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いしゐのぞむ氏記者会見資料 井澤彌喜太漂流事件 1893年の尖閣は無主地、日本人が経済活動を行っていた日本文化圏

尖閣編入の二年前、日清間の往復公文に新事實 井澤彌喜太漂流事件

平成二十七年三月二日午後六時半記者發表用配布資料いしゐのぞむ氏作成より

以下、いしゐ氏の文章を抜粋しながら簡略な説明をこの稿で行う。詳細はいしゐのぞむ氏の記者会見配布資料をご参考願いたい。なお、いしゐのぞむ氏から掲載については、許可をいただいているが、文中に何らの瑕疵があればこのブログの著者の責任であり、いしゐ氏の責めに帰するべきものではないことをここに記しておく。


三月二日記者會見配布資料 : - 尖閣480年史 - いしゐのぞむブログ

 

井澤彌喜太漂流事件
明治26年(1893年)6月に八重山島から胡馬島(尖閣)に向けて出航した井澤彌喜太他3名が、暴風のため漂流、浙江省に漂着した事件。
日本の外務大臣からの命令で清国に感謝を述べた文章に「漂流者が尖閣を目指して出航した」旨をあからさまに記載する日本政府と、それを領土・領海侵犯と受け取らない清国政府のやり取りが分かる。
つまり、1893年の尖閣は無主地であり、日本人が経済活動を行っていた日本文化圏に属していた証拠である。

 

いしゐ氏の文章の抜粋
井澤が送還されて以後に外務大臣陸奧宗光の命により、 上海の日本領事館から清國の福寧・福州の道員(海防長官)へ感謝を述べた往信、及び道員からの返信である。往信中では井澤らが胡馬島(尖閣)を目的地として出航したことに言及してをり、それが清國領土を侵犯することになるとは日本側は思ってもゐない。外務大臣の認識かくの如し。福州道員も日本からの往信をそのまま引用した上で「此れに准じ」と返信した。往信の通り處理(しょり)する意である。胡馬島は避難地でなく目的地だといふことで何の異議も無いのである。福州は古來尖閣航路への出航地であるから、清國官員が尖閣に留意するならばこの海防長官を舍(お)いて他は無い。
清は自然に受け容れた
勿論(もちろん)清國側は胡馬島といふ島名を知らなかったらう。しかし八重山から臺灣に近い無人島であるから、諸島嶼間の距離方向を理解してゐれば、胡馬島が尖閣もしくは臺灣北方の棉花嶼・花瓶嶼のいづれかだと氣づく筈である。省の海防長官も氣づかなかったのは、そこに領有地が存在するといふ意識が無かったからである。


この八年前の明治十八年、上海の大新聞「申報」は、臺灣の東北方の島に日本人が日章旗を立てたと報じた。尖閣史上で著名な史料である。かりに尖閣が清國の領土ならば、報道を承けて井澤らの侵犯について清國から日本へ何か申し入れをする筈である。しかし上述の明治二十六年公文の中では些かの申し入れも無い。その附近に自國の領土が存在するといふ意識すら無いのである。日本政府は何の申し入れもして來ない清國公文を囘覽し、保管した。そして一年あまり後の明治二十八年一月に尖閣を編入する際には、井澤をめぐる日清往復公文も無主地確認の一環として閣僚の意識の片隅に置かれてゐた筈である。所謂「十年間の無主地確認」の最後の仕上げがここで裏づけられる。(終)

 

 

井澤が送還されて以後に外務大臣陸奧宗光の命により、 上海の日本領事館から清國の福寧・福州の道員(海防長官)へ感謝を述べた往信

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 【原文活字化及び書き下し】

大日本駐箚上海、兼管鎮江・寧波、弁理本國通商事務、署總領事館事務山座、爲

照會事。照得茲奉

我國

外務大臣陸奧 札文、内開據報、 熊本縣益城郡

住吉村十番戸、井澤彌喜太等三名、由冲繩縣

八重山島、向胡馬島航往之際、遭風漂到清國

沿海、當蒙該國平陽縣知縣・霞浦縣知縣・閩安

協・福防廳長・福州通商局長等各官、優加保護

照料」等因。本大臣聞報之下、寔深感謝、合行札

令 貴官査照、即煩將此謝意、轉致清國各官

可也』等因。本署總領事館事務奉此、理合備文

照會
貴道査照。請煩將前因、轉達上開各官知照爲荷。
須至照會者。
右照會
大清欽命布政使銜、弁理通商事務、福建分巡寧海道陳
明治廿六年十二月廿一日。

 

【和訓書き下し】
大日本、上海に駐箚し、鎭江・寧波を兼管し、本國の通商事務を辦理す、署總領事館事務山座、照會の事のためなり。照し得たり、茲に我が國外務大臣陸奧の札文を奉ず、内に開す『報に據れば「熊本縣益城郡住吉村十番戸、井澤彌喜太等三名、冲繩縣八重山島より胡馬島に向かひ航往するの際、風に遭ひ漂して清國沿海に到るに、當(たう)に該國平陽縣知縣・霞浦縣知縣・閩安協・福防廳長・福州通商局長等各官、優に保護照料を加ふるを蒙る」等の因なり。本大臣、聞報の下、寔に感謝深し、合(まさ)に札令を貴官に行して査照せしむべし、即ち此の謝意を將(と)りて、轉じて清國各官に致するを煩はして可なり』等の因なり。本署總領事館事務、此れを奉じ、理として合に文を備へ貴道に照會して査照せしむべし。請ふ煩はしくも前因を將りて、上開各官に轉達して知照せしむるを荷と爲す。
須らく照會に至るべし。
右、大清欽命布政使銜、弁理通商事務、福建分巡寧海道、陳に照會す。
明治廿六年十二月廿一日。

 

【現代語訳】
大日本、上海駐在、鎭江・寧波を兼任し、本國の通商事務を執り行ふ、總領事館事務代理山座よりお知らせする。
このたび我が國外務大臣陸奧の訓令を受けた。内に述べる。 『報告によれば「熊本縣益城郡住吉村十番戸、井澤彌喜太等三名、冲繩縣八重山島より胡馬島に向かひ航行した際、風に遭ひ清國沿海まで漂流した。すぐにその國の平陽縣知縣・霞浦縣知縣・閩安協・福建海防廳長・福州通商局長等の各官から十二分の保護と世話を受けた」等のことである。
本大臣は報告を聞き、まことに深く感謝する。貴官に訓令して確認の上、この謝意を清國各官に傳達して頂きたい』等のことである。本總領事館事務代理はこれを受領したので、公文を作成して上海道員に通知して確認する必要がある。宜しく以上の趣旨を、上述各官に傳達して受理して頂きたい。
以上、お知らせする。
右を大清欽命の名譽布政使、通商事務擔任、福建の福寧(と福州)の海防の道員、陳氏にお知らせする。
明治二十六年十二月廿一日。

 


清国の道員(海防長官)からの返信

 

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【原文活字化及び書き下し】

大清欽命布政使銜、辦理通商事務、福建分巡寧福海防兵備道陳、爲

照復事。准

貴總領事照會、 照得茲奉 我國

外務大臣 陸奧札文、内開『據報熊本縣益城郡

住吉村十番戸、井澤彌喜太等三名、由冲繩縣

八重山島、向胡馬島航往之際、遭風漂到清國

沿海、當蒙該國平陽縣知縣・霞浦縣知縣・閩安

協・福防廳長・福州通商局長等各官、優加保護

照料等因。本大臣聞報之下、寔深感謝、合行札

貴官査照、即煩將此謝意、轉致清國各官可也』

等因。本署總領事館務奉此、理合備文照會査

照。請煩將前因、轉達上開各官知照爲荷」等由。

准此、査

貴國民人遭風援救、乃地方官分内之事、遠承

謙謝、紉佩殊深。茲准前由、除呈報移行外、合就

照復

貴總領事査照。須至照復者。
右照覆
大日本駐箚上海、兼管鎮江・寧波、弁理本國通商事務、署總領事館務山座。
光緒十九年十二月初七日。我廿七ナリ、一月廿三日接。

 

【和訓書き下し】
大清欽命布政使の銜、通商事務を辦理す、福建の寧福を分巡する海防兵備道陳、照復の 事のためなり。
貴總領事の照會するに准ずれば、 「照し得たり、茲に我が國外務大臣陸奧の札文を奉ず、内に開す『報に據れば熊本縣益城郡住吉村十番戸、井澤彌喜太等三名、冲繩縣八重山島より胡馬島に向かひ航往するの際、風に遭って漂して清國沿海に到る、當(たう)に該國平陽縣知縣・霞浦縣知縣・閩安協・福防廳長・福州通商局長等の各官の優に保護照料を加ふるを蒙る等の因なり。本大臣聞報の下、寔に感謝深し、合(まさ)に札令を貴官に行して査照せしむべし、即ち煩しくも此の謝意を將(と)りて、轉じて清國各官に致して可なり』等の因なり。本署總領事館務、此れを奉じ、理として合に文を備へて照會査照すべし。請ふ煩はしくも前因を將りて、上開各官に轉達して知照せしむるを荷と爲す」等の由なり。
此れに准じ、査するに貴國の民人、風に遭ふに援救するは、乃ち地方官分内の事なり、遠く謙謝を承はり、紉佩すること殊に深し。茲に前由に准じ、呈報移行するを除くの外、合に就ち貴總領事に照復して査照せしむべし。須らく照復するに至るべし。
右、大日本、上海に駐箚し、兼ねて鎮江・寧波を管し、本國の通商事務を辦理す、署總 領事館務山座に照覆す。
光緒十九年十二月初七日。
我が廿七なり、一月廿三日接す。

 

【現代語訳】
大清欽命の名譽布政使、通商事務擔任、福建の福寧・福州を分巡する海防兵備道陳より返信する。
日本の上海總領事からのお知らせによれば、 「お知らせする。このたび我が國外務大臣陸奧の訓令を受けた。内に述べる。 『報告によれば、熊本縣益城郡住吉村十番戸、井澤彌喜太等三名、冲繩縣八重山島より胡馬島に向かひ航行した際、風に遭ひ清國沿海まで漂流した。すぐにその國の平陽縣知縣・霞浦縣知縣・閩安協・福建海防廳長・福州通商局長等の各官から十二分の保護と世話を受けた等のことである。本大臣は報告を聞き、まことに深く感謝する。貴官に訓令して確認の上、この謝意を清國各官に傳達して頂きたい』等のことである。本總領事館事務代理はこれを受領したので、公文を作成して上海道員に通知して確認する必要がある。宜しく以上の趣旨を、上述各官に傳達して受理して頂きたい」等のことである。
これにもとづき、調べてみれば、貴國の人民が暴風に遭った時、救援するのは地方官の職務内の事である。遠くから謙虚な謝意を承はり、深く敬服する。 ここに上述の趣旨の通り、 (各地方官に)報告及び通知するほか、貴總領事に返信して確認して頂く。以上返信する。 

右を大日本、上海駐在、鎮江・寧波を兼任し、本國の通商事務を擔任する、總領事館務代理山座に返信する。
光緒十九(明治二十六)年十二月初七日。
日本の二十七日である。一月二十三日に受理した。

 

上記の写真史料は、下記による

国立公文書館 アジア歴史資料センター http://www.jacar.go.jp

標題: 9.熊本県民井澤弥喜太外二名清国ヘ漂流シタル節救助シタル同国地方官へ謝意伝達ノ件 同二十六年

階層: 外務省外交史料館>外務省記録>3門 通商>6類 交通及通信>7項 水難>困難船及漂民救助雑件/帝国之部 第十七巻

レファレンス:  B12081693500 B-3-6-7-1_3_017 (所蔵館:外務省外交史料館)

 

前後の歴史的事件

1884年(明治17年)古賀辰四郎 尖閣調査
1885年(明治18年)上海の大新聞「申報』臺灣の東北方の島に日本人が日章旗を立てたと報じる。
1886年(明治19年)8月 長崎事件。
1887年(明治20年)スタンフォード図に尖閣の西に境界線
1889年(明治22年)マイヤー百科全書の地図 尖閣の西に境界線
1893年(明治26年)
井澤彌喜太漂流事件
1895年(明治28年) 尖閣諸島編入

 

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