kaiunmanzoku's bold audible sighs

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1868【明治元年、尖閣の西に境界線あり 無主地と確認するまで 伊井 茂・赤染 康久・石井 望】

2013年9月29日から10月4日にかけて、八重山日報に紹介された掲題の記事については下記の通りブログでも紹介していますが、4年以上たったことでもあり、SNSへの引用にも便利なように一纏めにしておくこととする。

 

History / Senkaku 八重山日報 【欧州でも「尖閣は沖縄」 明治元年のドイツ地図に記載】 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

History / Senkaku 八重山日報 【明治元年、尖閣の西に境界線あり ㊤ 無主地と確認するまで 伊井 茂・赤染 康久・石井 望】 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

History / Senkaku 八重山日報 【明治元年、尖閣の西に境界線あり ㊦ 無主地と確認するまで 伊井 茂・石井 望・赤染 康久】 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

 

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Mr. Ishiwi(石井), Associate Professor of Nagasaki Junshin Catholic University, Mr. Akazome(赤染), Research Associate of Tokyo University and me, Ethan Kainmanzoku(伊井) joined to research European old maps. This is the map of evidence that the Senkaku Islands were regarded as Japanese Territory by Europeans in 1868. 

This article was published by Yaeyama Nippo, a local newspaper in Ishigaki-jima of Okinawa, Japan.

 

 

記事内容については、まず八重山日報でご覧ください。

http://www.yaeyama-nippo.com/%E7%89%B9%E9%9B%86/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6/

 

▼全文は「新聞オンライン.com」で立ち読みもできるが、ぜひ、購入をお願いしたいと思っている。
http://www.shimbun-online.com/latest/yaeyamanippo.html

 

 

私のことは民間研究者として紹介頂いている。その私と、長崎純心大学准教授の石井氏、東京大理学部助教の赤染氏の共同研究で明らかになったと紹介されたのは、ドイツの地図製作の大家、アドルフ・シュティーラーの名義で発行されていた「ハンド・アトラス」(小地図帳)の中の「中国・朝鮮・日本図」である。

 

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図上では尖閣の西北側から与那国島の西側を経て、台湾の緑島(りょくとう、旧火焼島)の西南側まで点線が引かれ、日本と同じ薄青色に彩色されている。

ご覧になって、 お気付きの諸氏もいらっしゃるだろう、台湾は全島が黄色に塗られているのではなく、島の北端部こそ東岸部まで彩色されているが、東岸部の殆んどは無彩色である。黄色の彩色は台湾山脈の頂きあたりで途切れている。

当時の大陸政権の権威が台湾島の東岸に達していなかったことは、諸資料で明らかであるばかりでなく、西洋人の間でも知られていたことが分かる。

参考:

尖閣諸島 大陸の歴代政権(中国)はどう認識していたか - kaiunmanzokuのざれごと、たわごと、綺麗事

 

私の過去のブログ(http://d.hatena.ne.jp/kaiunmanzoku/20120716/1342441946)が契機となって、石井先生、赤染先生と一緒に欧州の地図を詳細調査をすることとなったことは我ながら誇らしく思っているが、研究のそのほとんどは石井先生と史料確保に奔走した赤染先生の手になるものである。もし私に貢献があるとすれば、主にきっかけと動機の面であろうと思っている。

この場で改めて、感謝申し上げます。

なお、引き続き八重山新報よりさらなる解説や発表がなされる予定となっているため、ここでは、研究が記事として紹介されたことのみお知らせするものとする。

 

 

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9月29日の記事に引き続き、本日(2013年10月3日)八重山日報で私と友人の研究が紹介された。詳細は下記の八重山日報でご覧いただきたい。明日も続報 ㊦ が出る予定です。

 

平成23年7月16日、伊井は明治25年(1892年)刊行のマイヤー百科事典第一冊内「アジア政治大観」図の尖閣部分を自身のブログ「Kaiunmanzokuのざれごと、たわごと、綺麗事」※に掲載した。尖閣の西側にくっきりと線が描かれている。他の各国の国境線と同じ形式であり、尖閣に於いても国境として認識されたと分かる。日本が明治28(1895)年に領有する3年前である。

 

http://bit.ly/175VoJI

 

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http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0131003.html

 

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発端となった私のブログはこちらです。

http://d.hatena.ne.jp/kaiunmanzoku/20120716/1342441946

同じ史料はこちらの動画でもご覧いただけます。

http://www.youtube.com/watch?v=jk6BF4UX5Tc&feature=share&list=PLhHJvtkjNpVOaKxxb9YLspwAHz9xtTsUc

 

 

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9月29日、10月3日の記事に引き続き、昨日(2013年10月4日)八重山日報で私と友人の研究が紹介された。詳細は下記の八重山日報でご覧いただきたい。

 

http://bit.ly/175VoJJ 

 

 

 

東西航路の尖閣琉球国と中国との中間の無主地だったが、南北航路の尖閣は、与那国と長崎との中間の無主地である。

 

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http://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0131004.html

 

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サマラン号が先島諸島を訪れる下りはデジタルアーカイブでも読めます。

Narrative of the voyage of H.M.S. Samarang, during the years 1843-46 : employed surveying the islands of the Eastern archipelago; accompanied by a brief vocabulary of the principal languages

 

発端となった私のブログはこちらです。

http://d.hatena.ne.jp/kaiunmanzoku/20120716/1342441946

同じ史料はこちらの動画でもご覧いただけます。

http://www.youtube.com/watch?v=jk6BF4UX5Tc&feature=share&list=PLhHJvtkjNpVOaKxxb9YLspwAHz9xtTsUc

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Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.