kaiunmanzoku's bold audible sighs

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「和邇魚」は、 wojinah 「をきなは(沖縄)」に通じる言葉 古事記 山幸海幸 番外編

琉球人」の発音 は、その音を当時の明人の漢字に当て嵌める(当て字にする)と「倭急拿必周(をじなはひつぉう)」、つまり、 wojinah-hizhou → wojinahーzhou と発音していたらしいと陳侃の使琉球録でわかる。だから、容易に現在の「うちなーんちゅー」の元が「おきなわひと」とわかると、過去のブログで説明した。そして、沖縄は「倭岐魚場」であっても良いとも主張してきた。

次のブログだ。

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そして、今日、平成31(2019)年2月1日、海幸山幸の古事記原文を眺めていたら、下記の事実に気が付いた。

 

「邇」には、もともと ji と言う音がある。だから、

woni「和邇」を woji と濁れば、wojinah (沖縄)は「和邇魚」と書ける

換言すると

和邇魚」の「和邇」を woji と濁って読めば、wojinah「をきなは(沖縄)」になる

つまり

現代沖縄方言の「うちなー(おきなわ)」の語源 wojinah と同じ発音である

 

和邇魚」と書いて、 wojinah 「をきなは(沖縄)」と読む

 

そして、わたつみの国は、和邇魚(和邇と呼ばれる高速船の漕ぎ手の部族、「魚」は部族を表す)がいる海洋国家で一尋和邇(佐比持神=稲冰命)が帰った国。これは、「おきなわ」で間違いないのだと思いついた。

 そう、古事記に「おきなわ」と書いてあるという事だ。

 

 

古事記本文:

即悉召集和邇問曰 今天津日高之御子 虚空津日高爲將出幸上國 誰者幾日送奉而 覆奏 故各隨己身之尋長限日而白之中 一尋和邇白 僕者一日送即還來 故爾告下其一尋和邇 然者汝送奉 若渡海中時 無令惶畏 即載其和邇之頚送出 故如期一日之内送奉也 其和邇將返之時 解所佩之紐小刀 著其頚而返 故其一尋和邇者 於今謂佐比持神

 

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まずは、ここまで。構想が練れたらブログに書こうと思う。

ここまで来たら、本を出しても良いかもしれない。

 

https://2.bp.blogspot.com/-HWlqyXiDKGc/TkIINfTEm-I/AAAAAAAABhs/VId29bCdPco/s1600/CIMG1514.JPG

八千代市保品出土縄文丸木舟(複製・復元品)
八千代市立郷土博物館所蔵

画像はリンクです。下記のリンク先から

花見川流域を歩く HANAMIGAWA RYUIKI wo ARUKU: 縄文丸木舟と大賀ハス8

 

古事記 山幸海幸⑥ 上國(うわつくに)へ和邇(わに)の頚(くび)に乗りて帰国

古事記本文:

即悉召集和邇*1問曰 今天津日高之御子 虚空津日高爲將出幸上國 誰者幾日送奉而 覆奏 故各隨己身之尋長限日而白之中 一尋和邇白 僕者一日送即還來 故爾告下其一尋和邇 然者汝送奉 若渡海中時 無令惶畏 即載其和邇之頚送出 故如期一日之内送奉也 其和邇將返之時 解所佩之紐小刀 著其頚而返 故其一尋和邇者 於今謂佐比持神

 是以備如海神之敎言 與其鉤 故自爾以後 稍愈貧 更起荒心迫來 將攻之時 出鹽盈珠而令溺 其愁請者 出鹽乾珠而救 如此令惚苦之時 稽首白 僕者自今以後 爲汝命之晝夜守護人而仕奉 故至今 其溺時之種種之態不絶仕奉也

 

読み下し:

即ち悉く和邇(をにな)*2を召し集めて問いて曰わく、「今、天津日高の御子虚空津日高、將に(うわ)つ國*3に出で幸(ま)さむと爲(す)。 誰者(たれ)、幾日(いくひ)に送り奉りて覆奏(かえりごともう)さむ」。 故、各(おのおの)己(おの)が身の尋長(ひろたけ)の隨(まにま)に、日を限りて白す中に、一尋和邇(ひとひろわに)、「僕(やつがれ)は一日(ひとひ)に送りて即ち還り來む」と白(もう)しき。 故、爾して其の一尋和邇に、「然らば、汝送り奉れ。 若(なむじ)*4海中(うみなか)を渡らむ時に な惶(おそ)れ畏(かしこま)らしむ無かれそ」と告げて、即ち其の和邇の頚(くび)に載せて送り出だしき。 故、期(ちぎ)りしが如く一日の内に送り奉りき。 其の和邇、將に返らんとする時に佩かせる紐小刀(ひもかたな)を解き、其に頚に著(つ)けて返しき。 故、其の一尋和邇は、今に謂う佐比持(さひもち)の*5なり。

 是を以ちて備(つぶさ)に海の神の敎えし言(こと)の如く其の鉤を與(あた)えき。 故、爾してより以後(のち)は、稍(ようや)く愈(いよ)よ貧しくして更に荒心(うらさ)び起こして迫(せ)め來たり。 將に攻めんとする時に、鹽盈珠を出だして溺れしめき。 其の愁え請えば、鹽乾珠を出だして救いき。 如此(かく)惚(なや)み苦しめしめき時、稽首(ぬかつ)きて、「僕(やつがれ)は今より以後(のち)は汝命の晝夜(ひるよる)の守護人(まもりびと)と爲(し)て仕え奉らむ」と白しき。 故、今に至るまで其の溺れし時の種種(くさぐさ)の態(わざ)絶えずして仕え奉るなり。

 

 現代文訳:

 そこで、海の神丸木舟を操る漕ぎ手たち*6をすべて招き集めて、問い尋ねて

「今、天津日高(あまつひこ)の御子である虚空津日高(そらつひこ)が、海の国から天津神(あまつかみ)の子孫が住む隣国(九州)*7へ旅立とうととしている。誰が、どれほどの日数でお送り申し上げ、帰還の報告ができるものか」

と言った。

ですから、船の漕ぎ手たちは舟の大きさに応じて、日を単位で申し上げる中で、一尋和邇(ひとひろわに)という漕ぎ手

「私なら、日の沈む前*8には、お送りして戻ってまいりましょう」

と言う。

そこでその一尋和邇

「それならばあなたがお送り申し上げよ。おまえが海を渡っていくときには、くれぐれも火遠理の命に怖い思いをさせてはならぬぞ」

と忠告し、その丸木舟の舳に火遠理の命を乗せて送り申し上げた。

一尋和邇は、自分の約束した通りに日のある内にお送り申し上げた。

その帰ろうとする時、火遠理の命は腰につけていた紐のついた小刀*9をほどいて、一尋和邇の首につけて、お返しになった。そういうわけで、その一尋和邇は、今では佐比持(さひもち)の神と呼ばれている。

 

 こうしたことがあって、火遠理の命は、全て海の神の教えた言葉の通りに、その釣針をにお与えになった。ですから、そののちは、は見る間にだんだん貧しくなり、しまいには、ついに心を乱して攻めて来ました。そのがまさに攻めようとする時、鹽盈珠(しおみつたま=潮が満ち満ちてくる玉)を出して溺れさせ、またが慈悲を願って降参すれば、鹽乾珠(しおひるたま=潮が引いて乾く玉)を出して助けました。こうして悩まし苦しめたので、ついに、は額を地に擦り付けて

「しもべである私めは、今この時から、あなた様を昼夜問わずに守る人となってお仕え申しあげます」

と申し上げた。

そういうわけあって、今に至るまで、火照の命の子孫、隼人は、その溺れた時のいろいろな姿を絶えることなく演じて*10お仕え申しあげているのである。

参考:

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http://www.kyoto-kankou.or.jp/upfile/94/994.jpg

画像はリンクになっています。

大住隼人舞|観光情報検索|京都“府”観光ガイド ~京都府観光連盟公式サイト~

 

 

*1:和邇魚:当時の発音は wo-ji-nah、この発音は陳侃の使琉球録(16世紀)の夷語によると「琉球人」を wojinah-hizou と呼び、琉球が wojinah であったのと同じで、「沖縄(をきなは)」に通じている。海神の国、わたつみの国は沖縄と示唆している。(平成31(2019)年2月4日記載)

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*2:和邇とは船だ(船は和邇である)と、因幡の白兎の物語*に謎々の形ではっきり書いてある。

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また、wojinahと読むことで、籠の船を操船したのが翁(鹽椎神、鹽椎翁)であったと考えることも可能

*3:上國:「上」という字には、「いくつか(通常二つか三つ)あるうち(話者の意識から見て)『先に来る』」という意味がある。禮玉(りゅうきゅう)王から見れば、火遠理の命らの天津族の住む九州は北東の隣国である

*4:若:ここは「もし」と訳すより、先の「汝」と畏まった言い方から「お前」と親しげな呼びかけをし直したと解するほうが、後の佐比持神となる若者に相応しい

*5:佐比持神(さいもちのかみ)とは、神武天皇の兄弟のイナヒノミコトを想像させる。母の国、琉球に戻った皇族だ。琉球王と山幸は親族。神武天皇の東征にも海の部族であるわたつみの軍が参加したかもしれない。東征の後琉球に帰り音信不通となったイナヒノミコトと一尋和邇は同一人物かもしれない。

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*6:上記の脚注「和邇」を参照のこと

*7:上記の脚注「上國」を参照のこと

*8:当時の一日は日没まで。他の和邇が日を単位で返事をしているのに対し、一尋和邇は、問い尋ねられた日、その日の日暮れまでに往復すると返事をしている。現代語の「今日中に」より、さらに短いことに注意すべき

*9:小(さ)刀(ひ)と読める。また(ひ)が「氷」に通じる。「さひ」は賽の河原の「さひ」にも通じる。この場合の「賽」は、あの世、黄泉の国の出口を塞ぐ、この世とあの世を結ぶ出入り口であり、境界線である。

*10:隼人舞(はやとまい)

MEMO 憲法改正論議を本質論に変化させるために付け加えたい語句や記述

憲法前文に入れるべき言葉


「日本の歴史と文化の尊重」もしくは「三種の神器承継の精神を護持する」の語句。

 

「民族の存亡を賭して戦った日本史上唯一無二の本土決戦が沖縄で行われた」

 

「失われた領土」としての「北方領土」「竹島」の記述。

 

建国当初からの日本人の平和の誓いとして「日本が世界の、抑圧や差別、貧困や飢餓や恐怖に曝される人々を救う役割において人類の模範となりたい」との希望や抱負。

 

本文中に入れるべき言葉

 

「軍」「武力」

 

「国旗」としての「日の丸」、「国歌」としての「君が代

 

 

 

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古事記 山幸海幸⑤ 鹽盈玉と鹽乾珠 「淤煩鉤」には「倭の煩いの釣針」の意味が隠されている

事記本文:

即取出而清洗 奉火遠理命之時 其綿津見大神 誨曰之 以此鉤給其兄時 言状者 此鉤者 淤煩鉤 須須鉤 貧鉤 宇流鉤云而 於後手賜【淤煩及須須 亦宇流六字以音】 然而其兄作高田者 汝命營下田 其兄作下田者 汝命營高田 爲然者 吾掌水故 三年之間必其兄貧窮 若恨怨其爲然之事而攻戰者 出鹽盈珠而溺 若其愁請者 出鹽乾珠而活 如此令惚苦云 授鹽盈珠 鹽乾珠并兩箇 

 

読み下し:

即ち取り出し清め洗いて火遠理の命に奉りし時、其の綿津見の大神、誨(おし)えて曰く、「此の鉤を以ち其の兄に給わむ時に言わむ状(かたち)は、『此の鉤は、淤煩鉤(おぼち)、須須鉤(すすち)、貧鉤(まずち)、宇流鉤(うるち)』と、云いて、後手(しりえで)に賜え【淤(お)煩(ぼ)・須(す)須(す)、また宇(う)流(る)の六字は音を以ちてす】。 然りしかして其の兄、高田(たかた)を作らば、汝命(いましみこと)は下田(くぼた)を營(つく)れ。 其の兄、下田を作らば、汝命は高田を營れ。 爲然(しかす)らば、吾は水を掌(つかさど)るが故に、三年の間に其の兄、必ず貧窮(まず)しくあらむ。 若し其の爲然(しかす)る事を恨怨(うら)みて攻め戰かわば、鹽盈珠(しおみつたま)を出だして溺(おぼほ)らせ。 若し其れ愁(うれ)え請(こ)わば、鹽乾珠(しおひるたま)を出だして活(い)けよ。 如此(かく)惚(なや)ませ苦しませよ」と、云いて、鹽盈珠・鹽乾珠、并せて兩箇(ふたつ)授ける

 

現代文訳:

 釣針を取りだしてきれいに洗い火遠理の命に差し上げる時に、その綿津見の大神が教えて

「この釣針を持って、あなたのお兄さんに渡す時に、言葉を唱えるやり方は『おぼち*1、すすち*2、まずち*3、うるち*4』と言って、後ろ手でお渡ししなさい。【淤(お)煩(ぼ)・須(す)須(す)、また宇(う)流(る)の六字は、音をそのまま当て字にした。】そうして、あなたのお兄さんが高い場所に田を作るなら、あなた様は低いところに田を作りなさい。お兄さんが低いところに田を作るなら、あなた様は高いところに田を作りなさい。そうすれば、私は水を思いのままに出来るので、三年の間に、あなたのお兄さんは必ず貧乏になるでしょう。もし、あなた様がそうすることを恨みに思って、あなた様を攻めて戦うようであれば、鹽盈珠(しおみつたま=潮が満ち満ちてくる玉)を出して溺れさせ、もし、お兄さんがあなた様に慈悲を願うようであれば、鹽乾珠(しおひるたま=潮が引いて乾く玉)を出して、命を助けて上げなさい。このようにお兄さんを悩まし苦しめなさい」

と言って、鹽盈珠・鹽乾珠、あわせて二つを授けました。

 

参考:

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http://www.pmiyazaki.com/kagura/tamoto_jinjya/12/img/12_10.jpg

画像は次のリンク先に掲載のもので、画像自体がリンクになっております。

潮満珠(しおみつたま)|田元神社 祈年祭(春まつり)(神楽)

*1:「淤」は、泥であり、泥で塞がり、ぬかるんでいることを示す。淤煩鉤で「泥煩いをもたらす釣針」という事だが、Wo という音から「倭の煩い」という意味を含蓄する。それがわざわざ【淤煩及須須 亦宇流六字以音】古事記に注を入れた理由と思われる。なお、本件については、「淤岐嶋」について書いた次のブログを参考にして欲しい。

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*2:須(す)須(す)これも字面だけだと「必ずこうなる」という意味にとれるが、音の意味がある。年が経って古びて錆びてしまう、煤けるの意味だと解したい。

*3:貧乏になる釣針

*4:宇(う)流(る)は、「うるる、水でふやけてしまう」の他、uの音は「于」に通じて「干からびる」に通じる。水難を招く釣針の意味だろう

マルクスの共産主義は、聖典の社会に生まれた「無神論的人間理性崇拝」の一形態

自分達の信仰・信条を絶対正義として、その意見に反する者たちを「ファシスト」「レイシスト」と切捨てて矛盾も恥も感じない人々。
彼らこそが聖典の善悪二面論の世界で神を演じる共産主義者であり、ファシスト、差別主義者である。
つまり、共産党の指導が絶対正義のように扱われ、その指導に反する者たちを「敵」と断じて苛酷な扱いが出来るのは、聖典の善悪二面論の世界で神を演じているからだ。

++

聖典の世界観から逃れられないマルクスによって作られたのが共産主義。そこでは神を否定するが「人が神に代わる」。だから「独裁」が必要。また、聖典が善悪二面論だから、善の勝利のために階級闘争は必須となる。
共産主義の唯我独善の世界観はカルトそのものだ。平成31(2019)年1月28日のメモ。

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マルクス共産主義は、人は他の動物と同じく自然が生み出した進化の賜物ではなく、「神によって神のうつし身(神の子)として作られた」という善悪正邪二面論的世界観の支配する聖典の社会に生まれた「無神論的人間理性崇拝」の一形態だ。

そう、社会の矛盾が次の社会を生み出すという、進化論的な社会進化を論じたはずのマルクスは、ついに自分が生まれ育った聖典の世界を越えることはなかった。

 

だから、人が理論に基づき理性を働かせて社会を変革すれば理想郷が生まれ、そこでは「人間の情動全てがコントロールできる」。そのような空想(妄想)を抱いたマルクスが作った妖怪が共産主義といえる。人が神に代わるのだ。神を否定したうえで。だから「独裁」が必要なのだ。また、善悪二面論だから階級闘争も必要となるのだ。実際には、階級闘争の手段として、その帰結として、階級を指導するとされる独裁者や特権階級を産みだしてしまうにも拘わらずだ。

理想社会建設と言う目的のために手段を厭わない独善。嘘や暴力、抑圧や殺人を自己正当化し恥じることのない妖怪が誕生する。その事すら正当化してしまう。それが共産主義だ。

そう、階級闘争は神の率いる天使たちと悪魔の戦いを、共産党の指導による労働者・農民の資本家・帝国主義との戦いに模しているのだ。そこでは、正義が最後に勝利を収める運命(必然性)が説かれている。

 共産党の指導が絶対正義のように扱われ、その指導に反する者たちを「敵」と断じて苛酷な扱いが出来るのは、聖典の善悪二面論の世界で神を演じているからなのだ。演じるのは妖怪と化した人である。

自分達の信仰・信条を絶対正義として、その意見に反する者たちを「ファシスト」「レイシスト」と切捨てて矛盾も恥も感じない人々が身の回りにいないだろうか。彼らこそが聖典の善悪二面論の世界で神を演じる共産主義者であり、ファシスト、差別主義者である。共産主義者の本体をリベラリストの衣で隠していても、自らの信条を厚かましく正義として押し付けるその言動に、共産主義カルト特有の善悪二面論の本体が見え隠れするものだ。

 

 

マルクスは、人類史上最悪の殺人妖怪を生み出して世を去ったが、理想の実現に(人が神に代わる)独裁が必要と説いた矛盾は痛恨。その矛盾が歴史上で幾度も実証された後も狂信者は絶えず、自らの空想をアヘン化(教条化)することには成功したと言える。

そう、宗教はアヘンと言い、神を否定したはずのマルクスは、ついに科学となるべき自身の思想を実証できないカルトと化したのだ。

  

つまり、マルクスが生んだ共産主義は空想から宗教へ、さらに宗教からカルトヘと思想を変質させたことは、社会「科学」的に間違いないだろう。

習近平思想に沿ったマルクス主義などと評せられる動画を作る「社会」を見れば、それがよくわかる(笑)

 

 

www.cnn.co.jp

 

上記記事を見て思いついたことをFBとブログにメモしておくこととしたのが、この文章だ。

 

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新しいカール・マルクスのアニメ「領風者」の宣伝ポスター/Communist Youth League

 

古事記 山幸海幸④ 赤海鯽魚(たい)の喉を探る

古事記本文:

於是火袁理命思其初事而 大一歎 故豐玉毘賣命聞其歎以 白其言 三年雖住 恆無歎 今夜爲大一歎 若有何由 故其父大神問其聟夫曰 今旦聞我女之語云三年雖坐 恆無歎 今夜爲大歎 若有由哉 亦到此間之由奈何 爾語下其大神備如其兄罰失鉤之状 是以海神悉召集海之大小魚問曰 若有取此鉤魚乎 故諸魚白之 頃者赤海鯽魚於喉鯁物不得食愁言 故必是取 於是探赤海鯽魚之喉者 有鉤 

 

読み下し文:

是に火袁理の命、其の初めの事を思いて大きに一たび歎(なげ)きき。 故、豐玉毘賣の命、其の歎きを聞きて其のに白(もう)して、「三年(みとせ)住むと雖ども恆(つね)は歎くこと無きに、今夜(こよい)*1大きに一たび歎き爲(し)つ。 何ぞ由(ゆえ)有るが若(ごと)し*2」と言いき。 故、其の父の大神、其の聟夫(むこ)に問いて曰く、「今旦(けさ)我が女(むすめ)の語るを聞くに、『三年(みとせ)坐(いま)すと雖ども恆(つね)は歎くこと無きに、今夜(こよい)大きに歎き爲(し)つ』と云う。 若(もし)や由(ゆえ)有りや*3。 また、此間(ここ)に到れる由(ゆえ)は奈何(いか)に」。 爾して其の大神に語ること、備(つぶさ)に其の兄(え)の失せたる鉤(はり)を罰(はた)りし状(かたち)の如し。 是を以ちて海の神、悉く海の大き小さき魚を召し集めて問いて曰く、「若し此の鉤を取りし魚、有りや」。 故、諸(もろもろ)の魚、「頃(このごろ)は赤海鯽魚(たい)、『喉、鯁(のぎた)ちて、物食うことを得ず』と愁(うれ)え言えり。 故、必ず是れを取りつらん」と白しき。 是に赤海鯽魚(たい)の喉を探れば、鉤有り。

 

現代語訳:

三年の月日を経て、この時、火袁理の命は、この物語の初めの出来事を思い出して、大きく溜息をひとつなされた。そういうことで、豐玉毘賣の命がその溜息を聞いて、そのに申し上げるには

火袁理の命は、三年この国に住んでいますが、いつもは溜息をつくようなことはありませんでしたのに、昨晩は大きな溜息をしました。何かわけがあってのことなのでしょう」

 そこで、そのがその婿に尋ねて

「今日の日が昇る時、私の娘が物語るのを聞くと、『三年暮らしているというが、いつもは溜息をつくようなことは無かったのに、昨晩は大きなため息した』と申しました。もしや何か理由が有るのではないでしょうか。また、この国にたどり着いたわけはどのような仔細があったのですか」

と言った。

そういうことで、火袁理の命海の大神にもの語りして、事細かに、兄の釣針を無くして弁償せよと厳しく責め立てる様子をありのままに、伝えました。

 その語ることを聞いて、海の神は、海に住む魚を大小問わず全てを召し集め、問い尋ねて

「もしかしたら、この釣針を取った魚がいるのではないか」

と言った。

するとざわざわと口々に魚たちが

「このごろが『喉に小骨が刺さって、物を食べられない』ともの憂げに言っていました。ですから間違いなくがその釣針を取ったに違いありません」

と申し上げた。

そこでの喉を探ってみると、釣針が有りました*4

 

超訳

わたつみの国で暮らし始めて3年の月日が経ちました。

山幸彦はある晩大きなため息をつきます。

豊玉姫がそれを見て尋ねました。「もしかして、あなたは家に帰りたいのではありませんか」

山幸彦も自分の気持ちを語りました。豊玉姫は父である綿津見の神に山幸彦の思いを話しました。

 

豊玉姫から話を聞いた綿津見の神は「なくしたお兄さんの針を見つけてあげましょう」と言って海の中の全部の魚を集めました。すると、「鯛が『口が痛い』と言ってここに来ていません」と魚たちが言います。そこで鯛をよんでのどの奥を見てみると、釣り針が引っかかっていました。

 

上の超訳は下記で私が訳したもの

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青木繁『わだつみのいろこの宮』 山幸彦と豊玉毘売命の出会いを描く。

画像の出典は、下記より

山幸彦と海幸彦 - Wikipedia

 

 

*1:現代の感覚では「昨晩」となる。当時は日没で前日が終わり今日の夜が始まっている。

*2:「若有何由」は「若有所思」と同じように下から訳した方が分かりやすい。「何か理由が有るようです」の意味

*3:「若有由哉」の「若」は「汝(なんじ)」と呼びかけるようにも聞こえ「哉」という質問形に係っている。ちなみに「若哉(もしや)」は最近見ないが西郷隆盛などが使っている。

*4:山のグループのリーダー、火袁理の命は、わたつみの国との同盟を確かにするため、協力して島の統治にも協力した。その過程で、海のグループ、火照命と密かに同盟を結んでいた島の裏切り者、鯛族を(銅製の釣り針を証拠に)突き止めることで、琉球王の権威が脅かされる可能性を伝え、王の信頼を得たのだろう。鯛の喉とは鯛族が生活していた洞窟かもしれない。

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韓国海軍レーダー照射事件後の韓国政府の説明が論点ずらしに終始する理由についての一考察

#韓国レーダー


「もっともらしい理由を付けて自分たちの方が正しいと主張する奴」
「自分の言っていることは内心理不尽なことと知っている奴」
「正しくないのに拳を振り上げる奴」
「相手の些細なことに因縁付けて話を本筋からずらして攻撃する奴」

 

youtu.be

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古事記 山幸海幸③ わたつみ(海神)の国 

古事記本文:

故隨敎少行 備如其言 即登其香木以坐 爾海神之女豐玉毘賣之從婢 持玉器將酌水之時 於井有光 仰見者 有麗壯夫【訓壯夫云袁登古下效此】 以爲甚異奇 爾火遠理命見其婢 乞欲得水 婢乃酌水 入玉器貢進 爾不飮水 解御頚之璵含口 唾入其玉器 於是其著器 婢不得離 故任著以進豐玉毘賣命 爾見其 問曰 若人有門外哉 答曰 有人坐我井上香木之上 甚麗壯夫也 益我王而甚貴 故其人乞水故奉水者 不飮水 唾入此 是不得離 故任入將來而獻 爾豐玉毘賣命思奇 出見 乃見感目合而 白其父曰 吾門有麗人 爾海神自出見 云此人者天津日高之御子 虚空津日高矣 即於内率入而 美知皮之疊敷八重 亦絁疊八重敷其上 坐其上而 具百取机代物爲御饗 即令婚其女豐玉毘賣 故至三年住其國

 

読み下し文:

故、敎えの隨(まにま)に少し行く、備(つぶさ)に其の言(こと)の如し。 即ち其の香木(かつら)に登り坐しき。 爾くして海の神の女(むすめ)豐玉毘賣(とよたまびめ)の從婢(まかだち)、玉器(たまもい)*1を持ち將に水を酌(く)まむとする時、井に光有り。 仰ぎ見れば麗(うるわ)しき壯夫(おとこ)有り【壯夫を訓みて袁(お)登(と)古(こ)と云う。下、此に效え】。 甚(いと)異奇(あや)しと以爲(おも)いき。 爾して火遠理の命、其の(まかだち)を見、水を得んと欲(おも)うと乞いき。 (まかだち)、乃ち水を酌み、玉器(たまもい)に入れて貢進(たてまつ)りき。 爾して水を飮まず、御頚(みくび)の璵(たま)を解きて口に含み、其の玉器(たまもい)に唾(は)き入れき。 是(これ)、其の器(もい)に著(つ)きて、(まかだち)え離たず。 故、著(つ)けし任(まにま)に、豐玉毘賣の命に進(たてまつ)りき。 爾して其れを見て、(まかだち)に問いて曰く、「若(も)し人、門の外(と)に有りや」。 答えて曰く、「人有りて我が井の上(へ)の香木(かつら)の上に坐(いま)す。 甚(いと)麗(うるわ)しき壯夫(おとこ)なり。 我が王(きみ)に益(まさ)りて甚(いと)貴(とうと)し。 故、其の人、水を乞うが故に水を奉れば、水飮まずして此れを唾き入れつ。 是れえ離たず。 故、入れし任(まにま)に將に來て獻(たてまつ)りぬ」。 爾くして豐玉毘賣の命、奇(あや)しと思い、出で見て、乃ち見感(みめ)で、目合(まぐあい)し、其の父に白(もう)して曰く、「吾が門に麗しき人有り」。 爾して海の神、自ら出で見て、「此の人は天津日高(あまつひたか)の御子虚空津日高(そらつひこ)ぞ」と云いき。 即ち内に率入(いい)れて、美知*2(みち)皮の疊を八重に敷き、また絁(あしぎぬ)の疊を其の上に八重に敷き、其の上に坐(いま)せ、百取(ももとり)の机代物(つくえしろもの)を具(そな)えて爲御饗(みあえな)す。即ち其の女(むすめ)豐玉毘賣を婚(あ)わしき。 故、三年(みとせ)に至るまで其の國に住みき。

 

 現代語訳:

そういうわけで、教えてもらった通りにしばらく行くと、全てが鹽椎神(シオツチノカミ)の言葉のとおりであった。そこでカツラの木の上で待っていると、そのうちに海の神の娘、豐玉毘賣(とよたまびめ)の侍女が、玉の器を持って水を汲もうとしたその時、井戸の水に影が映った。仰ぎ見ると美しい男がいる。大変不思議なことと思った【「壯夫」は訓読みにすると 袁(お)登(と)古(こ)となる*3。以下は同じように読みなさい】。

そこで火遠理の命はその侍女を見て

「水が欲しい」

とお願いした。

侍女は汲んだ水を玉の器に移して、火遠理の命に差し上げた。ところが火遠理の命は、水を飲まずに、自身の首輪の勾玉*4をほどいてそれを口に含んで、プッとその玉の器に吐き入れました。するとその勾玉は器に接着してしまい、侍女はそれをどうしても取り外すことが出来ませんでした。止む終えず首輪の玉が器に接着した、そのままで、それを豐玉毘賣の命にお渡しになった。

 豐玉毘賣の命はそれを見て、侍女に尋ねて

「もしや、誰か門の外にいるのですか」

それに答えて侍女

「見知らぬ人が私たちの井戸の上にかかっているカツラの木の上にいます。大変美しい男です。私たちの王に優るほどの大変身分の高そうな方です。ですから、その人が水が欲しいというので、水を差し上げたところ、水を飲むのではなく、この勾玉をプッと吐き入れたのです。この勾玉がどうしても取り外せないのです。だから勾玉が付いたままお渡し申し上げたところでございます」

 と言った。

そこで、豐玉毘賣の命は、「不思議なこと」と思い、外に出てみると、火遠理の命を見ただけで、すぐにその人となりを知り、話もせずに目だけで事情を察すると、その父親

「私たちの宮殿の門に美しく立派な人がいます」

と申し上げた。

そこで、海の神が自らお出ましになられ、その人と会って

「この人は天津日高(あまつひこ)の御子虚空津日高(そらつひこ)である」

と言った。

海の神火遠理の命を宮殿の中にお招きして、アシカの皮の畳を幾重にも敷いて、あしぎぬの畳をさらにその上に敷いて、その上に火遠理の命を座らせて、多種多様の品々の御馳走でおもてなしなされた。またその娘の豐玉毘賣を娶わせた。そうして火遠理の命は三年*5経つまでその国に住むこととなった。

 

 超訳

山幸彦はそのお爺さんに言われた通りにして海に出ていきました。

 

海の神様の国に着くと、山幸彦は海の神様宮殿の門の前にある大きな木の上に登りました。そこへ、海の神様の娘、豊玉姫トヨタマヒメ)の侍女がやってきて、木の上の山幸彦を見つけました。

山幸彦が「水がほしい」と言うと、侍女は持っていた器に水を入れて差し出したのですが、山幸彦はそれを飲むことなく、首にかけていた玉をとり、口に含んでから器の中に吐き出しました。すると、この玉は器にくっついてとれなくなり、侍女はこれを豊玉姫トヨタマヒメに差し出しました。

その玉を見た豊玉姫は「門の外に誰かいるのですか」と尋ねると、侍女はありのままを報告しました。

豊玉姫は自分の目で確かめようと思い門の外へ出ると、素晴らしい姿かたちの山幸彦に一目惚れしてしまいました。

 

宮殿に戻った豊玉姫はそのことを父である海の神様に報告しました。海の神様山幸彦が天の神様である天津神(アマツカミ)の息子であるとわかり、宮殿に招き入れました。

そして、アシカの皮と絹で出来た敷物を何枚も重ねて座を作り、そこに山幸彦を座らせると、たくさんのごちそうやきれいな踊りで歓待しました。

しばらくして、山幸彦豊玉姫と結婚し、海の神様の国で暮らしました。

 

上の超訳は下記で私が訳したもの

 

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夜光貝の貝器

 

*1:ここに「たまもい」というのは、古代日本で螺鈿細工に用いられたヤコウガイの貝器ではないかと想像する。翡翠等の鉱物では水くみ用として不便であろう。画像参照。なお、ヤコウガイは古くから沖縄・奄美地方の産物として知られている

*2:島根県竹島に生息していた海驢(あしか)は「めち」と呼ばれていたことは有名

*3:火「遠」理の「袁」、「登」る、「古(こ)」の音をもつ「木」、で、袁(お)登(と)古(こ)となる。火遠理が木に登っている様子をも表している

*4:山のグループのリーダーは島の王に血縁者一族であり、また、自分たちのグループに協力することがわたつみの国に利益があることを示すために、一族の証である勾玉(まがたま)を内密に琉球王に見せる手続きを踏む必要があった。

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*5:異界を訪れる際に、そこで暮らす年月はほぼ三年と決まっている。浦島太郎も同様。佐比持神である一尋和邇が稲冰命と同一人物であるとすると火遠理命の息子である可能性もあり、その場合の年月は三年では済まない。

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古事記 山幸海幸② 鹽椎の神(シオツチノカミ) 

古事記本文:

於是其弟泣患居海邊之時 鹽椎神來問曰 何虚空津日高之泣患所由 答言 我與兄易鉤而 失其鉤 是乞其鉤故 雖償多鉤不受 云猶欲得其本鉤 故泣患之 爾鹽椎神云我爲汝命作善議 即造无間勝間之小船 載其船以敎曰 我押流其船者 差暫往 將有味御路 乃乘其道往者 如魚鱗所造之宮室 其綿津見神之宮者也 到其神御門者 傍之井上有湯津香木 故坐其木上者 其海神之女見相議者也【訓香木云加都良】

 

読み下し:

是(ここ)に其の弟(火遠理命ほおりのみこと)、泣き患(うれ)えて海邊に居(お)りし時に、鹽椎(しおつち)の神、來たりて問いて曰く、「何ぞ虚空津日高(そらつひこ、火遠理命)の泣き患える所由(ゆえ)は」。 答えて、「我(あれ)、兄(え)と鉤(はり)を易(か)えて其の鉤を失う。 是に其の鉤を乞うが故に、多(あま)たの鉤を償(つぐな)うと雖ども受けずして、『猶お其の本の鉤を得んと欲う』と云いき。 故、泣き患うる」と言いき。 爾くして鹽椎の神、「我、汝命(なむじみこと)の爲に善き議(はかりごと)を作(な)さむ」と云いて、即ち无間勝間(まなしかつま)の小船を造りて、其の船に載せ以ちて敎えて曰く、「我、其の船を押し流さば、暫(しば)し往(ゆ)くに差*1(つかわ)せ。 將(まさ)に味(うま)し御路(みち)有らむ。 乃ち其の道に乘りて往かば、魚鱗(いろこ)の如く造れる宮室(みや)、其れ綿津見(わたつみ)の神の宮なり。 其の神の御門(みかど)に到らば、傍(かたわら)の井の上(へ)に湯津香木(ゆつかつら)有らむ。 故、其の木の上に坐さば、其の海の神の女(むすめ)、見て相議(あいはか)らむなり【香木を訓(よ)みて加(か)都(つ)良(ら)と云う】」。

 

 

現代語訳:

こうしたわけで、その弟(火遠理命 ホオリのみこと)は泣き憂いて、海辺にうずくまっていた、その時、鹽椎の神*2が来て問い尋ねた

「どうしたのだ、虚空津日高(そらつひこ、火遠理命)が泣き患うわけは何だというのだ」

答えて

「私は、兄と釣針を取り替えて、その兄の釣針を失ってしまったのです。だから兄が釣針を返せと要求するので、たくさんの釣針を弁償しようとしたのだけれども受け取ってもらえず『やはり元の釣針を返して欲しい』と言うのです。だから、泣き患っているのです」

と言った。

そうしたところ、鹽椎の神

「私が、あなた様のために物事がうまくいくように計らって差し上げます」

と言って、たちまちのうちに隙間のない密閉された籠の小舟を作り上げ、その船に火遠理命を乗せて、教え伝えた事には

「私が、この船を押し流しますので、暫くその船が進んで行くのに任せなさい。そうすればあなた様にとって善い道筋となりますでしょう。というのは、その道が行き着くところは、魚鱗のように並び輝く宮殿です、それが綿津見の神の宮殿です。その神の宮殿の門に着いたら、そばに井戸の上にかかったカツラの木が有ります。そうしましたら、その木の上に座っていれば、綿津見の神の娘が、あなたのお姿を見つけてお互いがうまくいくよう計らおうとするでしょう。【その香木は訓読みにすると、加(か)都(つ)良(ら)と云う*3】」

 

超訳

山幸彦が、困り果てて泣きながら海岸にたたずんでいると、海の潮の流れをよく知る神様で塩椎神(シオツチノカミ)という名前のお爺さんと出会いました。

山幸彦がわけを話すと、お爺さんは竹でかごを編んで小舟を作りました。

そして、「このかごの船に乗って海の国へ行きなさい」と言いました。

「私が小舟を押し流したらそのまま進みなさい。そのうちよい潮にぶつかります。その流れに乗ればやがて魚の鱗を並べたように輝く宮殿が見えてきます。それは綿津見の神(ワタツミノカミ)という海の神様の宮殿です。

その海の神様の宮殿の門に向かっていくと、そのそばに泉があり、その近くに桂の木があります。その木に登って待っていなさい。海の神様の娘があなたを見つけてくれるでしょう」

 

上の超訳は下のブログで私が訳したもの

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青島神社 宮崎県宮崎市青島 山幸彦 豊玉姫 塩筒大神を祀る

 

*1:動詞として「行かせる、差し向ける」の意味と解釈すべき

*2:シオツチノオジを別名「事勝国勝長狹神」と呼ぶのは戦いの帰趨を決した役割を何度も演じたからだろう。「オジ(woji)」は、海岸に住む古い部族「鰐(woni)」の一員であり、その代表格(長)で、潮流だけでなく、戦いの帰趨すら読める戦名人だったのだろう。潮流に乗って和邇(woni)と呼ばれる船を操り、わたつみの国と交易も行い、日本海流に乗って北九州や朝鮮半島因幡や東北、沿海州、瀬戸内海や黒潮に乗って伊勢や熱田、安房や小笠原列島の方まで進出していたに違いない。全国の「鬼(woni)」伝説に関係しているのだろう。先祖に猿田彦が関係していると考えている。

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*3:わざわざ訓読みにして、「勝」、「勝長狹」の音を連想させていると思う。事勝国勝長狹神、鹽椎の神(シオツチノカミ) が見守るという寓意と解する

法治の原則が適用されない非倫理的な国家の烙印

法とは規範の一種である。人が社会を形成するようになり社会の中でその構成員は「〇〇すべし」「〇〇すべからず」という義務を負う。それを「規範」という。それらの規範の中で社会が社会を維持するために「強制力」を与えたもの、それを「法」と呼ぶ。


「強制力」を用いて社会維持をする法の執行者を「法権力」と呼ぼう。


法権力、特に国家権力の強制力の行使に、人類は様々なルールを設けて来た。


「成文法」「罪刑法定主義」「法の不遡及」等だ。現代の社会生活にこれらの原則が適用されないとすると社会は混乱するであろう。諸原則が適用されない国家は非倫理的とさえ批判されるだろう。

 

法治の原則が適用されない非倫理的な国家は、北朝鮮だけではない。C国もそうだろう。

 

そういう国のひとつとして、韓国は、現代的主権国家法治国家を運営する能力がないと、国際社会に見做されるだろうし、国際社会は、その強弱の程度はともあれ、それを韓国に「強制力」を持って是正するように迫ることになるだろう。人類が法権力、国家権力の強制力の行使に、様々なルールを設けて来たのと同じ論理で、国際社会がそれ、文明国不変の倫理、を個々の国家に求めるのは避けられないからだ。

 

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