故備如敎覺整軍雙船度幸之時 海原之魚 不問大小悉負御船而渡 爾順風大起 御船從浪 故其御船之波瀾押騰新羅之國既到半國 於是其國王畏惶奏言 自今以後 隨天皇命而 爲御馬甘 毎年雙船 不乾船腹不乾楫 共與天地無退仕奉 故是以新羅國者定御馬甘 百濟國者定渡屯家 爾以其御杖衝立新羅國主之門 即以墨江大神之荒御魂爲國守神而 祭鎭還渡也
故、備(つぶさ)に敎え覺しし如く軍(いくさ)を整え船を雙(なら)べて度り幸しし時、海原(あまはら)の魚、大き小さきを問わず悉く御船を負いて渡りき。 爾くして順風(おいかぜ)大いに起こり、御船は浪に從いき。 故、其の御船の波瀾(なみ)は新羅の國に押し騰がり、既に國の半(なか)に到りき。 是に其の國王(こにきし)、畏れ惶みて奏して言いしく「今より以後(のち)は天皇の命の隨に、御馬甘(みまかい)と爲て、年毎に船を雙(な)べて、船腹乾さず、(さお)楫(かじ)乾さず、天地(あめつち)の共與(むた)、退(や)むこと無く仕え奉らん」。 故、是を以ちて新羅の國は御馬甘と定め、百濟の國は渡の屯家と定めき。 爾くして其の御杖を以ちて新羅の國主の門(かど)に衝き立て、即ち墨江の大神の荒御魂を以ちて國守ります神と爲て、祭り鎭めて還り渡りき。
そこで、大神が詳しく教えてくれた通りに、軍容を整え、船を並べて海を渡っておゆきになる時に、海にいる魚が、大小を問わず、全て御船を背負って渡った。 しかも追い風が強く吹いて、御船は波に乗って早く進んだ。 というわけで、その御船を乗せた波は新羅の國に船を押し上げ、その国の半ばまでも押し寄せた。 このことに新羅国王は、恐縮して「今から以後(のち)は天皇のご命令に従って、[天皇の]お馬の飼育係となって、毎年船を列ねて、船の腹も乾くいとまが無いように、また棹や舵も乾くいとまがないように、この世が続く限り、絶えることなくお仕え申しあげます」と申し上げた。 こう言ったわけで、これ以降、新羅の國は御馬甘(みまかい=お馬の飼育係)として定め、百濟の國は渡の屯家(とのみやけ=海の向こうの直轄地)と定めた。そして[神功皇后]は御杖を新羅国王の城門に衝き立て、住吉三神の荒御魂を国を護る神として、祭り鎭めて海を渡ってご帰還なされました。