kaiunmanzoku's bold audible sighs

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母の写真

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4年前に亡くなった母が残した記念写真、左上が破れていた。脳梗塞で倒れた母は亡くなるまでの1年余りを寝たきりで過ごすのだが、その母を見舞ったときに写真のどの子が母なのか聞いたが、指し示すことができなかった。母の旧姓は和田。大阪の船場に隣接する北堀江通で業界紙を営む経営者の次女として生まれた。曽祖父和田民太郎は赤玉フトンと関係があるらしいが、それも聞く機会は失われた。

「櫻井の別れ」「櫻井驛」は、私の親の世代以上では誰知らぬものがない故事だったという。これも現代人に忘れ去られた心なのだろう。

 

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曽祖父の民太郎が創業し、祖父の龍太郎(後列右)が引継ぎ大きくしたと聞いたことのある「大阪塗料船具新報社」の前の家族写真。祖父の隣に立つ祖母は八重。左は曽祖母の「ため」であろうか、わからない。龍太郎は清水家から和田家に養子に入り今川八重と婚姻したと聞いている。祖母の今川八重は加古川高砂から嫁入りしたそうだ。

新聞社は祖父竜太郎の死後、前列右端の伯父の民朗が継いだが後継ぎがいなくて廃業した。

前列真ん中の女の子が母だ。いとさん、中いとはん、なかはん、こいはんと呼ばれていた4姉妹の「中いとはん」が母だ。一昨年一番下の「こいはん」が亡くなり、写真の人物はみな故人となった。

右の写真は長女(私の伯母)と次女(私の母)の写真。伯母は大変綺麗な人だった。

 

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すぐ下の叔母と母(左)。このころは堺市の浅香に住んでいた。

 

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母と私。神戸市灘区で。父方の叔父に撮ってもらったことを覚えている。3歳ぐらいだったろうか。

 

母方の祖父、和田龍太郎が曽祖父から引き継いで経営していた大阪塗料新報社の新聞がマイクロフィルムの形で国立国会図書館にあると分かった。

大阪塗料新報社 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

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