kaiunmanzoku's bold audible sighs

Be love Be peace Be harmony Be compassion Be joy

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.

共通の物差しを持てることを社交性・教養という

語彙力は多いほど良い。物事の本質をとらえる能力が大きくなるからだ。

 

なぜなら、芸術という例外を除き、語彙で表せる概念こそがこの世の森羅万象を(この世で考えられ、表現できる限りという前提条件であれば、あの世すらも)表現することができる道具だからだ。

 

 我々凡人が語彙に表せない物事も直感でその本質を捉えられる天才が往々にいる、それをそう感じ取れたが故に天才は天才と呼ばれるのだろう。だがそういう天才ですら、芸術という方法を除いては、その感動や才能や発見や主張を語彙を豊富に語ることなければ、人々にその成果を伝えるのは甚だ難しい。

天才の業績が、その分野に関心のない人々に、分かりづらいのはそのせいと思う。

 

天才も含め、世の人々に伝えられる事柄というのは、芸術を除いて、多くは言葉を介したものでしかない。凡人は凡人の言葉で表現しうる範囲で真実や真情を語るのみだ。人は自分自身と同じで誰でもそんなに感受性や感情に置いて変わりはないと信じていてすら、自分の伝えたい真実や事実、感情や思いを人に伝えるのは困難だ。

 

だからこそ、ある言語を学んでその民族の文化や道徳観に触れることが出来るという経験は非常に貴重だ。

 

豊富な語彙で真実や真情の大きさや深さを伝えられることは、色形も様々で大小いろいろな器を持っていることに似ている。

 

その反対に、ある民族が、芸術を生み出せず、言葉も貧弱ならば、文化も歴史も貧弱にならざるを得ないだろう。器の種類も大きさも少ないがゆえに、真実や心情も伝えがたいものとなるからだ。

そして、その民族の社会はパターン化した教条と過激な儀式に支配されるだろう。教条と儀式は集団共通の感動や感情を共有する道具である。豊富な語彙で真実や真情の大きさや深さを伝えられないなら、器の代わりに音や行動で代用するしかないではないか。

 

それはつまり、喜怒哀楽とその情緒の強弱を、大小の音や行動で表現して伝えようとするということだ。客人歓迎のダンスであったり、勝利と服従の儀式がその典型だ。

 

困るのは、彼らが他の豊富な語彙を持つ、それゆえにダンスや儀式なしにコミュニケーションをとる民族と接する時だ。貧弱な語彙しかない彼らが豊富な語彙を受け止めようとすれば、器の種類も大きさも少ないがゆえに、ものによってはあふれ出てしまうし、漏れ出してしまう。

つまり、他民族と共有しえる感情に齟齬を生じてしまう。共通の尺度で物事を推し量れない事態になるということだ。外交で物事が進まない国というのは、そういう国々の事だ。

 

共通の尺度を何か(できれば同じ歴史的文化的意味を持つ語彙や記号)で共有出来なければ社交が難しいのは、一個人でも、ムラ社会でも、国家でも同じである。

 

他者を貶める事、共通の敵を持つことのみを仲間同士の唯一の共通の物差しとする人々の集団には外の世界をもっと自由に体験することが必要だと言いたい。

北朝鮮との前哨戦 中華従北プロパガンダを殲滅せよ 徴用工 慰安婦 海洋資源保護 南京

【北との戦争を避ける条件とプロパガンダ戦】

北朝鮮中共と対峙する時、戦争を回避する方法は次の3つだと思っている。
①日本との戦争を避けたいと思わせる。
②日本を核の人質に取れないと思わせる。
③日米同盟は盤石と思わせる。

 

①は防衛力や報復能力を高めることだ。抑止力ともいう。日本を攻撃して得られる利益より反撃や報復によって受ける自国のダメージが大きいと容易に分かる場合、彼らは攻撃という手段を諦めるだろう。

②は彼らと同じように核の傘を持つこと。いついかなる場合も核の傘は日本の意思によってコントロールされるということだ。または、彼らの核攻撃能力を無力化する能力を持つことによっても達成できる。

③の日米同盟は日本の自衛能力と米国の核の傘を含む報復能力からなる。


思うに、①②は達成できていないし、今後も国論を統一して法制化や軍備や防災シェルター等の整備が必要となり、時間的にも経済的にも困難が伴うだろう。

したがって、辛うじて③だけが今直ぐ日本が採り得る唯一の手段となっている。言わば、日米同盟は現況の日本の死守すべき砦だ。

 

中共北朝鮮南朝鮮の従北派からすると、日米分断、日韓分断、米韓分断、米国における反日プロパガンダによる米世論の分断、米国民と米政府の分断が効果的な理由がそこにある。

 

今、この時期に慰安婦問題・徴用工問題・捕鯨問題(海洋生物保護)・南京事件が地球上のあちらこちらで騒がれるのは偶然ではない。

反日プロパガンダによって中華従北勢力が得られる果実は大きいのだ。


例えば、サンフランシスコ市の慰安婦像問題で日米世論が分断されたり、米国民と米国政府のギャップが広がれば(親トランプvs反トランプ)、中共北朝鮮の得られる利益は大きい。「反トランプ陣営と山分けしてもペイする」と彼らは宣伝する価値があるというわけだ。


だから、今、慰安婦問題や南京事件等々の反日プロパガンダに対抗する戦いは、半島における北朝鮮との戦争に先駆けて、共産全体主義陣営に対して自由陣営が総力戦で優位に立つための戦いだと言える。

 

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No more #CNKP(Chinese and North Korean Propaganda)
殲滅 #中華従北プロパガンダ #徴用工 #慰安婦 #軍艦島 #海洋資源保護プロパガンダ

#ForgedHistory #FAKEOFNANKING #YasukuniWorldPeaceShrine #ComfortWomenPropagandaDeception #SouthKorea #Hypocrisy #ComfortWomen
#KoreanMilitaryComfortWomen #LaiĐạiHàn #라이따이한 #洋公主

慰安婦像「恨」のトーテムが象徴する「両親」「過去」とは耳目をふさぎたくなる歴史の事だ

先日のブログに慰安婦像とは「恨」のトーテムであり、「両親」や「過去」といった否定できないものや変えられないものを象徴しており、それらを尋常ならざる手段で否定し変えてしまう呪術的装置であると述べた。このブログはその先日のブログ

「恨」のトーテム 慰安婦像 / Totem symbolized their parents and the miserable past - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 の続きである。

 

その「両親」や「過去」とは何を指すのかを順不同で羅列しておこうと思う。

チャイナへの隷属の歴史

 箕氏朝鮮が殷の移民から始まった時点からチャイナ政権の属国であった。

   紀元前108年~220年:漢(植民地) 
     221年~245年:魏(植民地) 
     108年~313年:晋(植民地)
     314年~676年:晋宋梁陳隋唐(属国)  
     690年~900年:渤海(属国)
   1126年~1234年:金(属国)
  1259年~1356年:元=モンゴル(属国)
  1392年~1637年:明(属国)
  1637年~1897年:清(属国)
  1897年:日清戦争日本勝利、下関条約により清の属国から開放される 

貢女外交とも呼ばれる、女と宦官をチャイナに朝貢してきた歴史

 貢女は数千人に上る。李氏朝鮮時代には、貢女徴収のために「12歳以下の女子については婚姻を禁ずる」法令も出された。

妓生:奴婢身分の女性の存在

 高麗から李氏朝鮮末期まで約1000年間、常に2万~3万名の妓生。

 全て奴婢身分であった。

日本への隷属の歴史

 神功皇后雄略天皇三韓征伐他日本の半島支配)、秀吉

   1905年~1945年:日露戦争日本勝利(保護国化、韓国の要請を受け併合)

元寇の原因を作った

 『高麗史 元宗十三年(1272)3月』に、諶(しん、後の忠烈王)が、日本侵略をフビライに進言したことが記されている

李氏朝鮮時代の盲目的な華夷観の受容と小中華・事大主義

 現実はどうであれ「朝鮮はチャイナ王朝と共に世界の中心をなし、周辺諸国を従属させて来た」という理想と現実の乖離現象が政治や文化で顕著であり続ける原因となっている。今に至るまでと言える。

売買・略奪・相続・譲与・担保・賞与の対象であった「奴婢」身分の存在

 1894年の甲午改革で廃止されるまで続いた奴隷身分と制度。
 父母の一方が奴婢の場合は、子も奴婢となった。

日韓併合によって初めて女性の地位が確保されたこと

 身分が高くても名前が無かった。碑女に至っては主人の事実上の家畜扱いだった。

▼つい最近まで他の男性との交友に対して慣習法が優先され、姦通罪が適応された。

自国民虐殺の歴史

  •  1948年:済州島4.3事件 3万人虐殺 (李承晩)
  •  1950年:保導連盟事件 30万人虐殺 (李承晩)
  •  1950年:信川虐殺事件 住民の4分の1にあたる3万5383人が虐殺 (李承晩)
  •  1951年:国民防衛軍事件 9万人が餓死・凍死させられた=虐殺(李承晩)
  •  1951年:山清,咸陽,居昌の民間人虐殺事件 1424人(李承晩)
  •  1980年:光州事件 600人虐殺

▼上記の事件における「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」と説明してきた事実

朝鮮戦争の隠蔽・捏造

竹島強奪

 韓国による日本人抑留者は3929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人

ベトナム戦争における虐殺レイプ

 虐殺 5,000-9,000人 ライダイハン 3,000-20,000人

 

 

性奴隷のような生活を強いられた李氏朝鮮の女性たち、家畜同然の身分の白丁。日本人の手で身分的桎梏から解放されたという負い目。自国民を虐殺し、ベトナムでレイプと虐殺を行ってきた目をふさぎたくなる事実。

それらを尋常ならざる手段で否定し変えてしまう呪術的装置こそが、慰安婦像、「恨」のトーテムだと言える。

 

Masacre en Corea Pablo Picasso

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黄海道、信川で3万5千383人の良民を虐殺したとされる惨劇を描いた「韓国での大虐殺」1951年作 マドリードにある王立プラド美術館の所蔵

この絵は韓国で反米的あるいは親北(朝鮮)・容共的なものであるとして、近頃まで禁止されてきた。もちろん、ピカソ反戦の意味で描いたものだ。

韓国政府は自国民の自軍による虐殺を隠したかったことは明白である。

 

 

 

 

「恨」のトーテム 慰安婦像 / Totem symbolized their parents and the miserable past

最近、慰安婦の話題が立て続いた。

米国のサンフランシスコ市の慰安婦像と韓国国会における「慰安婦の日」制定決議だ。

 

サンフランシスコ市の慰安婦

www.facebook.com

 

韓国国会「慰安婦の日」制定決議

www.facebook.com

 

そういうわけで、慰安婦像について頭に浮かんだことを下記の通りブログに書きつらねる。

慰安婦像が民族の「恨」という感情の拠り所、トーテムとして機能していることは間違いない。民俗学的にトーテム的存在は部族団結の象徴として働いてきた「装置」であり、我々は○○の子孫であるという「表象」としてすら充分な説明が出来る。

ある民族を固く結び付ける部族団結の装置は、そのまま「我々は〇〇の子孫である」という誇りと結びついていることはさまざまな部族の例で説明可能なはずだ。例えば、神社における祭神は日本の氏族団結の装置であり、その氏族は祭神の子孫だと主張しているような例だ。

 当然、名前を言ってはいけないあの民族にも適用可能だろう。


さて、民族に拘わらず誰もが、今この世に、自分が人として存在する事実とその訳を知っている。それは自分両親がどこかで出会って、生殖活動をした結果として、自分という存在がこの世に生まれ出たという事だ。そのように、誰もが自分この世に送り出した「肉親が存在する(した)」という事実を(自分という存在を認める以上は)否定できないものだ。

それとよく似ているのが「現在」という状態である。「現在」というのは「過去」によって作り出されたものだ。「過去」という事実なくして「現在」の存在はあり得ないのだ。そしてその「過去」はどうやっても変えられないものだ。「過去」に起こった原因この世を作り出しているのだから、今を生きるには為す術がないのだ。しょうがないのだ。

 

思うに慰安婦像」とは否定できないもの変えられないものを尋常ならざる手段で否定し変えてしまう呪術的装置である。

慰安婦像」で形作られている像は呪術的手段によって否定したい「両親」であり、変えてしまいたい「過去」を象徴している。 

否定したいが否定できないものと、変えてしまいたいが変えられないもの。そういう要素を持つ「両親」「過去」慰安婦像」呪術的象徴トーテムという形で象徴し、彼の民族の脳内世界で、超常的世界観の中で、ファンタジーとして一切を否定し、変えてしまう。そんな民族団結の装置として働くのだ。

惨めで自己肯定できない過去を脳内世界で否定し変えてしまおうとする民族団結の装置。まさに「恨」のトーテそのものだ。

 

しかし、悲しいかな、現実は彼の民族の脳内世界や超常的世界でもファンタジーでもない。一切を否定し変えることが出来る呪術は、民族の構成員が集まり、集団で「慰安婦像」を崇めているときにだけ夢を見させてくれるが、催眠や陶酔に浸っていられる時間は限られている。

そのファンタジーに浸る快感を持続させるには、ひたすらその呪術を唱え続けねばならなくなる。だから彼らは不断に呪術を唱える人々を勧誘し、陶酔に浸れる場所を増やしていく、まるで薬物に溺れる中毒者の様な禁断症状を来すことになる。

彼らは邪教のトーテムを奉じ続けることで永遠に陶酔を解こうとはしない。陶酔しているときだけが、精神の均衡を保てる空間と時間を得られるのだから。そうして、狂信者として、肯定できない過去を、否定できないもの変えられないもの、本来なら人として為す術がないものすら、自己の脳内世界で否定し、変えてしまう事に専念しようとする。

その変えられない過去を与えた日本を恨の対象にしつつ、「恨」のトーテム 慰安婦像を奉じざるを得ないのだろう。

続きは下記で

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

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神功皇后 応神天皇の聖誕

故其政未竟之間 其懷妊臨産 即爲鎭御腹取石以 纏御裳之腰而 渡筑紫國其御子者阿禮坐【阿禮二字以音】 故號其御子生地謂宇美也 亦所纏其御裳之石者在筑紫國之伊斗村也 亦到坐筑紫末羅縣之玉嶌里而 御食其河邊之時 當四月之上旬 爾坐其河中之磯 拔取御裳之糸 以飯粒爲餌釣 其河之年魚【其河名謂小河亦其礒名謂勝門比賣也】 故四月上旬之時 女人拔裳糸 以粒爲餌釣年魚 至于今不絶也

 

故、其の政(まつりごと)を未だ竟(お)えざりし間に、其の懷妊(はらみ)産むに臨み、即ち御腹を鎭めんと爲して石を取り以ちて御裳(みも)の腰に纏(ま)きて、筑紫の國に渡り、其の御子は阿(あ)禮(れ)坐しき【阿禮の二字は音を以ちてす】。 故、其の御子の生れし地を號けて宇美(うみ)と謂うなり。 また其の御裳に纏きし石は筑紫の國の伊斗(いと)の村に在り。 また筑紫の末羅(まつら)の縣の玉嶌(たましま)の里に到り坐して、其の河邊に御食(みおし)しし時、當に四月(うづき)の上旬(はじめ)なりき。 爾くして其の河中の磯に坐して御裳の糸を拔き取り、飯粒(いいぼ)を以ちて餌と爲し、其の河の年魚(あゆ)【其の河の名を小河と謂う。また其の磯の名を勝門比賣(かちどひめ)と謂う】を釣りき。 故、四月(うつき)の上旬(はじめ)の時、女人(おみな)裳の糸を拔き、粒(いいぼ)を以ちて餌と爲し、年魚(あゆ)を釣ること今に至るまで絶えず。

 

このような具合でございまして、その政務がまだ完了しないうちに、神功皇后はご出産に臨むことになりました。そこで御腹(みはら)を落ち着かせようと[出産を遅らせ引き延ばそうと思って]石を持ち、御裳(みも)の腰にお付けになって[新羅から]筑紫の国に渡り帰られると、その御子はお生まれになった【阿禮の二字は音をそのまま充てることにする】。そういうわけで、その御子のお生まれになった土地を名付けて宇美(うみ)ということになった。またその御裳にお付けになられた石は筑紫の国の伊斗(いと)の村にある。

また筑紫の末羅縣(まつらあがた)の玉嶌(たましま)の里にお出ましになられて、その川辺でお食事をとられた時、ちょうど四月(うづき)の上旬(はじめ)でした。 そこでその川の流れの中に出ている岩におかけになり、御裳の糸を拔き取り、ご飯の粒を餌として、その川の年魚(あゆ)をお釣りになった【その川の名を小河という。また其の岩の名を勝門比賣(かちどひめ)という】。 そういう訳で、四月(うつき)の上旬(はじめ)に、女性たちが裳の糸を拔き、ご飯の粒を餌として、年魚(あゆ)を釣ること今に至るまで絶えない。

 

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神功皇后の三韓征伐

故備如敎覺整軍雙船度幸之時 海原之魚 不問大小悉負御船而渡 爾順風大起 御船從浪 故其御船之波瀾押騰新羅之國既到半國 於是其國王畏惶奏言 自今以後 隨天皇命而 爲御馬甘 毎年雙船 不乾船腹不乾楫 共與天地無退仕奉 故是以新羅國者定御馬甘 百濟國者定渡屯家 爾以其御杖衝立新羅國主之門 即以墨江大神之荒御魂爲國守神而 祭鎭還渡也

 

故、備(つぶさ)に敎え覺しし如く軍(いくさ)を整え船を雙(なら)べて度り幸しし時、海原(あまはら)の魚、大き小さきを問わず悉く御船を負いて渡りき。 爾くして順風(おいかぜ)大いに起こり、御船は浪に從いき。 故、其の御船の波瀾(なみ)は新羅の國に押し騰がり、既に國の半(なか)に到りき。 是に其の國王(こにきし)、畏れ惶みて奏して言いしく「今より以後(のち)は天皇の命の隨に、御馬甘(みまかい)と爲て、年毎に船を雙(な)べて、船腹乾さず、(さお)楫(かじ)乾さず、天地(あめつち)の共與(むた)、退(や)むこと無く仕え奉らん」。 故、是を以ちて新羅の國は御馬甘と定め、百濟の國は渡の屯家と定めき。 爾くして其の御杖を以ちて新羅の國主の門(かど)に衝き立て、即ち墨江の大神の荒御魂を以ちて國守ります神と爲て、祭り鎭めて還り渡りき。

 

そこで、大神が詳しく教えてくれた通りに、軍容を整え、船を並べて海を渡っておゆきになる時に、海にいる魚が、大小を問わず、全て御船を背負って渡った。 しかも追い風が強く吹いて、御船は波に乗って早く進んだ。 というわけで、その御船を乗せた波は新羅の國に船を押し上げ、その国の半ばまでも押し寄せた。 このことに新羅国王は、恐縮して「今から以後(のち)は天皇のご命令に従って、[天皇の]お馬の飼育係となって、毎年船を列ねて、船の腹も乾くいとまが無いように、また棹や舵も乾くいとまがないように、この世が続く限り、絶えることなくお仕え申しあげます」と申し上げた。 こう言ったわけで、これ以降、新羅の國は御馬甘(みまかい=お馬の飼育係)として定め、百濟の國は渡の屯家(とのみやけ=海の向こうの直轄地)と定めた。そして[神功皇后]は御杖を新羅国王の城門に衝き立て、住吉三神の荒御魂を国を護る神として、祭り鎭めて海を渡ってご帰還なされました。

 

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神功皇后 住吉三神の神託

亦建内宿禰居於沙庭 請神之命 於是敎覺之状 具如先日 凡此國者 坐汝命御腹之御子所知國者也 爾建内宿禰白 恐 我大神 坐其神腹之御子何子歟 答詔 男子也 爾具請之 今如此言敎之大神者 欲知其御名 即答詔 是天照大神之御心者 亦底筒男 中筒男 上筒男三柱大神者也【此時其三柱大神之御名者顯也】 今寔思求其國者 於天神地祇 亦山神 及河海之諸神悉奉幣帛 我之御魂坐于船上而 眞木灰納瓠 亦箸及比羅傳【此三字以音】多作 皆皆散浮大海以可度

  

また建内宿禰、沙庭に居て神の命(みことのり)を請いき。 是に敎え覺えし状(かたち)は具(つぶさ)に先の日の如く「凡そ此の國は 汝命の御腹に坐します御子の知らす國なり」。 爾くして建内宿禰白さく「恐し我が大神。 其の神の腹に坐します御子は何れの子か」。 答えて詔らさく「男子(おのこご)なり」。 爾くして具(つぶさ)に請いしく「今、如此(かく)言敎えし大神は、其の御名を知らんと欲す」。 即ち答えて詔らさく「是は天照大神の御心。また底筒男(そこつつのお)・中筒男(なかつつのお)・上筒男(うわつつのお)の三柱の大神ぞ【此の時、其の三柱の大神の御名は顯(あら)わるるなり】。今、寔(まこと)に其の國を求めんと思わば、天神(あまつかみ)・地祇(くにつかみ)、また山の神、及び河海の諸の神に悉く幣帛(みてぐら)を奉り、我が御魂を船の上に坐せて、眞木の灰を瓠(ひさご)に納め、また箸及び比(ひ)羅(ら)傳(で)【此の三字は音を以ちてす】を多(さわ)に作り、皆皆大海に散り浮かべて度る可し」。

 

 また再度、建内宿祢が祭場に居て神託を願った。この時に神様が教え諭す様子は先日と全く同じで、「そもそもこの国は、神功皇后の胎内にいらっしゃる御子が統治なさる国です」。 そこで建内宿祢が「畏れ多い我が大神。 あなた様が依り憑いている皇后の胎内にいらっしゃる御子はどのようなお子なのでしょうか」と申し上げると 大神が答えて「男子である」と仰られる。 そこで詳しくお聞きしたいとお願いして「今、このようにお答えを下さる大神は、どなたなのでしょうか。お名前を知りとうございます」と申し上げると。 お答えになられて仰られることには「この神託は天照大神の御心である。また私は底筒男(そこつつのお)・中筒男(なかつつのお)・上筒男(うわつつのお)の三柱の大神ぞ【この時に、その三柱の大神[住吉三神]のお名前が世の中に明らかにされた】。今、誠心からその国を欲しいと思うのならば、天神(あまつかみ)・地祇(くにつかみ)、また山の神、及び河海の多くの神々全てにお供えをなさり、私[住吉三神]の御魂を船の上に祀って、眞木の灰を瓢箪に納め、また箸や木の葉で作った皿等【この三字[比(ひ)羅(ら)傳(で)]は音を持って充てる】を数多く作って、それを全て大海に撒き散らし浮かべて海を渡ると良い」と。

 

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神功皇后と建内宿祢

 

教条化したリベラリズム / 暴走するポリティカルコレクトネス

人間は社会的動物ですが、やはり自然の産物です。だから進化の過程で得てきた体の成り立ちや脳の働き方が既にあり、それを変えるには進化という生物学的時間の限界があることを認めなければなりません。


厄介なのは「人は神(の子)のうつし身である」理性を働かせさえすれば「人間の情動全てがコントロールできる」。そのような妄想が人間社会に産まれてきてしまったことです。


社会を維持するために、どう振る舞うかを規制しなければならなくなった社会で、はみ出し行動が何であって、どういう罰を受け、何が推奨されるかを説くのが「宗教」「哲学」「法」「道徳」等であり、それらは社会維持のために必要ですが、それ以上のものが「宗教」「哲学」「法」「道徳」の名で押し付けられる状況が生まれてしまったのです。


最近のトピックスの一つが「ポリティカルコレクトネス」だと思います。「教条化したリベラリズム」です。つまり「理性で、理性の力によって、あらゆる情動と自然の支配が可能だ。いずれ可能になる」という考え方です。


そこには人の驕りが過剰に溢れています。

 

人類誕生から現代までの時間地球という人類の住む広大な空間無視するのは「人の驕り」です。「神仏を畏れぬ」という言葉が似合うかもしれません。

「自分たちの文明こそが」、あるいは「自分たちの文明だけが」地球上に現出したどの時代のどこの文明よりも開明的で、道徳的で、高尚で、知的な、人類の理想を実現できる価値観を持った至上の存在であると位置づけ、その理想社会を理想とし、その価値観を絶対的なものとして他者に強要しようとする。

つまり、結果として自分以外の他者が歴史と共に蓄積した経験を無価値か、自分たちの持っているものと比べて劣っているのだと無視する。

そのために身内(自分たちの尺度だけ)で取り決めたルールを、「ポリティカルコレクトネス」と名付け、他のどの優れた文明の尺度も認めることなく(HateやRacismの根本がそこにあると気付くこともなく)、また、進化という生物学的時間の限界を無視して人類(文明人)共通の価値観として押し付ける。

 

これが彼らの驕り(独善=教条に囚われた状態)だ。

そして、その宗教的文化観に基づく倫理的嫌悪感が Hate として、宗教的文化観に基づく異文化排斥が Racism という形になって、悲劇として何度も歴史上の教訓・語り草となって来たのです。まさに、彼ら聖典の民)の持つ善と悪という二面的世界観こそが歴史上の悲劇を引き起こしてきた原因そのものなのです。


地震や台風、火山や津波という自然の驚異に数千年以上曝されてきた日本人であれば「自然には、まだまだ人知・人力の及ばぬ領域がある」「人は自然の一部であり支配者ではない」という考えが自然に身についている。自然や人を越えるものに対する畏敬を失わないのはそのためでしょう。

 

「人は自然を支配しコントロールできる」「人類は万物の長であり、人のために万物は存在する」というような発想は、自然に対する畏敬を失っていない日本人にしてみれば、人の驕り、教条化された思想に他ならないと思えるのです。

 

 

1939 中華疆界変遷図 「中国の夢」中華民族の偉大なる復興とは

【中国の夢:中華民族の偉大なる復興とは】


有名な「中華疆界變遷圖」です。

標題は検索結果に反映しやすいように「中華疆界変遷図」としてあります。


1939年発行の中華民国時代の中等学校用地図は、彼ら(中華民族を称する支配階級の人々)が華夷秩序をどう教えて来たかを知る良い史料です。


「中国の夢」「統一中華」「中華民族」なるプロパガンダが、赤い貴族に率いられる人々にどういう「脳内世界」を構築させ、その周辺の国と人々にいかに危険を及ぼすかを想像する必要があります。

 

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真正の歴史的事実に基づいた地図とは言い難いので、以下は気付いた事項のほんの一部を例に挙げたものだ。 

南シナ海で今日チャイナが主張している「9段線」とは異なる海域を過去の中華の境界「舊時國界(旧時国界)」としている。

▼一度も支配下に置いたことのない地域が多数過去の中華界内に含まれている。

Nenki Boko in Japan before 1945 and Indentured Servitude in the 18th century in the British colonies.

A nenki boko job system;

The term nenki boko can mean “indentured labor” and this habit was practiced often before World War II in Japan. Nenki boko meant that people worked for their employers on a contract basis.

They, the workers would work for a fixed number of years, then be free to work on their own. 

 

"Indentured Servitude" in the 18th century in the British colonies:

The employer made a contract with the worker or, his or her parents instead of the sea captain; he did so because he needed labor and the worker or, his or her parents did so they needed conveniences and/or money. Until the late 18th century, indentured servitude was very common in British North America. It was often a way for poor Europeans to immigrate to the American colonies: they signed an indenture in return for a costly passage. After their indenture expired, the immigrants were free to work for themselves or another employer. 

Indentured servitude - Wikipedia

 

However, a nenki boko job system in Japan also enables workers to gain a license to practice in a regulated profession. Most of their training is done while working for an employer who helps the young workers learn their profession, in exchange for their continued labor for an agreed period after they have achieved measurable competencies. Nenki boko usually began at ten to fifteen years of age, and would live in the master craftsman's household or the marchant' one. Most young workers aspired to becoming master craftsmen or managing marchants themselves on completion of their contract.

In the case of geisha girls before WWII, the girls should apply the job by themselves and the employer, okiya lets the girls learn artistic accomplishments, the reading and writing, and the basic education. The employer, okiya is handling all those expenses including the cost of basic necessities of life (as food and shelter and clothing). So if the girl herself or someone wants to be released earlier from her service, she/he should pay the money to cover remaining costs for enterprise on their contract basis. 

 

We can find that almost same system is working in Japan nowadays, sumo wrestlers' training system. If you want to be a sumo wrestler, you join a sumo stable. The master of the sumo stable is handling all expenses for your necessities of life until you become a junior grade wrestler called 'juryo' who earns his living. 

They, the workers would work for a fixed number of years on a contract basis, then be free to work on their own. That is a nenki boko job system in Japan.

 

In the case of comfort women before 1945, the women should have applied the job by themselves, or if not, the parents of their daughters (The person younger than 18 years does not get prostitute :By the promulgation of the prostitute control rule of 1900((娼妓取締規則(明治三十三年十月内務省令四十四号)))) entered into an agreement with prostitution brokers (they were called zegen in Japanese at the time) who advanced a chunk of money to the parents, and their daughters had to work as prostitutes until they earned the advanced money paid to their parents. Afterwards, they were set free.

Usually it took several years, mostly five to seven but during the war it took a year or two and surprisingly some earned over a million dollar a year.

Zegen (prostitution brokers ) didn’t abduct Korean women, and never sold them as merchandise to brothels. The applicants for comfort women must have applied on their own will by statute. Japan STRICTLY PROHIBITED any kind of human trafficking and mistreatment of people. If there were zegen who mistreated comfort women, whether they were Koreans or Japanese, was punished as a criminal by the Japanese authorities. When some Korean or Japanese military men mistreated comfort women, they were also punished by the Military authorities.  

 

“In a world of conflict, a world of victims and executioners, it is the job of thinking people not to be on the side of the executioners.” — Albert Camus

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Madame Butterfly was purchased at 100 yen by Pinkerton, Lieutenant in the United States Navy in the opera. This "100 yen" was the money to cover the remaining costs including the loss of profits in the term of her contract. 

Madama Butterfly - Wikipedia

 

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