Ländern der Mandschu und Mongolen, ost Turkistan und Tübet) und das Kaiserthum Japan
Contributor Names:Weiland, C. F. (Carl Ferdinand), -1847. Kiepert, Heinrich, 1818-1899. Geographisches Institut (Weimar, Thuringia, Germany)
Created / Published:Weimar : Im Verlage des geograph. Instituts, 1849.

 

 

全体図

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沖縄本島部分拡大図

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台湾島尖閣諸島部分拡大図

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所見:

澎湖諸島台湾西海岸のみを赤く塗り、台湾島山間部から東半分にかけ宮古島諸島を薄緑色で塗ってある。赤色は清の道光29年時の清の統治の及ぶ範囲が反映されていると思われる。

▼【台湾人は漢人に非ず】台湾は元代には荒れ果てた地であり、中国名で「東蕃」が住む土地とされていたことが、大清一統志に記載がある。上の項目で指摘した薄緑色は  Unabhängige Völkershaften(独立した民族)の住む場所を示している。台湾が東蕃と呼ばれた台湾原住民の地であり、宮古島にも原住民がいることを表している。

台湾北方3島尖閣諸島は無色であり、住民がいない無主の地であることを示している。

沖縄本島近辺の島々は Likejo Inseln(琉球の島々)と表記され、チャイナ読みと日本語読みがカッコ内に記され、島々は緑色に塗られている。それより北方の薩摩支配の島々が黄色く塗られ、南の宮古島諸島が薄緑色であることで区別されている。

▼地図名の邦訳が「チャイナ帝国と保護国満州とモンゴル、東トルキスタンチベット)と日本帝国の図」となっている通り、チャイナの範囲と満州、モンゴル、東トルキスタンチベットは区別されて描かれている。清の皇帝が影響力を及ぼす地域には、中華皇帝として君臨するチャイナ大ハーンとして間接統治する保護国があることは欧米諸国でも常識として知られており、地図作成者がそれを反映し線を引き彩色したことは確かだろう。

 

1861 1871 1881 英国 無主地として描かれた尖閣が琉球諸島(To Japan)として描かれるまで

下記3点の地図は、いずれも同じ国(英国)、同じ作者による同じ出版社の発行になるものだ。そしていずれも米国国会図書館所蔵である。

Title:China and Japan
Contributor Names:Johnston, Keith, 1844-1879.
Created / Published:Edinburgh : W. & A.K. Johnston

1895(明治28)年以前の尖閣諸島国際法上は無主地であったが、欧米の地図の上では沖縄県に編入される正式の手続以前に日本領と認識されていたと分かる。

 

1861(文久1)年 英国 無主地として描かれる尖閣

参考地図 米国国会図書館所蔵

www.loc.gov

関連部分図

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尖閣部分拡大図

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所見:

Tia-yu-su、Hoa-pin-suと表記された尖閣は台湾北方3島と同じく無色。無主地として描かれていると思われる。

宮古島諸島は琉球に属すとされ琉球諸島が全て黄色で塗られている。

 

 

1871(明治4)年 英国 まだ無主地として描かれる尖閣

参考地図 米国国会図書館所蔵

www.loc.gov

関連部分図

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尖閣部分拡大図

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所見:

Tia-yu-su、Hoa-pin-suと表記された尖閣は台湾北方3島と同じく無色。無主地として描かれていると思われる。

宮古島諸島は琉球に属すとされ琉球諸島が全て黄色で塗られている。

 

 

1881(明治14)年 英国 尖閣琉球諸島と同じ黄色に塗られ日本に属すとして描かれる尖閣

参考地図 米国国会図書館所蔵

www.loc.gov

関連部分図

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上記の尖閣部分拡大図

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沖縄本島部分拡大図

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所見:

Tia-yu-su、Hoa-pin-suと表記された尖閣が他の沖縄諸島と同様に黄色く塗られている。下記と併せ日本のものであると地図作成者が認識していると分かる。

沖縄本島の左下に(To Japan)の表記がある。

台湾北方3島台湾島と同色に塗られており、地図作成者が台湾島の付属島嶼と認識していたと分かる。

西南の役1877(明治10)年から4年で、琉球に関する日清間の紛議1879(明治12)年に米国大統領グラントが融和策を提案してから2年。日本はまだ国内が定まらず、海洋強国には遠く、大国である清に先島諸島を譲ろうとしていた時代である。

 

以下は1861,1871,1881に共通(詳細はLinkから実際の地図を参照して欲しい)

▼チャイナの国土がチベット、モンゴル、ウイグル満州等と分けて描かれている。

南シナ海にチャイナとして描かれているのは海南島のみである。

 

下記は1881年の地図の全体図

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1840 ドイツの地図 琉球はJapan

参照地図:米国国会図書館所蔵

hdl.loc.gov

Title:Das südöstliche Asien, oder China, Japan und hinter-Indien mit dem indischen Archipelagus
Other Title:China, Japan und hinter-Indien mit dem indischen Archipelagus
Contributor Names:Geographisches Institut (Weimar, Thuringia, Germany)
Created / Published:Weimer : Geographisches Institut, [1840?]

 

チャイナ、日本、インドネシア図 沖縄拡大図

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▼拡大図の沖縄本島の上部、琉球諸島を示す”LIU KIU”文字列の”U”の文字の近くに(Liëu-kiëu japan Riu kiu)と島々の間に書いてある「japan」の表記が確認できる。琉球のいくつかの表記を並べ日本である旨を示したものだ。

▼日本列島と沖縄列島は同じ色で塗られている。

▼1840(天保11)年は、蛮社の獄1839(天保10)年の翌年、水野忠邦天保の改革1841(天保12)年の前年に当たる。

 

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.