Chart of Discoveries, Made in 1787, in the Seas of China and Tartary, by the Boussole and Astrolabe, from their Leaving Manilla, to their Arrival at Kamtschatka
「Boussole and Astrolabe 号で、マニラ出航からカムチャッカ到着までに、シナ海とタタール海において1787年になした発見の海図」
Author: La Perouse, Jean-Francois de Galaup, comte de, 1741-1788
Date:1799
Short Title: Chart of Discoveries, Made in 1787, in the Seas of China and Tartary, by the Boussole and Astrolabe, from their Leaving Manilla, to their Arrival at Kamtschatka
Publisher: G.G. & J. Robinson.
Publisher Location: London
地図名には「・・・1787年になされた発見の海図」とあるが、1799年に英国で出版された地図。ラペルーズ船長が1787年に発見したという意味であろう。
また、the Boussole and Astrolabe は、ラペルーズ船長の乗った船の名前。
ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー - Wikipedia
上記の拡大図:
"ISLANDS OF LIEOU-KIEOU" の文字が尖閣諸島(I.Houpinsu 魚釣島、Tiaou-su 久場島)近傍に描かれ、琉球諸島に含まれるとの認識が見て取れる。
ラペルーズ船長自身が制作の地図に尖閣諸島を琉球の島々として描いたことは、その日誌に符合する出来事である。
ラペルーズが与那国島に到達し、「台湾島の東方の全島嶼の首府は琉球本島である」、尖閣諸島を離れる時に「琉球諸島を離れる」と日誌に書き留めているのだ。
参考:いしゐのぞむ氏のブログ
八重山日報連載第三囘 ラペルーズ説「尖閣まで琉球」 シュティーラー境界線の起源 : - 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ
「尖閣諸島が台湾付属島嶼である」とするチャイナ主張を裏付ける事実は、どこにも見つからない。
フランスで出版された同じラペルーズの地図についてはこちらを参照ください