「ここは、方角から韓国(からくに)と名付けた山に向き合い、笠紗の岬にも道が通じていて、朝日のまっすぐに射す国、夕日の照り輝く国である」
於是詔而此地者向韓國真来通笠紗之御前而朝日之直刺國夕日之日照國也
を
是(ここ)に詔(の)りたまわく、此地(ここ)は、韓國(からくに)真来(ままき)たるに向かひ、笠紗(かささ)の御前(みさき)に通(つう)じ、朝日の直刺(たださ)す國、夕日の日照(ひで)る國なり
と読み下ししたのである。
さて、わざわざ「韓国」が古事記のこの部分に出現した理由は先の記事で理解できるし、「日向の国」の語源も理解できるだろう。
あと一つ問題が残っている。
「笠紗之御前」である。
ここでご先祖様たちが「笠紗之御前」を記録に残す理由は、一つしかない。
ウツホフネで天孫一行が上陸した地名、上陸地点である。
神としての天孫は、霧島神宮で祀られ高千穂の峰に降臨したが、生身の天孫一行はウツホフネに乗り、わたつみ(倭度的海)を渡り来て、笠沙の岬に上陸したのであろう。
なお、倭度的海とは、倭が渡って来た海という意味であり、倭を”wo”と発音することと、因幡の白兎の考察から結び付けた「当て字」である。
つまり、「わたつみ」の音に、倭度(woto)、的海(tsumei)の意味が隠れているのではないかと考えたものだ。