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History / Ryukyu 「日本語と琉球語」「日本語と朝鮮語」

下記は 史実を世界に発信する会 の 菊地正さんから戴いたメールの内容である。

 

「日本語と琉球語」「日本語と朝鮮語

 

言語学者の安本美典氏によれば、『琉球語は、およそ、千七百年ていどむかしに、南九州から南下した言語とみてよいようである。このようなことは、最近の、言語年代学および語彙統計学の成果からかなりな確からしさで言える。

……琉球語と日本語とが同系の姉妹語であることを、最初に科学的に論証したのは、イギリス言語学チェンバレン(1850~1935)である。チェンバレンは「アジア協会会報」23巻(1884刊)の付録に琉球語についての論文を発表した。(チェンバレン東京帝国大学の教授となり、「古事記」を英訳した。)チェンバレンは、琉球語が、奈良時代以前に分かれた日本語の姉妹語であることを確証した。

日本語=琉球語同祖説は、伊波普猷服部四郎らの比較研究によって、さらに確固たるものとなった。……いま日本語と同系であることが認められている唯一の言語、琉球語を取り上げてみよう。……日本語と琉球語では母音についても子音においてもこのように規則正しい対応がみいだされる(音韻対応の法則)……』。

 

『……すでに、かって、日本語と朝鮮語との関係を深く追求した東洋史学者、白鳥庫吉は、後に、およそ次のようにのべて、慨嘆している。「私は、かって、日本語と朝鮮語との間には、かならず密接な関係があるはずだと信じていたので、多年にわたって、この二つの言語の比較研究にしたがい、それによって、一般の人々の期待にこたえうるほどの結果をおさめようとつとめた。しかし、事実は予想に反し、研究を進めるにしたがって、この二つの言語の関係は、疎遠なものであり、はじめに期待していたような親密なものではないことを感じるようになった。」(「白鳥庫吉全集」第二巻岩波書店刊)

……また、金田一京助の「国語史系統論」では、言語学金沢庄三郎の日韓同系論を、次のように的確に批判している。「古今の語辞、死語、廃語に至るまで、細大漏らさず、砂中に金を拾うような、それは精緻をきわめる比較である。ただし、それほど精細な比較をもってしても、なおかつ一致する語彙が、この程度にとどまるということは、案外、朝鮮語と日本語との距離は相当なものではないかという印象を受けると評する外人もあった。」

……東京大学言語学服部四郎は、日本語と朝鮮語との距離を、言語年代学的方法で測定し、日本語と朝鮮語とは、“かりに“、同じ源から分裂したと仮定しても、その分裂の時期は、六千年以上まえ(最下限は、四千七百年まえ)ていどの縄文時代となることを算出している(「日本語の系統」岩波書店刊)。私も、言語年代学とは異なる原理による語彙統計学的な方法で、日本語と朝鮮語との距離を測定し、やはり、日本語と朝鮮語とは、‘’かりに‘’、同じ源から分裂したと仮定しても、その分裂の時期は、五千年以上まえになるという結果をだしている(「日本語の起源を探る」1985年PHP刊)。』

『……金沢大学言語学者松本克己氏によれば、日本語は、類型論的(文法)に見るかぎり、世界にもっとも仲間の多い、きわめて平均的かつ標準的な言語であるという。言語の世界で特異な位置をしめるのは、むしろ、西洋の近代諸語であるという。(私は本を読む。I read a book.我 読 書、日本語のような語順は世界の1181の言語中過半数の592言語がしめる。また、使用人口からいっても多数派を占める。) ……』安本美典著「研究史日本語の起源」より。



「日本語と朝鮮語

 

アメリカ言語学者スワディッシュ(1905~1967)は、どのような人類集団でも、それにあたる語を持っているようなもの200語を選び、それを、「基礎語彙」と定めている。「古事記」上巻において、音で記されていることばで、スワディシュの「基礎語彙」に含まれている語を「現代日本語」「現代朝鮮語」「中期朝鮮語」で比較すると。

「現代日本語」と「古事記」上巻のことばが、やはり「基礎語彙」においては、殆ど変わらない形をしているものの多いことがわかる。そして朝鮮語が日本語とは、そうとうに異なっていることもわかる。

日本語と朝鮮語の一致率は、かなり多めにみても、11パーセントていどにすぎない(朝鮮語と日本語とが近いという議論の多くは、このように、似ている語だけをとくにとりだしているのである。)英語とドイツ語とは、だいたい今から2000年ていどまえに分裂したとしてよいであろうが英語とドイツ語のばあい、「基礎語彙」の一致率は、半分程度を占め、朝鮮語と日本語とのばあいとは、事情が非常に異なっている。……

現代朝鮮語は、南朝鮮の、韓族のたてた国のひとつ、新羅の言語が母体となっている。もし、西暦紀元後という新しい時期に、日本列島が、朝鮮半島と同じく、南朝鮮勢力によって統一されたものであるならば、ほぼ同一の過程をへて成立したこの両国の言語は、そうとうに近いものでなければならない。最近、応神天皇は、新王朝の始祖で、朝鮮から侵入した人ではないかとの説も説かれている。この場合も、両国の言語は、近くなるはずであろう。しかし、事実は、それに反している。

私は、天皇家出自が、朝鮮半島であるとする多くの見解には、疑問をもつ。日本人の核をなす民族は、おそらくは、大陸から渡ってきたのであろうが、それは、天皇家の発生よりも、ずっと古い時代のことであったと思うのである。

フィンランド人やハンガリー人は、その故郷をウラル地帯に持つ。現在混血によって、そうとうに西欧化しているにもかかわらず、言語は、ヨーロッパ語とは、はっきり異なっており、もとのウラル系フィン・ウゴル語族に属する言語を使用している。もし、朝鮮からきた勢力が、比較的新しい時期に日本を統一したのであれば、それに近い現象がおきるはずではないだろうか。

安本美典著「邪馬台国高天原伝承」より。

 

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