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History / Ryukyu  陳侃の『使琉球録』雑記  『わだつみ』と読める『倭的海(日本の海)』と書き、16世紀の明人にチャイナ語で発音させれば、中世沖縄方言の『皇帝』になる

陳侃の『使琉球録』にみる沖縄方言の紹介

 

沖縄歴史情報研究会 http://www.okinawa.oiu.ac.jp/ で陳侃『使琉球録』が公開されている。その中に『夷語』として、沖縄方言にチャイナ語の読みが付されて紹介されている章がある。

 

興味を持ったので抜粋する。

詳細は、

http://www.okinawa.oiu.ac.jp/cd/dai-8/%92%C2%8A%A4/ch/08/00000001.gif 以降

http://www.okinawa.oiu.ac.jp/cd/dai-8/%92%C2%8A%A4/ch/08/00000009.gif  まで

の各頁をご覧ください。

 

これは、0002の画像

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0003

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一月「しょうがつ」二月「にがつ」・・・九月「くがつ」十月「じゅうがつ」

十一月「しもつき」十二月「しわす」らしい。

龍が「たつ」であり、虎が「とら」であるのは全く違和感がない。

 

0004

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当時の沖縄方言でも現在(の標準)語として通じる言葉がたくさん見られる。

羊は「ひつじ」獅子は「しし」といった具合だ。

0005

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「日本人」は当時、「やまとひつぉう 」(亞馬奴必周 jamatohizhou → yamatohzto →yomaton-zhou) で「やまとひと」だった。
秘周は hizhou と読み 人 hito の事だと推測できる。
 
琉球」は 倭急拿(wojinah )と明語で発音。「をじなは」だろう。(緑色1行2016年10月30日追記)
「日本の」という意味の「倭」という文字が音を表すために使われているのも注目だ。
同じく、琉球人も「をじなはひつぉう」に近い発音 (倭急拿必周 wojinah-hizhou → wojinahーzhou )だった。これは、容易に現在の「うちなーちゅー」の元が「おきなわひと」の意味とわかる例だ。
沖縄の「お」が Wo で「倭」と同じ発音なのは重大な意味があるかもしれない。(緑色1行2016年10月30日追記)

 

 注目は、「皇帝」のよみが「倭的毎」となっていること。チャイナの音を無視すると「わだつみ」と読めないこともない。海神であれば大変なことだ。が、これを書いた当人は wodidai?wodedai?woteda?等の読みのつもりで書いたはずだ。この読みはすべて我が国王の意味である。

  ちなみに teda「てだ」は、沖縄では太陽であり、王であるとは、私でも知っている。もしこれが wojinahteda「うちなてだ」であれば、琉球王(琉球の太陽)で間違いないところだ。wojinahteda「うちなてだ」の jinah の部分が di や te に変化して woditeda、woteteda と言う風に倭的毎とチャイナ語で読みを振れるような変化を遂げたと考えられるなら、「皇帝」を意味する読みである「倭的毎」つまり我が国王は「わたつみ」の意味を持っていた言葉だったと考えられるのではないかと想像する。

 いっそのこと、0003 の「月」の読み方と同じとして「的」を tsu と読めば、wotsumiと(mi は日本語の音、チャイナの音では wotsudai か wotsuda となる)より、「わだつみ」に近づく。

毎の音を dai da とするのは間違いで mei mai myui mui meei とすべきだった。したがって、上記の wodidai?wodedai?woteda?は wodimei? wodemei? wotemeei? となる。

同じように、0003 の「月」の読み方と同じとして「的」を tsu と読めば・・の部分は、wotsumeiか wotsumeeiとなり、そして、wotsumei や wotsumi であれば、より「をーつみ」「うぉーつみ」「わたつみ」の音に近づく。音と表記から考えて「倭の民」であり「倭の海」が支配者だということだろう(緑文字部分は、2016年11月4日にその後の考えを追記した)

  しかし、中世沖縄の方言は古代の倭語(日本語)を伝えているのだから、海神(わだつみ)の起源は案外こんなところにあるかもしれない。その場合、中世沖縄方言=古代日本語で「倭の海(の王)」が「わだつみ」だったと言うことになる。

 一つ確実にいえるのは、「毎」と「海」とは同じ音を持つから「『わだつみ』とも読める『倭的海(日本の海)』と書いて、16世紀の明人にチャイナ語で発音させれば、中世沖縄方言の『皇帝』になる」ということである。

 『使琉球録』を見たり読んだりする人々は、まず第一に時の明国の朝廷関係者だろうし、彼らが皇帝を敬い憚るのは当然である。それが、倭的「海」ではなく、「毎」を読みに用いた理由であろう。書く方も読む方もそれを多分に意識した可能性が容易に推測できる。

 

日本神話の世界にあまり詳しくない方に注釈

  「わだつみ」と入力すれば「海神」と変換しますが、その通り日本の海の神様で古事記日本書紀に登場します。伊邪那岐(イザナキ)・伊邪那美イザナミ)の神産みによって生れて登場する大綿津見神(おおわたつみのかみ)がその神様です。海彦と兄弟げんかをした山彦が立ち寄る先がわだつみの国です。その国は古代日本の近海にある国です。沖縄語の「皇帝」つまり国の支配者が「わだつみ」と関係があるとすれば、「沖縄=わだつみの国」説が成り立つわけです。今のところ想像と推測の域を出ませんが面白い発見だと自分では思っています。

 

いずれにせよ、まずは専門家の研究を待ちたい。

 

0007

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肉は「しし」。眉は 「まゆ」だ。

目は ”みー” ではないらしい。専門家に聞かないと分からない。前が「まぃぇ」とあることから想像すると「いぇー」か?

髪が ”からじ” ではなく「から」で ”じ” が入らず、頭が "ちぶる" ではなく「こぅらんじ」と言う聞きなれない読み方で後ろに ”じ” が入っている。もともと頭の読みである「こぅらんじ」が「かぅらんじ」→「からじ」と変化して、髪の意味になったのかもしれない。これも専門家の領域だ。

0009

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0009 には「いろは」が引用されて読みが付されている。

「を」の音が「倭」と表記されていることにご注意願いたい。

wo の発音が「う」や「お」、そして「わ」の音ばかりでなく『倭』の意味にも通じていることが重要だと考えている。(緑色の行は2016年10月30日に追記)

続きの頁はこちら 

http://www.okinawa.oiu.ac.jp/cd/dai-8/14.htm

 

『使琉球録』を見たり読んだりする人々は、むろん当時の明国の朝廷関係者が第一である。それを思えば、「いろは」の引用は明国の沖縄と日本の関係に対する認識として注目するに値するのではないだろうか。

 

思うに、陳侃だけでなく、当時の明の知識階級は琉球王国が日本文化圏であったことを理解していたのではなかろうか。

 青字部分は2015年11月7日に加筆した。

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