この記事は過去に「市場原理で脱原発」という題目で発表したものです。
原発依存度の数値目標は馬鹿げている、送発電を分離し、電力の自由化を進めて、家庭や企業で自分たちが利用したい発電エネルギーを選択できるようにすれば市場原理で脱原発ができる。
脱原発は化石燃料を経済的に凌駕するものをつくりだせば達成できる。
したがって、エネルギー源間の市場競争を促すべきである。また、そもそも現在の電源構成をベースにして電気料金を一方的に押し付ける制度は利用者の権利を奪っている。利用者にエネルギー源を選択できる権利を付与すべきである。
それには発送電を分離し、電力の自由化を進めて、家庭や企業で自分たちが利用したい発電エネルギーを選択できるようにすればよい。
下記は例示であるが、
a.原子力電源の電気料金=原子力発電料金+廃炉費用+復興助成金
b.LNG・石炭等の化石燃料電源の電気料金=化石燃料発電料金+炭素税
d,風力発電の電気料金=風力発電料金+鳥類保護対策費+開発助成費
e.太陽発電の電気料金=太陽発電料金+土地買収助成費+開発助成費
f.地熱発電の電気料金=地力発電料金+国立公園及び泉源維持管理費
g.その他(バイオマス、水素、太陽熱、潮力、波力、etc)
a~gの混合比での料金体制を数種類用意してもよいし、利用者に選ばせてもよい。立地等で割当量に限りのあるものは需要と供給の原理で高くなるかもしれないがそれも市場の論理である。
例:我が家の電力=a 20% + b 20% + c 0% + d 10% + e 20% + f 20% + g 10%
ニーズがあれば色々なエネルギー源をベースとした新しい発電所を作る業者も多く誕生するだろう。その業者からも直接購入ができるようにすればよい。
この際、一切の電源地域対策に類する費用を公開しその費用を電力料金に上乗せし、国家予算や財政投融資枠から切り離すことが、公平な競争を促すことと考える。
発電を事業とするものは市場で売れるエネルギー源を使った電気を発電しようと心がけるであろうから、国民の支持・不支持と技術開発による経済性の優位化が自然淘汰的に脱原発を可能にしてくれることだろう。
例えば、
反原発派の人々は、当然、高くてもクリーンなエネルギーを選ぶだろうし、そうでない人は原発エネルギーを含む選択肢を選べばよい。
石油危機で火力発電だけに頼れないと歴史的経験を持つ日本にはエネルギー安全保障の面からバランス良く選ぶべきだと考える人もいるだろう。
酪農家や畜産農家、野鳥保護を重視するバードウォチャーは風力発電を避けてエネルギー源を選択すればよい。
ダムの建設が河川の自然に脅威を与えていると思う人は水力発電を除いたエネルギー。
とにかく安ければよいというのなら、原発オンリーの選択も良いだろう。
温暖化防止のためにCO2の削減を国際公約した国民として、温暖化による水没が危惧される太平洋、インド洋の島々へ配慮をしたい人もいるだろう。
燃料の大部分を輸入しなければならない日本の現状を考えシーレーン防衛のコストとエネルギーコストの比較を考える人もいるだろう。
ロシアと仲良くして、LNGを買えば北方領土の返還に繋がると考えている人は天然ガスを電源とする選択をすればよい。
主人公は国民である。市場原理で脱原発を可能にしてくれる政策を政府は実行すべきである。
技術立国で輸出産業が社会を支えている、産業、特に物づくりの空洞化が問題となっている日本。高齢化が進み年金制度、保険制度を支える基盤となる若者の労働力が心配な日本。財政悪化で税制を見直さねばならない日本。問題を多く抱える日本でエネルギー問題が反原発か原発推進かの二つの選択肢で語られ、数値目標だけが先行するのは間違っている。
もう一度言う、脱原発は経済的な競争で化石燃料をつかったエネルギー源を凌駕するものをつくりだせば達成できる。発電と送電を分離し、家庭や企業に自分たちの使うエネルギー源の選択ができる制度を導入し、市場原理を用いて、政策的に脱原発を誘導すべきである。
国際的責務を果たせる先進国、自由主義国家、法治国家、技術立国、途上国の頼れる支援国が日本の立ち位置である。
日本が築いてきた信用と安心感を失う選択は、全て間違っている。