「海」は「界」であった。
明や清、現代でも支那方面では東シナ海を「東海」と呼ぶ。東の陸の果てという意味である。
「海」の字の原義は「陸の果て」という意味だ。黄河発祥の文明が長く「洋」というものを知らず、陸の果てを以って「界(カイ)」と成した所以である。
「東海」が東の陸の果て以上の意味を持たなかったのは、大明一統志、大清一統志に王権の及ぶ範囲が海岸線までであったことを見てもわかる。
隋書の琉球国伝で義安から琉球を撃つために航海して高華嶼に至ったという意味のことを「自義安浮海撃之 至高華嶼」と表現したのは必然であった。
画像は 読売新聞 平成25(2013)年1月21日 夕刊第12面