【「聖徳太子(厩戸王)」であって「厩戸王(聖徳太子)」ではない】
親鸞聖人が枕元に見たのは「聖徳太子」であって、厩戸王ではなかった。
聖徳太子とは、後世に語り継がれてきたものも併せて聖徳太子です。厩戸王も当時のネストリウス派キリスト教の影響を受けた名前で否定する気はありませんが、現在的価値を持つ言葉ではありません。「その言葉で太子を言い表すことが出来ない」という意味です。
聖徳太子の在りし日の仏教への貢献が、後の世の救世観音大菩薩聖徳皇に繋がっていくことは、誰もが認めている事なのです。ですから、厩戸王の呼称がまかり通ると、その歴史的価値、日本の仏教の礎を築き、菩薩として崇拝を受けるに至るまでの尊敬の源、源泉を見失ってしまうことになりかねません。それは一種の文化破壊、歴史的抹殺ですらあります。
括弧の中に入るべき言葉は(厩戸王)であって、「聖徳太子」ではありません。