「支那」が皇帝から庶民までが自称する呼称だった証拠
この画像に書かれた漢詩の意味を誰かが日本語で解釈していないものかとインターネットで調べたが、見つからなかった。
仕方がないので自分で訳す。
但し、読み下しは苦手なので、誤魔化しながら訳すとこうなる。
原文:鶴立蛇形勢未休,五天文字鬼神愁。支那弟子無言語,穿耳胡僧笑點頭。
鶴の立ち姿、蛇の動く様、その陰陽の勢いは休むところがない
五天の文字(五天竺の文字「梵書」)に天地の霊魂は沈思し
支那の仏弟子(玄宗皇帝自身)は語るに言無く
耳に穴をあけた外国僧たちは微笑んで頭を下げる
鶴と蛇は、鶴の立ち姿の端正さや羽ばたきの力強さを「陽」とし、蛇のクネクネとした形の変幻自在さとリズムや獲物に襲い掛かる時の瞬発力を「陰」とする考え方が、チャイナの文化にある。玄宗はその陰陽の力強くリズミカルな動きを梵字の中に見たという事だろう。
五天とは、東天、西天、南天、北天、中天(中央の天)ということで、五天竺を指す。
穿耳とは耳に穴を開けている(ピアスしている)ことで、当時の文明先進国である天竺僧と西域の僧侶の流行だった。それに対して、唐の僧にはそんな習慣はなかった。比喩的には仏教典を梵書で読み慣れ聞きなれしていて、仏教の奥義に近いところにいる天竺や西域の僧と仏弟子になって間もない唐の人々ということを比喩を用い対照的に表現していると思われる。
文明最先端の天竺・西域と発展途上の唐という対比が面白い。
いしゐのぞむ氏の解説
鶴立蛇形のやうな五天竺の文字(梵語)には鬼神すらも困り果てる。
外國僧たちは、あきらめ微笑んでうなづく。
要するにチャイナ人が誰も梵語を讀めなかったことです。
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