kaiunmanzoku's bold audible sighs

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憲法に「軍」「武力」の明記を それは「戦争の放棄」と矛盾しない

「軍」とは「武力」のこと

「武」は「戈」を「止」めること。

「武」という漢字の成り立ちでよく説明されるこの例えは、本当のところは「止」に歩くという意味があって「戈」を持って前に進むことらしい。

しかし、現代戦における「軍=武力」は、開戦を防ぐための「抑止力」を意味する*1ので、まさに、「武」の文字の説明のように、相手の攻撃「戈」を「止」めることと符合する。

だから、現代社会を戦争から守るという役割を果たす法の意味として、「軍=武力」は「抑止力」と定義すべきだ。

 

つまり、「戦い」や「争い」を避け、相手の攻撃を止める役割(抑止力)「軍」あるいは「武力」、その備えを「軍備」と定義すべきだ。

 

そうすれば「戦い」も「争い」も避けるべきであり恐れるべきだが、「軍」や「軍人」の存在を恥じたり、恐れたりするのは誤りと誰もが気付くだろう。「軍」は相手の攻撃から人々を守るための存在であり、「軍人」はそれを担う人々を指し、誇り、安全、安心の代名詞と理解されるに違いない。

 

平時に「武」を蓄え、一旦緩急あらば、忠や孝、妻子や孫、眷属、民百姓(大御宝)、あるいは破邪顕正のため(決して物理的に戦うという意味だけではない)「武」を振るうのが「正義」と考えてきた日本。それが武士道、振武の道だ。一身を顧みず大切な守るべきものを守ることは、人が人として美しく生きるという日本人のモラルであり、帰結だった。それが日本の歴史であり文化・日本的価値観だと思う。

戦後、日本人が日本人として美しく生き抜く術(すべ)としての「武」が問答無用の「不正義」だと吹き込まれ、「正義」のために「不正義」である「武」を用いるのは許されないと信じ込まされてきた。大きな誤りだ。

しかし、もう「武」に対する認識は正常化すべきだ。忠や孝、妻子や孫、眷属、民百姓(大御宝)、破邪顕正のため、一身を顧みず「武」を振るうのは「正義」であり「美徳」だ。日本の文化や価値観は祖先から受け継いできたもので、自分一代の命より尊い。その価値観こそが子や孫に承継していくべきものだと信じる。

特に近代戦においては、戦を避け攻撃を止める力こそ武力であり、それは軍にしか出来ない仕事なのだから。

最大の恐怖の1つである戦争は自ら起こしてはならない。しかし不当な脅威、#恐怖なき生存・#欠乏なき生活・#人としての尊厳 を脅かす「恐怖を強いる恐怖」「平和に対する脅威」に対しては立ち向かわねばならない。それが日本人の「武」だ。

日本人の「武」こそ、誇るべき財産とすべきだ。

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kaiunmanzoku.hatenablog.com

*1:現実的な安全保障実現の手段を尽くすこと、と言い換えても良い

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