1849年のドイツ地図
Meyer's Zeitungs-Atlasのうちの
チャイナ図
1849年は和暦で嘉永2年、清の 道光29年
▼台湾島の西岸と北方の小島のみがチャイナとして描かれている。台湾の東半分と尖閣は地図に描かれていない。澎湖諸島、琉球嶼が描かれているのと対照をなす。
▼少なくとも、台湾島の東半分は清ではなかった。
▼台湾島北方に描かれる小島も沿岸部にごく近い島嶼と思われる。
▼海南島と台湾島の西岸部を除くと、我々が第0列島線と呼ぶ東ユーラシア大陸沿岸に隣接した島々だけが清朝の領土であった。
拡大図
地図左上の拡大図
チャイナ本国(CHINA-PROPRIA)の文字が確認できる。
▼”propria” はラテン語 ”proprius”の女性単数主格。「固有の」と言う意味がある。このことから、当時のヨーロッパ人の「チャイナ固有の領土範囲」の認識が分かる。
▼チベット、ウイグル、モンゴル、満州等はチャイナ固有の領土ではないことが一目瞭然である。
▼現在、中華人民共和国周辺部でチャイナ共産党が「古来からの中国領土」として「中国の夢」や「統一中華」という主張で権利を主張している Aksai Chin, Arunachal Pradesh, Tawang, Doklam, Bhutan, Kashmir, 南シナ海が、どれ一つとしてチャイナではないことが分かる。むしろ、チャイナの主張が関係国にとっていかに荒唐無稽で受け入れがたいものであるかが理解できるだろう。清の道光帝と言えば清朝の賢帝として知られ清朝の栄華を生きた皇帝だ。
読み込みに時間がかかる場合があるので、下記にスクリーンショットした画像を貼っておく。
なお、上記のチャイナ図は
Meyer's Zeitungs-Atlas (1849-1852) 15. Asien (Nº 58, 1849) のAzië / Asiaの一部である。