FBへの投稿から
気に入らないからと言って、犬の群れのように集団で噛みついて「ヘイトだ」「レイシズムだ」とレッテルだけ貼って屈服させるなら、それはファシズムだ。文革の手法だ。
そして、ヘイトやレイシズムの定義を議論するのも徒労だ。そんな方向に議論を振ってはならない。現実の政治において、万が一にも感性に寄り添う議論が必要ならそれは心理学に一旦は任せるべきだ。現実の政治では、何が困難を解決する方法なのかという方法論を《あらゆるタブーを無視して》ひたすら論じるべきなのだ。国民にとっての共通の利益と言うのは目の前の困難の解決そのものなのだから。本来議員が議会で論じるために議会での発言で責任を問われないという意味はまさにこの部分にあるのだ。
目の前の困難を解決する道を閉ざす議論やそれを意図して行おうとする人々には常に警戒を怠ってはならない。彼らは社会の敵だ。