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kaiunmanzoku's bold audible sighs

Be love Be peace Be harmony Be compassion Be joy

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.

歴史 History

教育勅語と大和心

「私は【教育勅語の内容は是】としながら、その精神を活かすために、そこに欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとした国家神道の影をできるだけ落とすことなく扱ってもらいたいと思っている」というのは、この歴史を意識しているから…

馬琴は姑巴嶋を、超能力者である曚雲の千里眼の能力の及ばない遠島、琉球国外の島として椿説弓張月に描いた

椿説弓張月 曚雲の最後の場面 曚雲が慌てて風を起こし、雲を呼んで空中へ上ろうとするところを舜天丸は「姑巴嶋」で三社の神に祈念を込めた桃の枝で作った矢に義家と記した小金の札を取添え、弓を満月のように引き絞って放つと、どこかに鶴の鳴き声がして、…

無中生有(むちゅうしょうゆう)は、三十六計の第七計。

呉の孫堅が荊州の劉表を攻めようと河南省鄧県の辺りへ向かったとき、劉表の最前線は黄祖を大将として対岸(漢江)に堅固な防御線を引いていた。 孫堅・孫策の精兵が群れを成して何度か岸辺に上陸を試みたが、皆ばたばたと射殺されてしまう有り様だった。 戦…

南朝皇統デマ 1457年12月以降、南朝の皇統を継ぐ血統は史実上絶えている

長禄元(1457)年12月の「長禄の変」以降、南朝の皇統を継ぐ血統の行方は、現存する史実では未確認状態です(2017年3月8日17時現在)。 未だに動画サイト等で、南朝の皇統を継ぐ人物が幕末に存在したということを紹介しているものが見受けられ、巷間に流布す…

第0列島線 明朝の海防最前線 / 「海」とは「地(治)の果て」のこと 明朝の国境線は海岸線

「香港は中国の一部ではない」と主張する香港独立派には立派な歴史的文化圏的根拠がある。それは、歴代チャイナ政権が第0列島線を海外勢力との緩衝地帯として海防最前線として来ている事実がそれにあたる。 「国境や国民国家の一体感があまり意識されない時…

第0列島線 福州を出ると間もなく清国の領域外であった 李鼎元 馬齒島歌

李鼎元の漢詩『馬齒島歌』に 「三十六島此門戸、絶類竿塘石虎五」 三十六島、此れぞ門戸なり、はなはだ類す竿塘と石虎五と (読み下し文はいしゐ氏から) 慶良間諸島と久米島という島々「三十六島」は、琉球の門戸である。 清国の門戸である五虎門、馬祖列島…

中國とは文明が栄え仏の教えが説かれている国。中華人民共和国や中華民国のことではない。

【中国とは元々はインド北部地域の事】 正真正銘の中國から 後漢に伝わった「仏説 四十二章経」 に「中國」が出現する。 仏説四十二章経 は、インドから一度さらに西域に伝わった仏教が安息国(イラン)や大月氏経由で後漢に伝わって、元の梵語から漢訳され…

南蛮寺興廃記 即心即仏の奥義

「南蛮寺興廃記」 天正五年(1577年)のことだとされる。 キリスト教側は南蛮寺の学僧フルコム(ルイス・フロイス?)、その他のバテレン、イルマン達である。 仏教側は南禅寺の印長老(268世、梅印元冲?)の他、浄華院の理道和尚、永観堂の深海律師…

第0列島線 「籌海圖編」上半分の島嶼は全て明の海防能力の外側(海防管轄外)だったことを表す

第一列島線を脅かすことに余念のないチャイナだが、彼らが歴史戦を挑めば第0列島線の歴史的文化的意味を問わざるを得なくなる。 古来、東ユーラシアにできた王朝にとって「海」は「界」であった。 陸上勢力である彼らは長く「洋」を知らず、陸の果てをもって…

第0列島線が歴代チャイナ政権の海防最前線だった(明の領域は海岸線まで)

古来、東ユーラシアにできた王朝にとって「海」は「界」であった。だからこそ、歴代王朝は例外なく海岸線を国境とし、沿岸から数十キロ離れた島嶼ですらその権力下に入れることは稀であった。 「香港は中国の一部ではない」と主張する香港独立派には立派な歴…

天寿国繍帳銘文から知る 法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘文は、太子、太子の母、膳夫人の「天寿国」における称号を記した

その光背の銘文に推古天皇の名が記載されていない事をもって、法隆寺金堂釈迦三尊像の光背の銘文に聖徳太子はいなかったとする説には承服しがたい。 奈良県斑鳩町の中宮寺が所蔵する、飛鳥時代(7世紀)の染織工芸品、天寿国繍帳銘文に推古天皇の名があり、…

救世観音大菩薩聖徳皇 親鸞聖人が枕元に見たのは「聖徳太子」であって、「厩戸王」ではなかった。

【「聖徳太子(厩戸王)」であって「厩戸王(聖徳太子)」ではない】 親鸞聖人が枕元に見たのは「聖徳太子」であって、厩戸王ではなかった。 聖徳太子とは、後世に語り継がれてきたものも併せて聖徳太子です。厩戸王も当時のネストリウス派キリスト教の影響…

厩戸王ではなく聖徳太子こそ歴史教科書に相応しい表記

学習指導要領改定案で聖徳太子の呼称を「厩戸王」に変えた問題について、文部科学省へパブリック・コメントを届けた。 聖徳太子は、推古天皇を摂政として蘇我馬子(大臣=おおおみ)とともに支えた実在の人物だ。法隆寺釈迦三尊像の宣字形台座の下座下框の墨…

History / Senkaku 針路を決め船を操っている琉球人が釣魚嶼を航路目標として操船した

日本人が尖閣問題を話すときの1番のポイントは、これだ。 陳侃をはじめとする明国の一行に島を指し「あれが釣魚嶼だ」と琉球人が教えなければ、陳侃は「使琉球録」に「釣魚嶼」の名を残すことはできなかった。 チャイナは、「陳侃の書いた『使琉球録』に史…

御嶽「うたき」は「倭の聖地」の意味か

沖縄「をきなは」が「うちなー」、倭蔗または御蔗「をじ」が「ウージ」と変化したなら、御嶽「をたけ」が「うたき」と変化してもおかしくない。 「を」(wo)は「倭(やまと・日本)」という意味を持つ音で、古代日本人のアイデンティティを示す音だと私は主…

縄文期から日本列島を海上交易で結ぶ一族がいた 沖縄北谷町で東北の縄文土器

ryukyushimpo.jp 因幡の白兎の頃(稲と共に倭が日本列島に渡って来て、居住地を広げ始めていたころ)には間違いなく立派な交易船で行き来していたと信じています。 その仮説の裏付けになればと期待します。 私のブログにおける主要関連部分は下記。 淤岐嶋を…

古事記や日本書紀にある琉球を暗示する言葉

古事記や日本書紀でおなじみの わたつみ 海神 として祀られている 豊玉彦 の「豊」は「礼」の旧字体が「禮」と書くことでも知られているように、Rei の音を持つ。 「玉」は、「球」で、Kyu の音を持つ。 豊玉という言葉は、 ReiKyu 、つまり「琉球」を暗示す…

「鵜戸」「宇土」「宇都」「委奴」は「菟度」であり、海を渡る倭のこと。「委奴」が訓読みされて「ヤマト」となった?

過去のブログで、漢委奴国王印(かんのうとこくおうのいん)の注意書きを下記の通り入れた。 《「倭」と「委」は同音である。wo が 「倭」あるいは「委」として、用いられて不思議はない。》と上記に書いたが、「倭」から人偏(ニンベン)「亻」をわざわざ外…

The List of V.I.P. Yasukuni Shrine Visitors After the War and "War Shrine Chinese Propaganda"

Do you know no country in the world had blamed Japan Politicians' visit to pay homage to the war dead at Yasukuni until August 14, 1985? The List of V.I.P. Yasukuni Shrine Visitors After the War and "War Shrine Chinese Propaganda"

笠紗の岬こそ、天孫の上陸地点 (続)古事記の天孫降臨に言う「韓国(からくに)」とは

神としての天孫は、霧島神宮で祀られ高千穂の峰に降臨したが、生身の天孫一行はウツホフネに乗り、わたつみを渡り来て、笠沙の岬に上陸したのであろう。

陳侃の『使琉球録』にみる沖縄方言の紹介/「うちなーちゅー」は「おきなわひと」の訛り

「日本人」は当時、「やまとひつぉう 」(亞馬奴必周 jamatohizhou → yamatohzto →yomaton-zhou) で「やまとひと」だった。 秘周は hizhou と読み 人 hito の事だと推測できる。 「琉球」は 倭急拿(wojinah )と明語で発音。「をじなは」だろう。(緑色1行201…

(続)陸の真っただ中に海渡(うと)

広島県教育委員会事務局管理部文化財課から、三次市海渡町の地名の伝承と帰海寺所蔵「木造薬師如来坐像」の由来について、下記の通りにご回答をいただいた。 ご協力ありがとうございます。 本件に関する考察は別途行いたいと思っています。 1 「うと」と読…

古事記の天孫降臨に言う「韓国(からくに)」とは「韓国岳(からくにだけ)」であり、天孫降臨の地は霧島神宮

古事記の天孫降臨に言う「韓国(からくに)」とは、朝鮮半島の事というのが通説・多数説のようだが、ウツホフネでわたつみを西南諸島経由で南九州に渡って来た日本人の祖先たちが目印や指標として子孫に伝えようと記録に残そうとするなら、朝鮮半島ではおか…

日本古代史の謎を解くカギは、中世沖縄語の「を」だった。

陳侃の使琉球録に記載してあった「倭的毎」は、その記載の当時「をーつめぃ」と読み、沖縄に置いて皇帝を意味する言葉の「音」を表記する3文字であった。 意味は「皇帝」であり、「大王」のことだ。 中世沖縄で「を」を明の官吏に読ませるために充てた漢字…

陸の真っただ中に海渡(うと)

【陸の真っただ中に海渡(うと)】 広島県三次市に「海渡(うと)」の地名があることを知った。広島と言っても、鳥取との県境に近い陸の真っただ中である。しかも「帰海寺」という寺もある。木造薬師如来坐像は広島県重要文化財と書いてあり、大国主のウサギ…

「漢委奴国王印」は、東ユーラシア大陸出身の倭族が渡って打ち立てた国、鵜戸の国、その国の王の印

「漢委奴国王印」 の「漢の委の奴の国王の印」という表現は、 『漢(から)の菟(倭)が度りし鵜戸の国、その国の王のしるし』 という意味で捉えるしかない。 東ユーラシア大陸出身の倭族が渡って打ち立てた国、鵜戸の国、その国の王の印 という意味である。…

「漢委奴国王印」の「委奴国」は倭が渡って来た国という意味の「うとのくに」だ。

一般に「かんのなのわのこくおういん」と読まれている「漢委奴国王印」の話だ。 「漢委奴国王印(からのうとこくおうのいん)」の「委奴国(うとこく)」は倭が渡って来たという意味の「倭度(うと)」であり、「うのとこく」「うとこく」「うとのくに」等の…

和邇とは船だ(船は和邇である)と因幡の白兎の物語に書いてある

和邇とは船だ(船は和邇である)と、因幡の白兎の物語*に謎々の形ではっきり書いてある。 和邇が列をなして伏す場面がそれである。 和邇列伏 を(わにれつをなしてふす)と(わにに「伏」をつらねる)と読んでその通り並べてみると、実際には縦書きだが、 和…

稲を持ちし倭、丸木舟の上を渡る 因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 まとめ

「兎度和邇上」*の和邇の上を渡るウサギは因幡のウサギ「因幡之菟」なので、 「稲羽(稲穂)之菟(倭)度和邇上」稲穂の倭、和邇の上を度る (稲を持ちし倭、丸木舟の上を渡る)とすれば、意味が一層鮮明になる。 稲穂を持った日本人の祖先たちが、和邇と呼ばれ…

(付録)因幡の白兎 兎と鰐 大国主命

誰と出会っても恋に落ちず、強く惹かれる人もなく、「世界は私と貴方(和邇)だけよ、私と貴方、本当に私と貴方だけ、と大勢の男を騙して、ここまで来たのに、最後の最後に、貴方に衣を全て脱がされちゃったわ」 私、騙したつもりの元カレに騙されて日光が降…

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 解説

ウサギ族は海の向こうの国から、多くのウツホフネ(菟乍歩伏寝)を連ねて、幾夜となくその船の中で寝起きしながら、わたつみを越え渡って来た種族である。特に因幡のウサギの一族は稲穂を日本に伝えた種族として特徴のある一族である。稲羽とは「稲を伝えた…

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (4)

【超訳】 私、騙したつもりの元カレに騙されて日光が降り注ぐ浜に連れて来られ、いつのまにやら裸に剥かれちゃって、気が付いたら浜辺で気絶していたのね。だからひどい日焼けだったの。日焼けをあなたの兄弟の教えてくれた方法で治そうとしたら、火傷が重症…

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (3)

恋に落ちることもなく、こう言う人が良いという理想も、「この人なら」と強く惹かれる人もなく、いままで私が大勢の男たちを欺いて来たのに、とうとう最後のあなたに衣を全て脱がされてしまいましたね

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (2)

【超訳】 裸のウサギに、「そのひどい日焼けを治すのには、海水を浴びて風にあたると良いから、高い山の風当たりのよい尾根で横になっていなさい」と大国主の兄弟たちが教えた。だからウサギは教えられた通りにした。そうしたら体中の皮が剥けて、そこに塩が…

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (1)

【超訳】 #大国主命 の兄弟は大国主をのけ者にして、「国」とはあいつには不相応だとばかり、大〇主(大穴文字=#大穴牟遅)と「国」の字を抜いて呼んでいた。八上姫をものにしようとみんなで稲羽に出かけたときも、大国主にだけ袋を持たせ従者として従えていっ…

History / Senkaku 清代台灣古地圖 福建全圖 

清代台灣古地圖 発行年不詳 台湾府を治める台湾県は4つの地域からなると説明しているが、尖閣諸島を表す文言はなく、地図にも記載されていない。 台湾島付属諸島である澎湖諸島が記載されているのと対照的である。 上記は2013年5月5日に下記のFBに紹…

History / Senkaku 大日本輿地全圖 明治19年 吉川秀吉編集 荒賀精一校閲

大日本輿地全圖 明治19年 吉川秀吉編集 荒賀精一校閲 Meiji shinkoku yogo sonyu Dai Nihon yochi zenzu = The map and chart of Japan 1886. Digital Collections - Maps - 880-01 Yoshikawa, Hidekichi. Meiji shinkoku yogo sonyu Dai Nihon yochi zenzu …

History / Ryukyu 琉球王国正史 『中山世鑑』

琉球王国の初めての正史である中山世鑑によれば鎮西八郎こと源為朝が琉球に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になったとする記述がある。 源為朝を祖とする舜天王朝は3代目の義本王の時に一旦滅んだが、後に第一尚氏が倒れ­たあと新王統を開いた、第二尚氏の…

稲冰命のこと と 余談

海幸彦と山幸彦の物語* で 「稲冰命=イナヒノミコト(5)が、琉球に帰ることでヤマトとわだつみの国との正式の交流は、その後回復することなく途絶えたと思われる。記録が絶えてしまうのだ。」 と書いたことについて、一言述べておこう。 「冰」は、現代語…

日本人を考える 昔話の「鰐」は早船を操る人や船の事で「をに」鬼と同義だった? 

2016年11月2日現在の私の脳中での独り言 高天原(チベット高原)からガンジス河口へ、そこから天の岩船に乗り越南・長江河口へ。ここから二手に分かれたのだろう。 いずれの部族も稲穂を持って? ひとつは一気に五島列島経由で北九州・朝鮮半島へ渡って来た…

海幸彦と山幸彦の物語(7)神武天皇の誕生まで

【鵜葺草萱不合命の誕生】 しばらくして、豊玉姫がわたつみの国から山幸彦を訪ねてきました。 豊玉姫はわたつみの国で山幸彦の子を身ごもったので夫の元で出産すると伝えたのです。 そして、海岸に屋根を鵜の羽根と萱で葺いた産屋を建てようとしました。しか…

海幸彦と山幸彦の物語(6)海幸彦の服従

【兄の海幸彦、隼人族の服従】 山幸彦は、兄の海幸彦に釣り針を返す時、綿津見の神に言われたとおりにしました。 すると、兄の海幸彦はだんだん貧しくなり、そのことで弟の山幸彦を恨むようになりました。そして、ついに弟に攻めかかりました。 弟の山幸彦は…

海幸彦と山幸彦の物語(5)山幸彦の帰国

【帰国】 わたつみの国で暮らし始めて3年の月日が経ちました。 山幸彦は時々ため息をつきます。 豊玉姫がそれを見て尋ねました。「もしかして、あなたは家に帰りたいのではありませんか」 山幸彦も自分の気持ちを語りました。豊玉姫は父である綿津見の神に…

海幸彦と山幸彦の物語(4)わたつみの国

【わたつみの国】 山幸彦が、困り果てて泣きながら海岸にたたずんでいると、海の潮の流れをよく知る神様で塩椎神(シオツチノカミ)という名前のお爺さんと出会いました。 山幸彦がわけを話すと、お爺さんは竹でかごを編んで小舟を作りました。 そして、「こ…

海幸彦と山幸彦の物語(3)道具の交換

海で漁をして暮らしていた兄の海幸彦と山で狩りをして暮らしていた弟の山幸彦

海幸彦と山幸彦の物語(2)海幸彦と山幸彦の誕生

【海幸彦と山幸彦の誕生】 やがて、コノハナサクヤヒメが身ごもりました。 そのことをニニギノミコトに報告しました。しかし、ニニギノミコトは喜びませんでした。 結婚してすぐにできた子なので、自分の子ではないと疑ったためです。 その様子を見て、コノ…

海幸彦と山幸彦の物語(1)天孫降臨

高千穂(タカチホ)に降り立ったニニギノミコトは、ある時、今の鹿児島県のどこかの岬である笠沙の岬(カササノミサキ)で、それはとても美しい女性に出会いました。その女性は木花佐久夜比売(コノハナサクヤヒメ)と言いました。

History / 古代日本と琉球 海彦(海佐知)と山彦(山佐知)の物語を解釈する

大昔の九州で 山を生活の場にしていたグループと 浜辺を生活の場にしていたグループがいた。 もともと一つの部族であったが、すでに米を主食とし農耕を行っていて何世代も経ち、部族の人口が増えていくにしたがって、部族はいくつかの集団に別れていった。 …

History / Senkaku  1890年英国の地図 尖閣諸島(Tiayusu Hoapin)を宮古島諸島(Majico Sima Is)としている

ボストンパブリックライブラリー所蔵の「The library reference atlas of the world 1890」に掲載されている「CHINESE EMPIRE AND jAPAN」と「Japan(DAI NIPPON)」の二つの地図を紹介する。 The library reference atlas of the world by Bartholomew, J. G.…

History / Senkaku 1856年の東アジア図 尖閣諸島が無主地として描かれるドイツ地図 南シナ海にチャイナ支配の形跡なし

Kiepert's Hand-Atlas として知られるドイツの地図帳の初版本(1860年出版)のアジア図(1856年調製)を紹介する。 本地図は、Kiepert's Hand-Atlas 1860 の30ページに Oost-Azië / East Asia (1856) として掲載されている地図である。 http://www.atlassen.…

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