稲冰命。この人物は、佐比持神(さいもちのかみ)とも呼ばれ、神武天皇の兄弟でその東征にも参加した。海の部族で、東征の後に琉球に帰り音信不通となったと言われている。
ちなみに、火遠理の命に紐小刀(ひもかたな)を首にかけてもらった一尋和邇も佐比持神と呼ばれている。琉球の皇族(琉球王と山幸は親族)なのであろう。稲冰命と同一人物の可能性も高い。なぜなら、神武天皇と火遠理の命が同一人である可能性が高いからだ。どちらも同じ火々出見尊《ホホデミノミコト》という名を持っている*1のだ。
琉球との国交断絶が原因で琉球に帰ったのが稲冰命であり、別名、一尋和邇、
佐比持神ということになる。
海幸彦と山幸彦の物語* で
「稲冰命=イナヒノミコト(5)が、琉球に帰ることでヤマトとわだつみの国との正式の交流は、その後回復することなく途絶えたと思われる。記録が絶えてしまうのだ。」
と書いたことについて、一言述べておこう。
「冰」は、現代語の氷である。九州や沖縄で氷は似つかわしくない。
この文字が使われた背景こそ、ヤマトと豊玉(当時の琉球の別名で、わたつみの国ともいう)両国の公式外交が絶たれたことを意味していると思う。
なお、「妣」とは、亡き母の意味であり、bi と古代には発音されていた。
母や妻が死ぬことによって部族間あるいは国の交流が絶えることは、戦国時代の例を引く必要はないと思う。外交は氷結したかもしれないが一族であったからこそ、「冰」の文字が使われ記録に残ったのであろう。
イナヒの元となったであろう 稲穂の「ほ」の文字の代わり に「日」「火」「穂」(全て bi や bo の音を持つ文字)が用いられず、「冰」(bi の音もある)が用いられ、「母」(bo の音がある)の代わりに「妣」が用いられたこと、そしてその音が bi やbo という音を持つことに、もっと日本の考古学会は注意を払うべきだった。
余談:
科学性を失い教条主義者の手に落ちた学問ほどつまらないものはない。
「専門家」がいかに周りが見えていないかを逐一証明できるような現状は、戦後の教育の中で大学が教条主義者の手に長期間握られた証拠であろう。 真実を伝えたり追求できる思想家や指導者と言える人間が戦後教育の枠から現れ出てくることは甚だ困難だろう。真実を追求する姿勢は戦後日本教育界の域外にあり、そんな人間を育てることは想定外どころか「悪」でもあるからだ。
自己啓発をした人間、運よく海外に触れる機会のある人間しか、その教育を得られないだろうということだ。
その傾向は、自然科学より社会科学に顕著である。社会科学の方が「真実」は隠しやすいから当然である。
もし日本に現れるとしたらだが、そういう人を導くことのできる思想家や指導者と言える人間は官僚養成大学以外から現れる可能性が大きいだろう。
もし、その代表的存在である東大から現れたとしたら、彼あるいは彼女は、自分を世間に偽る術を少年少女時代に会得した大傑物で天才ということになる。
無理だろう。そんな人間なら東大を避けるはずだ。
(注)稲冰命=イナヒノミコト(5): 古事記では、稲冰命=イナヒノミコトは「稲冰命は、妣(はは)の国として、海原に入り坐(ま)す」とある。通説では死んだことになる。だが、母の国は琉球王の国、わだつみの国であり、常世の国でも根の国でもない。
*海幸彦と山幸彦の物語の該当部分はこちらです。