History / Senkaku 尖閣 斎鯤「東瀛百詠」と大清一統志 - kaiunmanzoku's bold audible sighs で2013年10月12日加筆として紹介した地図;
1801年にロンドンで出版された地図・・・The Eastern Hemisphere. London: Published by J. Cary, Engraver & Map-seller, No. 181, Strand, August. 1, 1801.
ちなみに、地図の出版年の1801年は記事珠の出来事があった嘉慶13年(1808年)より7年前である。
この地図は、ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー (Jean François de Galaup, comte de La Pérouse,)船長の航跡を示す地図として重要である。
本地図では尖閣(Hoapinsuとして地図に描かれている島嶼群)が明確に沖縄琉球と日本に属すると断言できるだけの色が塗られているか判別しにく、原典にあたる必要がある。
しかし、このラ・ペルーズ船長の探検とカリー氏による地図製作こそが、後の地図製作者スティーラー氏の地図に繋がっていくと考えられる。
先日紹介した
History / Senkaku 1792年から尖閣の西側で色分けしてある地図 - kaiunmanzoku's bold audible sighs
と並べて見れば、1792年の地図では尖閣の位置が判然としないが、台湾島の南端から北方に航路を採る「尖閣の南北航路」は、ルソンから長崎へ抜ける航路であり、欧米の貿易商にとって途中の尖閣が道しるべとして、重要な役割を果たしていたことが推測されるのである。
ラ・ペルーズ船長も尖閣を道しるべとして東シナ海から日本海へ向かったと考えられる。
出典:ラムゼイ氏のコレクションから
右下に ”De La Pérouse 1786” の文字が見え、一点破線(・-・-)で描かれた航路が太平洋から,マカオ→マニラ→台湾島の南部から東方→尖閣諸島西方へ延び、九州北部、日本海へと続いていることが分かる。
Eastern Hemisphere 1801 地図製作者・発行者 John Cary、London
地図の場所:
Eastern Hemisphere. - David Rumsey Historical Map Collection
詳細:上記web.から抜粋
Collection: David Rumsey Historical Map Collection
Author: Cary, John, ca. 1754-1835
Date: 1801
Short Title: Eastern Hemisphere.
Publisher: John Cary, London
Type: Atlas Map
Obj Height cm: 49
Obj Width cm: 46
Scale 1:46,000,000
Note: Engraved circular map. Country boundaries in outline hand col. Relief shown pictorially. Shows routes of Clerke, Cook, Gores, La Perouse, Phipps and Vancouver. "1" pasted on verso.
World Area: Eastern Hemisphere
Full Title: The Eastern Hemisphere. London: Published by J. Cary, Engraver & Map-seller, No. 181, Strand, Augst. 1, 1801.
List No: 1657.001
なお尖閣以外の注目点としては、
”Is. belonging to the K. of Lekeyo" と「島々は琉球王国に所属する」の記載がある。
琉球王国と日本が同じ色で塗られており、当時の西洋人にとっても琉球王国は日本と言う認識であったことが分かる。
鬱陵島が日本と同じ色に塗られており、後のスティーラー氏の地図に繋がる系譜だと感じさせる。
支那は、”CHINA"として”COREA”を含む領域として色分けされている。中華皇帝としての支配地域を、大汗(大ハーン)として支配している満州とモンゴルを含む地域と、分けて表示している。これは、History / Senkaku Tibet イエズス会のミッションとして清の皇帝に命じられて作られた地図 - kaiunmanzoku's bold audible sighs で紹介したように、当時の清朝と清朝と外交のあった国々の間では「中華皇帝と大汗の領土は異なる」ことは常識であったと思われる。
チベットは、独立国として描かれている。
南シナ海に清の支配が及んでいる証拠は見られない。