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古事記 山幸海幸③ わたつみ(海神)の国 

古事記本文:

故隨敎少行 備如其言 即登其香木以坐 爾海神之女豐玉毘賣之從婢 持玉器將酌水之時 於井有光 仰見者 有麗壯夫【訓壯夫云袁登古下效此】 以爲甚異奇 爾火遠理命見其婢 乞欲得水 婢乃酌水 入玉器貢進 爾不飮水 解御頚之璵含口 唾入其玉器 於是其著器 婢不得離 故任著以進豐玉毘賣命 爾見其 問曰 若人有門外哉 答曰 有人坐我井上香木之上 甚麗壯夫也 益我王而甚貴 故其人乞水故奉水者 不飮水 唾入此 是不得離 故任入將來而獻 爾豐玉毘賣命思奇 出見 乃見感目合而 白其父曰 吾門有麗人 爾海神自出見 云此人者天津日高之御子 虚空津日高矣 即於内率入而 美知皮之疊敷八重 亦絁疊八重敷其上 坐其上而 具百取机代物爲御饗 即令婚其女豐玉毘賣 故至三年住其國

 

読み下し文:

故、敎えの隨(まにま)に少し行く、備(つぶさ)に其の言(こと)の如し。 即ち其の香木(かつら)に登り坐しき。 爾くして海の神の女(むすめ)豐玉毘賣(とよたまびめ)の從婢(まかだち)、玉器(たまもい)*1を持ち將に水を酌(く)まむとする時、井に光有り。 仰ぎ見れば麗(うるわ)しき壯夫(おとこ)有り【壯夫を訓みて袁(お)登(と)古(こ)と云う。下、此に效え】。 甚(いと)異奇(あや)しと以爲(おも)いき。 爾して火遠理の命、其の(まかだち)を見、水を得んと欲(おも)うと乞いき。 (まかだち)、乃ち水を酌み、玉器(たまもい)に入れて貢進(たてまつ)りき。 爾して水を飮まず、御頚(みくび)の璵(たま)を解きて口に含み、其の玉器(たまもい)に唾(は)き入れき。 是(これ)、其の器(もい)に著(つ)きて、(まかだち)え離たず。 故、著(つ)けし任(まにま)に、豐玉毘賣の命に進(たてまつ)りき。 爾して其れを見て、(まかだち)に問いて曰く、「若(も)し人、門の外(と)に有りや」。 答えて曰く、「人有りて我が井の上(へ)の香木(かつら)の上に坐(いま)す。 甚(いと)麗(うるわ)しき壯夫(おとこ)なり。 我が王(きみ)に益(まさ)りて甚(いと)貴(とうと)し。 故、其の人、水を乞うが故に水を奉れば、水飮まずして此れを唾き入れつ。 是れえ離たず。 故、入れし任(まにま)に將に來て獻(たてまつ)りぬ」。 爾くして豐玉毘賣の命、奇(あや)しと思い、出で見て、乃ち見感(みめ)で、目合(まぐあい)し、其の父に白(もう)して曰く、「吾が門に麗しき人有り」。 爾して海の神、自ら出で見て、「此の人は天津日高(あまつひたか)の御子虚空津日高(そらつひこ)ぞ」と云いき。 即ち内に率入(いい)れて、美知*2(みち)皮の疊を八重に敷き、また絁(あしぎぬ)の疊を其の上に八重に敷き、其の上に坐(いま)せ、百取(ももとり)の机代物(つくえしろもの)を具(そな)えて爲御饗(みあえな)す。即ち其の女(むすめ)豐玉毘賣を婚(あ)わしき。 故、三年(みとせ)に至るまで其の國に住みき。

 

 現代語訳:

そういうわけで、教えてもらった通りにしばらく行くと、全てが鹽椎神(シオツチノカミ)の言葉のとおりであった。そこでカツラの木の上で待っていると、そのうちに海の神の娘、豐玉毘賣(とよたまびめ)の侍女が、玉の器を持って水を汲もうとしたその時、井戸の水に影が映った。仰ぎ見ると美しい男がいる。大変不思議なことと思った【「壯夫」は訓読みにすると 袁(お)登(と)古(こ)となる*3。以下は同じように読みなさい】。

そこで火遠理の命はその侍女を見て

「水が欲しい」

とお願いした。

侍女は汲んだ水を玉の器に移して、火遠理の命に差し上げた。ところが火遠理の命は、水を飲まずに、自身の首輪の勾玉*4をほどいてそれを口に含んで、プッとその玉の器に吐き入れました。するとその勾玉は器に接着してしまい、侍女はそれをどうしても取り外すことが出来ませんでした。止む終えず首輪の玉が器に接着した、そのままで、それを豐玉毘賣の命にお渡しになった。

 豐玉毘賣の命はそれを見て、侍女に尋ねて

「もしや、誰か門の外にいるのですか」

それに答えて侍女

「見知らぬ人が私たちの井戸の上にかかっているカツラの木の上にいます。大変美しい男です。私たちの王に優るほどの大変身分の高そうな方です。ですから、その人が水が欲しいというので、水を差し上げたところ、水を飲むのではなく、この勾玉をプッと吐き入れたのです。この勾玉がどうしても取り外せないのです。だから勾玉が付いたままお渡し申し上げたところでございます」

 と言った。

そこで、豐玉毘賣の命は、「不思議なこと」と思い、外に出てみると、火遠理の命を見ただけで、すぐにその人となりを知り、話もせずに目だけで事情を察すると、その父親

「私たちの宮殿の門に美しく立派な人がいます」

と申し上げた。

そこで、海の神が自らお出ましになられ、その人と会って

「この人は天津日高(あまつひこ)の御子虚空津日高(そらつひこ)である」

と言った。

海の神火遠理の命を宮殿の中にお招きして、アシカの皮の畳を幾重にも敷いて、あしぎぬの畳をさらにその上に敷いて、その上に火遠理の命を座らせて、多種多様の品々の御馳走でおもてなしなされた。またその娘の豐玉毘賣を娶わせた。そうして火遠理の命は三年*5経つまでその国に住むこととなった。

 

 超訳

山幸彦はそのお爺さんに言われた通りにして海に出ていきました。

 

海の神様の国に着くと、山幸彦は海の神様宮殿の門の前にある大きな木の上に登りました。そこへ、海の神様の娘、豊玉姫トヨタマヒメ)の侍女がやってきて、木の上の山幸彦を見つけました。

山幸彦が「水がほしい」と言うと、侍女は持っていた器に水を入れて差し出したのですが、山幸彦はそれを飲むことなく、首にかけていた玉をとり、口に含んでから器の中に吐き出しました。すると、この玉は器にくっついてとれなくなり、侍女はこれを豊玉姫トヨタマヒメに差し出しました。

その玉を見た豊玉姫は「門の外に誰かいるのですか」と尋ねると、侍女はありのままを報告しました。

豊玉姫は自分の目で確かめようと思い門の外へ出ると、素晴らしい姿かたちの山幸彦に一目惚れしてしまいました。

 

宮殿に戻った豊玉姫はそのことを父である海の神様に報告しました。海の神様山幸彦が天の神様である天津神(アマツカミ)の息子であるとわかり、宮殿に招き入れました。

そして、アシカの皮と絹で出来た敷物を何枚も重ねて座を作り、そこに山幸彦を座らせると、たくさんのごちそうやきれいな踊りで歓待しました。

しばらくして、山幸彦豊玉姫と結婚し、海の神様の国で暮らしました。

 

上の超訳は下記で私が訳したもの

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

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夜光貝の貝器

 

*1:ここに「たまもい」というのは、古代日本で螺鈿細工に用いられたヤコウガイの貝器ではないかと想像する。翡翠等の鉱物では水くみ用として不便であろう。画像参照。なお、ヤコウガイは古くから沖縄・奄美地方の産物として知られている

*2:島根県竹島に生息していた海驢(あしか)は「めち」と呼ばれていたことは有名

*3:火「遠」理の「袁」、「登」る、「古(こ)」の音をもつ「木」、で、袁(お)登(と)古(こ)となる。火遠理が木に登っている様子をも表している

*4:山のグループのリーダーは島の王に血縁者一族であり、また、自分たちのグループに協力することがわたつみの国に利益があることを示すために、一族の証である勾玉(まがたま)を内密に琉球王に見せる手続きを踏む必要があった。

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*5:異界を訪れる際に、そこで暮らす年月はほぼ三年と決まっている。浦島太郎も同様。佐比持神である一尋和邇が稲冰命と同一人物であるとすると火遠理命の息子である可能性もあり、その場合の年月は三年では済まない。

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