2016年11月11日 17:20 のメモ
【「民主」「護憲」「平等」「立憲」「平和」「人権」カルトについて】
人にやさしさや同情の念を伝えることが出来ない人間は好きになれない。
眼差しを優しく、言葉を優しく、行動を優しく、それが出来なければ人を導けないと思う。
普通の人は上記の三つをなかなか上手に同時にこなすことが出来ない。一つはどこかで統御できなくなる。
だから、民主を教条とするカルトが、意に反する結果を目の当たりにした時に、真に民主的であることが出来ず、立憲主義的手続きを無視したり、陰謀論を唱えると言う現象は、よく理解できる。
そもそも、彼らは「民主」の意味が分かっていないのに「民主」が好きなカルトだからだ。「」内の言葉をいかように変えても良い。要するに、人類や民族や国家の共存共栄と言ったことを論じるだけの基礎がない人々なのだ。
その殆どがどこかの政治勢力に洗脳されてなのか、教養がないためなのか、自分で考える術を得られなかった人々だ。
人類の歴史を考えて見れば、植民地主義、共産主義、選民思想等の時代を彩る潮流こそが、その原因だと推察できるだろう。彼らに共通なのは「共存共栄」という思想の決定的欠如である。「敵・味方」や「支配・被支配」「搾取・被搾取」「富・貧困」「純血・穢れた血」「善・悪」「白・色」「光・闇」という徹底した二面論的価値観が支配する世界だ。
寛容や共存共栄と言った考えが存在すると考える事。それがそもそも困難なのだ。
本物のファシストやレイシストにとって、またとない機会を提供しているのがこれらのバカ者たちだと思う。
本物のファシストやレイシストにとって、プロパガンダが彼らに対する有力な武器となっている。救う事が出来るのは自分自身のちょっとした「気付き」だ。
親兄弟や友人によって気付く機会を与えられれば幸いだ。