教条(ドグマ)が支配する価値偏重社会では、事実や真実を見極める事より、いかに世界が自分たちの価値観に沿って動いているかを随時確認し主張する作業が優先される。
共産主義者やカルトが荒唐無稽な作り話が好きなのはそのせいだ。
そして、その確認作業は自己の正当化のために行われるため、その集団や社会に必須のものとして強迫観念化する。
しまいには、その脅迫観念がその集団や社会を支配する段階まで続けられ、さらにドグマを強化する。教条主義者の集団や社会は必ず過激化する。
一旦洗脳されるがごとく教条にひれ伏してしまった人々は、外部からの「洗脳を解こうとする行動や言葉」によって、自己の不安や葛藤を鏡に映すがごとく見たり聞いたりすることになる。なぜなら、説得を試みる人々は教条の危険性や矛盾を指摘し、被説得者の信条を揺さぶろうとするからだ。
したがって教条主義に囚われた囚人たちは、強迫観念をますます増幅強化して行く、
自分の内面で小さな「気付き」がない限り戻れないし、過激化するというわけだ。