沖縄のオモロに「いくさもい(yikusamoyi)」という未だに謎の言葉があるが、 掖玖 (「やく」と読まずに「Yikkyu」と読んでみる事、つまり掖玖は琉球と考えること、については下の方を参照して欲しい) と言う文字と関連があるかもしれないと連想した。あくまで、素人の考察であることをお断りしておく。
Yikkyu Samuree と解釈してみるということだ。
つまり、琉球と八幡(usa=宇佐)を結び付ける言葉と言う解釈である。
訳すと、「琉球生まれの(隼人《倭》族の)武人の指揮官(さむれ=さむらい)」という意味ではないだろうか。舜天が九州からの落人の子であるという伝説を下地に考えれば、義本や英祖は琉球生まれの太陽(てだ)である。
一 ゑぞのいくさもい 月のかず あすびたち ともゝと わかてだ はやせ
又 いぢへきいくさもい
又 なつはしげちもる
又 ふよはおざけもる
私の訳ではこうなる。
一 伊祖(地名)の琉球生まれの武人よ 月々に 祝宴をして いつまでも わが王(倭太陽=皇帝)を 誉め讃えよ
又 立派な琉球生まれの武人よ
又 夏には神酒を盛り
又 冬には御酒を盛って
ここに至るまでには、次の大きな3つの考察がある。
1.「掖玖」の解釈について掖玖とは琉球であると二つのブログを書いた
2.隼人族の残した「う」の付く地名と「倭」を”wo”と発音した可能性と、それによって導かれた連想から、いくつかの仮説を立てた。
このブログで「倭的海」は「うーてだ」と発音し「わが皇帝」の意味になると論じた
参考:伊祖公園のオモロの碑の解説では、
「いくさもい」は英祖の幼名としている。
また、「てだ」を「太陽」(と解説しながら)=「王」と対訳では訳しきれていないようだ。「はやせ」を「栄やせ」としたため、「誉め讃える」意味を後ろに廻してしまったのだろう。