中国の明王朝の公式日誌「皇明実録」の中に、明の地方長官が日本の使者との間で、
「明の支配する海域が尖閣諸島(沖縄県)より中国大陸側にある台湾の馬祖列島まで」と明言し、「その外側の海は自由に航行できる」
とした記述を長崎純心大の石井望准教授(漢文学)が見つけ、
2013年1月21日に長崎市内で記者会見して明らかにした。
石井氏の発見したのは、江戸時代初期にあたる1617年8月の皇明実録の記述である。沿岸を守る長官「海道副使」だった韓仲雍が、長崎からの使者・明石道友を逮捕・尋問した際の記録で、皇帝への上奏文として『皇明実録』中の
「神宗顕皇帝実録」巻之五百六十に納められていた。
それによると、海道副使である韓仲雍は明石道友に対し、
沿岸から約40キロ・メートルにある「東湧島」(現在の馬祖列島東端・東引島)
等の島々を明示したうえで、
この外側の大海(「溟渤(めいぼつ)」)を
「華夷の共にする所なり」とし、
中国でも他国でも自由に使える領域(現代で言う公海)だと指摘している。
韓仲雍が北から順に列舉した
臺山・礵山・東湧・烏坵・澎湖・彭山の六島は、
福建沿岸の諸島嶼中で海岸から最遠の線を構成する。
即ち福建の海防の東限を日本人に告げたのがこの言葉である。
臺山:中華人民共和國福建省福鼎市の臺山島。
福鼎の海岸から約四十キロメートル。
礵山:中華人民共和國福建省霞浦縣の四礵列島。
霞浦の海岸から約二十キロ。
東湧:中華民國連江縣東引島。馬祖列島の東端。
大陸海岸から約四十キロ。
烏坵:中華民國金門縣屬の烏坵嶼。
福建省中部の莆田市の海岸から約二十キロ。
彭湖:臺灣西南部と福建との間の群島。
福建省南部の廈門から約百二十キロ。
彭山:福建の最南端の南澳島の沖合、今の廣東省の南澎列島。
海岸から約三十五キロ。
尖閣諸島は、中国大陸沿岸から約330キロ・メートルも離れて点在する島々であり、
中国でも他国でも自由に使える「華夷の共にする」領域にある「無主地」であると明朝が看做していたことになる。
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