kaiunmanzoku's bold audible sighs

Be love Be peace Be harmony Be compassion Be joy

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.

我々は敗者だが罪人ではない。そして、正しくなかったから負けたのでもない。

負けた事で負けた原因を「日本が正しくなかったから」と考えるのは過ちだ。戦前も戦っている最中も戦後も我々は悪人ではない。敗者になったのは事実だが悪人だった覚えはない。罪悪感は植え付けられたものだ。我々は敗者だが道徳的な善悪の責任を問われる罪人ではない。降伏は勝者と敗者を作った。我々が降伏して敗けを認めたからこそ、その時点で、勝者が存在し敗者が存在する事になったのだ。断じて正が正なるが故に邪な悪を破ったのではない。そう思い込んではいけない。それは罠だ。

 

軍や軍人、武を武人を恥じるな!恥ずべきは正義を行わないこと、行おうとしないことだ!

最大の恐怖の1つである戦争は自ら起こしてはならない。しかし不当な脅威、#恐怖なき生存・#欠乏なき生活・#人としての尊厳 を脅かす「恐怖を強いる恐怖」「平和に対する脅威」に対しては立ち向かわねばならない。それが日本人の「武」だ。

 

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平時に「武」を蓄え、一旦緩急あらば、忠や孝、妻子や孫、眷属、民百姓(大御宝)、あるいは破邪顕正のため(決して戦うという意味だけではない)「武」を振るう「振武の道」。それが「正義」と考えてきた日本。それが武士道。振武の道で出会う弱者を戦いや争いから守ることは、人が人として美しく生きるという日本人のモラルであり、帰結だった。それが日本の歴史であり文化・日本的価値観だと思う。

戦後、日本人が日本人として美しく生き抜く術としての「武」が問答無用の「不正義」だと吹き込まれ、「正義」のために「不正義」である「武」を用いるのは許されないと信じ込まされてきた。大きな誤りだ。

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