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古事記 山幸海幸⑥ 上國(うわつくに)へ和邇(わに)の頚(くび)に乗りて帰国

古事記本文:

即悉召集和邇*1問曰 今天津日高之御子 虚空津日高爲將出幸上國 誰者幾日送奉而 覆奏 故各隨己身之尋長限日而白之中 一尋和邇白 僕者一日送即還來 故爾告下其一尋和邇 然者汝送奉 若渡海中時 無令惶畏 即載其和邇之頚送出 故如期一日之内送奉也 其和邇將返之時 解所佩之紐小刀 著其頚而返 故其一尋和邇者 於今謂佐比持神

 是以備如海神之敎言 與其鉤 故自爾以後 稍愈貧 更起荒心迫來 將攻之時 出鹽盈珠而令溺 其愁請者 出鹽乾珠而救 如此令惚苦之時 稽首白 僕者自今以後 爲汝命之晝夜守護人而仕奉 故至今 其溺時之種種之態不絶仕奉也

 

読み下し:

即ち悉く和邇(わにな)*2を召し集めて問いて曰わく、「今、天津日高の御子虚空津日高、將に(うわ)つ國*3に出で幸(ま)さむと爲(す)。 誰者(たれ)、幾日(いくひ)に送り奉りて覆奏(かえりごともう)さむ」。 故、各(おのおの)己(おの)が身の尋長(ひろたけ)の隨(まにま)に、日を限りて白す中に、一尋和邇(ひとひろわに)、「僕(やつがれ)は一日(ひとひ)に送りて即ち還り來む」と白(もう)しき。 故、爾して其の一尋和邇に、「然らば、汝送り奉れ。 若(なむじ)*4海中(うみなか)を渡らむ時に な惶(おそ)れ畏(かしこま)らしむ無かれそ」と告げて、即ち其の和邇の頚(くび)に載せて送り出だしき。 故、期(ちぎ)りしが如く一日の内に送り奉りき。 其の和邇、將に返らんとする時に佩かせる紐小刀(ひもかたな)を解き、其に頚に著(つ)けて返しき。 故、其の一尋和邇は、今に謂う佐比持(さひもち)の*5なり。

 是を以ちて備(つぶさ)に海の神の敎えし言(こと)の如く其の鉤を與(あた)えき。 故、爾してより以後(のち)は、稍(ようや)く愈(いよ)よ貧しくして更に荒心(うらさ)び起こして迫(せ)め來たり。 將に攻めんとする時に、鹽盈珠を出だして溺れしめき。 其の愁え請えば、鹽乾珠を出だして救いき。 如此(かく)惚(なや)み苦しめしめき時、稽首(ぬかつ)きて、「僕(やつがれ)は今より以後(のち)は汝命の晝夜(ひるよる)の守護人(まもりびと)と爲(し)て仕え奉らむ」と白しき。 故、今に至るまで其の溺れし時の種種(くさぐさ)の態(わざ)絶えずして仕え奉るなり。

 

 現代文訳:

 そこで、海の神丸木舟を操る漕ぎ手たち*6をすべて招き集めて、問い尋ねて

「今、天津日高(あまつひこ)の御子である虚空津日高(そらつひこ)が、海の国から天津神(あまつかみ)の子孫が住む隣国(九州)*7へ旅立とうととしている。誰が、どれほどの日数でお送り申し上げ、帰還の報告ができるものか」

と言った。

ですから、船の漕ぎ手たちは舟の大きさに応じて、日を単位で申し上げる中で、一尋和邇(ひとひろわに)という漕ぎ手

「私なら、日の沈む前*8には、お送りして戻ってまいりましょう」

と言う。

そこでその一尋和邇

「それならばあなたがお送り申し上げよ。おまえが海を渡っていくときには、くれぐれも火遠理の命に怖い思いをさせてはならぬぞ」

と忠告し、その丸木舟の舳に火遠理の命を乗せて送り申し上げた。

一尋和邇は、自分の約束した通りに日のある内にお送り申し上げた。

その帰ろうとする時、火遠理の命は腰につけていた紐のついた小刀*9をほどいて、一尋和邇の首につけて、お返しになった。そういうわけで、その一尋和邇は、今では佐比持(さひもち)の神と呼ばれている。

 

 こうしたことがあって、火遠理の命は、全て海の神の教えた言葉の通りに、その釣針をにお与えになった。ですから、そののちは、は見る間にだんだん貧しくなり、しまいには、ついに心を乱して攻めて来ました。そのがまさに攻めようとする時、鹽盈珠(しおみつたま=潮が満ち満ちてくる玉)を出して溺れさせ、またが慈悲を願って降参すれば、鹽乾珠(しおひるたま=潮が引いて乾く玉)を出して助けました。こうして悩まし苦しめたので、ついに、は額を地に擦り付けて

「しもべである私めは、今この時から、あなた様を昼夜問わずに守る人となってお仕え申しあげます」

と申し上げた。

そういうわけあって、今に至るまで、火照の命の子孫、隼人は、その溺れた時のいろいろな姿を絶えることなく演じて*10お仕え申しあげているのである。

参考:

kaiunmanzoku.hatenablog.com

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http://www.kyoto-kankou.or.jp/upfile/94/994.jpg

画像はリンクになっています。

大住隼人舞|観光情報検索|京都“府”観光ガイド ~京都府観光連盟公式サイト~

 

 

*1:和邇魚:当時の発音は wo-ji-nah、この発音は陳侃の使琉球録(16世紀)の夷語によると「琉球人」を wojinah-hizou と呼び、琉球が wojinah であったのと同じで、「沖縄(をきなは)」に通じている。海神の国、わたつみの国は沖縄と示唆している。(平成31(2019)年2月4日記載)

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*2:和邇とは船だ(船は和邇である)と、因幡の白兎の物語*に謎々の形ではっきり書いてある。

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また、wojinahと読むことで、籠の船を操船したのが翁(鹽椎神、鹽椎翁)であったと考えることも可能

*3:上國:「上」という字には、「いくつか(通常二つか三つ)あるうち(話者の意識から見て)『先に来る』」という意味がある。禮玉(りゅうきゅう)王から見れば、火遠理の命らの天津族の住む九州は北東の隣国である

*4:若:ここは「もし」と訳すより、先の「汝」と畏まった言い方から「お前」と親しげな呼びかけをし直したと解するほうが、後の佐比持神となる若者に相応しい

*5:佐比持神(さいもちのかみ)とは、神武天皇の兄弟のイナヒノミコトを想像させる。母の国、琉球に戻った皇族だ。琉球王と山幸は親族。神武天皇の東征にも海の部族であるわたつみの軍が参加したかもしれない。東征の後琉球に帰り音信不通となったイナヒノミコトと一尋和邇は同一人物かもしれない。

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*6:上記の脚注「和邇」を参照のこと

*7:上記の脚注「上國」を参照のこと

*8:当時の一日は日没まで。他の和邇が日を単位で返事をしているのに対し、一尋和邇は、問い尋ねられた日、その日の日暮れまでに往復すると返事をしている。現代語の「今日中に」より、さらに短いことに注意すべき

*9:小(さ)刀(ひ)と読める。また(ひ)が「氷」に通じる。「さひ」は賽の河原の「さひ」にも通じる。この場合の「賽」は、あの世、黄泉の国の出口を塞ぐ、この世とあの世を結ぶ出入り口であり、境界線である。

*10:隼人舞(はやとまい)

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