「偉大なキャンドル市民」
ロウソクデモで前大統領を辞任に追い込んだ韓国民を、公式の行事のたびに文在寅政権がおだてる言葉だ。
この言葉を演壇上で発することにより、韓国民の情緒的正義を満足させ、「自己肯定こそが善」であるという国民性に迎合し続けている。
「そもそも、前大統領に非があったのだろうか」と言う疑問は彼らの中にはない。
「そもそも、デモで政権を倒すという方法は民主的なのだろうか」その疑問もない。
もし、文政権が韓国内の司法秩序を厳粛に維持し、国際的な約束を執行するなら、「偉大な市民」の情緒的正義を裏切ることとなるだろう。そちらのほうがはるかに重大な問題なのだ。
つまり、そのような疑問を国民の間に生じさせてしまえば、文政権の正統性を自己否定してしまうこととなる。
韓国民が真に偉大な市民になりたいのなら、自ら先の二つの疑問を提起し解決しなければならない。
「偉大なキャンドル市民」が「賢明な選挙民」に変わり、韓国内の司法秩序を厳粛に維持し、外交合意事項を着実に実施する責任ある政府を創り出さない限り、韓国は情治国家であり大衆感情の赴くままに無政府であり続けるだろうし、外交においても国民の委託を請けるどころか、一挙一動に慰安婦婆さんの承認を必要とする「信用に足らない」政府であり続けるだろう。
米国で(つまり西側国際社会で)制裁対象になっている北の女性を国賓待遇でもてなす様は、他国と外交関係を持つには未熟すぎる人々がこの国のリーダーであることを世界にアピールしていると知るべきだ。