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三種の神器継承の精神 その2

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以下の議論は次のFBの投稿で論じたものだ。このブログはその捕逸、捕捉である。

いい しげる - 《三種の神器継承の精神》... | Facebook

 

「継承の儀は憲法に国事行為と定められていない!」と、本気で社説に書く新聞社と言うのは、国の成り立ちを無視して憲法を解釈する憲法学者たちと同じ穴の狢だ。

 

国民主権下の憲法というものが、その「憲法を打ち立てた国民が世界へ発信する自分たちの主張である」という考えであるなら、次の事が言える。

日本国民の、日本国民による、日本国民のための憲法であると世界へ主張することこそが重要であると。

日本とは何か、日本国民とは何者かという事を明らかにせず主張を行うことは、憲法の主語を、日本を、日本国民を見失う事であると。

であってみればこそ、日本国の成り立ちを主張する憲法で、日本国の成り立ちを欠いた解釈を認める余地を与えてしまうのは、日本国憲法の自殺行為ではないかと。

 

憲法上に「日本の歴史と文化の尊重」もしくは「三種の神器継承の精神を護持する」の語句は必要なのだ。これについては先にブログに書いた。

憲法前文に入れるべき言葉 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

三種の神器さえあれば国体は保たれるから生身の天皇陛下は必要ない、というある宗教団体の見解についてはこう答えよう。

三島由紀夫も生身の天皇との二者択一時には三種の神器を採るべきだと論じている。件の宗教団体の独創ではない。

ただし、三島は現在の皇室の正当性が三種の神器にあるという事を述べるための例として二者択一ならと言ったのだ。皇室と天皇の正当性の根拠として例を出して説明として述べたものである。であるから、三島の意を汲むならば「三種の神器の継承」そのものではなく「三種の神器継承の精神」こそが天皇の正当性の根拠だと言い直さねばならない。そのように解釈すべきだし、実際その通りなのだと。

その件の宗教団体は「今」敵に回す必要もないが、この解釈を捻じ曲げるようなら、三島のあの言葉のように破壊されるべき存在という事になる。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

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