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Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.

マスク拒否(安全阻害行為)で緊急着陸事件 「拒否」が、なぜ批判されるのか?

人間が社会的動物であり、社会にその生存の根拠を置く限りにおいて、個人の行為は他の個人へ影響を与え得るエネルギーを持っている。意思や目的によってエネルギーの方向が定められると言っても良いかもしれない。文明の発達と衝突、融合、創造、あるいは破壊や消滅という人類の活動が多様化するなかで、それらの行為(あるエネルギーを持った行為)を制御、制限する必要があり、社会は様々な規範を生み出してきた。

 

それらの規範は、ある側面で見ればそれは個人や集団の人権の制限であるように見えるが、人が安全に社会生活を営み、それを維持し、できればより良いものに発達させるためのルールとして捉えられるべきものだ。

 

他人に対する敬意、特に年長者に対する敬意。弱者に対する配慮。信仰や崇拝の対象物への慮り。歴史的文化的価値観の尊重。人間としての尊厳。個人としての尊厳の維持と社会に対する献身義務。社会(家族・親族・郷土・国民社会)としての尊厳等々。

 

上記に挙げたそれら、人が尊いと感じ、破壊されてはならない、守るべきだと考えたものを維持することで、人々は(社会は)平安を保てる。だから、人々(社会)の平安を守るために、それが明確に文章に書かれ、立法手続きを経た「法」として成立しているか否かを問わず(明文法・不文法を問わず)、世の中は「〇〇をすべからず」「○○をすべし」という「規範」によって秩序が維持されている。力だけが支配する野蛮世界はともかく、全ての人が人としての尊厳を認められる文明や文化を持つ人間社会では「意識されていない」が「厳として存在」する「規範」にも、我々は(施政者も被施政者も)、従わねばならないのである。

それらの「規範」は、社会を統べる「法」であり、その「法」が(全ての人が人としての尊厳を認められる)社会を統べる機能を「法の支配」という。

 

個人の自由や人権の主張は、他者の安全を脅かしてはならない。同時に多数者は少数者の自由や人権を脅かす権利はない。「法」には常に「調和」が求められる。

今回の事件は、私権と公共の福祉の問題でもあるが、乗客の権利主張の不当性を非難するばかりでなく、乗客と航空会社、双方の義務についても問題点を探るべきだろうと思う。

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社会には「〇〇すべし」あるいは「〇〇すべからず」という規範というものがある。

ある規範が明文になっていないからと言って、それを根拠薄弱だとして実定法の下に置いてはいけない。人の理性に基づく規範の創出は、社会の秩序を維持するため、社会をよりよくするために存在する。

不文律は社会で当たり前に存在する。皆が従っていて不都合が生じていない(時間と空間がそれを許している)から不文律であるというだけの話だ。不都合が生じれば不文律は実定法として明文化されるであろう。

 

簡単に言えば、「(実定)法に触れなければ何もやっても良いが許されないのは何故か」、例えば「 反天皇活動をする判事の存在はなぜ許されないか」、という問いに対する答えでもある。

 

まず、 歴史の中で育んできた文化観が社会を成り立たせている事を理解せねばならない。その文化的価値観が作り出して来た道徳や伝統や宗教や習俗を無視した行動や破壊する企てが問題にならない時空間が危機に見舞われる時に、はじめて「それをしてはいけない」「こうあるべきだ」という「規範」が人々の心に意識され、それが(実定法として定められ)実体化する。それまでの間「規範」は存在しなかったのではなく、「厳として存在」してはいたが「意識されていなかった」だけである。皆が従っていて不都合が生じていなかった(時間と空間がそれを許していた)から不文律であっただけなのだ。それをその時点で罰することはできないが、規範に反することに変わりはない。

 

個々の文化と全人類的価値が一致するのは望ましいが、個々の歴史や文化や言語を無視して「法」は存在しない。しかし、#人の安全保障 = #恐怖なき生存 + #欠乏なき生活 + #尊厳ある人生 という真実は21世紀も20年を迎えようとする現在、明文がなくとも人類の進歩が成し得た成果として重んじられねばならない。

 

これら「意識されていない」が「厳として存在」する「規範」にも我々は従わねばならないはずだ。

 

これが「法の支配」の本質である。

 

日本人の文化的価値観に「潜在的に存在」する「〇〇すべし」あるいは「〇〇すべからず」という規範(法)は、日本社会の存続に有効不可欠なものである。

 

であるから、その規範が明文法であろうとなかろうと(とは言え、そのような規範は最初は不文律であろう)、日本人が現在までに、その歴史と文化に基づいて獲得した権利義務の価値観(法)に拠っているのだから、統治する者も統治される者も従うべきなのである。

「日本における法の支配とは何か」を日本の憲法学者が語ろうとしないのは、憲法絶対主義者にとって不都合だからだが、 明文の法以上のものが「法」として存在していることを忘れてはいけない。(日本)人が(日本)人であるために必須のものだ。世間一般には、時に自然法と言われるものがそれだ。

 

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