同志社国際高等学校 校長 西田喜久夫氏の「沖縄研修旅行に寄せて」について思うところを述べたい。
①歴史観がおかしい。毛沢東とマルクス史観のせいだろう。
琉球処分は幕藩体制において薩摩藩の支配下にあった琉球藩(沖縄)に法的地位を与え、他の府県と同様の県に置き換えた行政処分であって、清国との領有権問題など存在しない。日清戦争は朝鮮の支配をめぐる日清の争い。沖縄を「捨て石」としたという主張は、日本の敗戦と沖縄の戦略的な地勢的位置を後付けで根拠にしたマルクス史観そのもの。琉球国は室町幕府の時代から日本の中央政府の影響下にあって1609年には薩摩を通して江戸幕府の下に統制された一地域(薩摩藩の支藩)。外交権は薩摩の下で統制されていたので、支藩という表現が嫌なら付属藩であった。
尖閣諸島については、中国との間で領有権が争われているのではない。中国政府は嘘をついているのだ。その嘘をプロパガンダと言い、それを追従することは中国政府の工作に協力するも同然。
嘘だという根拠は山ほどある。このブログにさえたくさん書いてある。
ベトナム戦争への出撃基地になったことも、基地が多いことも沖縄の地政学的要因に帰することであって、東ユーラシア大陸に共産主義(中国的社会主義)が誕生したからだ。
その最大の理由は、日清戦争後に慌てて近代化を進めようとした隣国の清国と朝鮮が日本の助けで近代化(産業が起き、工業化と労働者が誕生し、国民国家が成立)する前に、その日本がアメリカと対立して負けて、次いでアメリカの支援を受けた蒋介石が負け、ソ連という国と共産主義に飲み込まれてしまったからである。
世のマルクス史観から脱却して、歴史を学びなおせば事実が見えてくる。
②平和の意味が全く間違っている。
平和とは戦争をしないことでも、9条護憲のことでもない。
#恐怖無き生存 ・ #欠乏無き生活 ・ #人としての尊厳 を実現し、人々が主権者として自由や民主主義を享受できる状態であることを平和という。
平和維持とは、地上から専制と隷従、圧迫と偏狭、そして飢餓と貧困を除去しようと努力することだ。天災にせよ人災にせよ、恐怖と欠乏、肉体と人道の破壊、絆と努力の断絶をもたらすものと対決することだ。
平和は、平和や不戦の名のもとに、恐怖と蹂躙と欠乏を、甘んじて耐え忍ぶことでは断じてない。そして平和を語るなら、地上から専制と隷従、圧迫と偏狭、そして飢餓と貧困を除去しようと努力する魂にこそ寄り添うべきだ。
世に絶対的正義などはない。不戦は絶対正義などではない。絶対的正義を掲げる独善に害された魂は、毒抜きをして生まれ変わる必要がある。この世は不完全で、人も皆不完全な生き物なのだ。
誰が「反基地は反米反日であり利敵行為。その敵とは中露北という現実。この二つの現実を『平和』という美辞麗句で覆い隠し、大勢の命を脅かして」いるのか。
真実はいつもそこにあるが見えず聞こえないのはなぜか。それを問うことが真の平和教育だろう。
以下は引用文
沖縄研修旅行に寄せて
同志社国際高等学校 校長 西田喜久夫
本校は開校以来、高等学校では沖縄を研修旅行の地としてきた。全国の半数ほどの私立高等学校が海外研修旅行にシフトしていく中でも、行き先を変えることはなかった。生徒からは、「どうして海外に行かないの?」と聞かれたことも度々あった。
そんなときの私の返答は、いつも同じである。「将来世界に羽ばたいて活躍するだろうみんなだから、あえて日本のことを正しく知って世界に説明できるようになってほしいから」。
日本と世界の近現代史を俯瞰するとき、沖縄はその姿を凝縮した土地だといえる。明治初めの清国と日本での沖縄の主権をめぐる「琉球処分」は、後の日清戦争の一つの遠因ともいわれている。第二次大戦では日本本土防衛の「捨て石」として沖縄戦が繰り広げられた。1952年にサンフランシスコ平和条約(正式名称は、“Treaty of Peace with Japan” 日本名は「日本国との平和条約」)が結ばれ、日本が独立した後も、1972年までの間、沖縄の施政権はアメリカにあった。1975年までの20年間に渡っておこなわれたベトナム戦争では、沖縄は米軍の出撃基地となった。2001年9月11日にニューヨークで起こったアメリカ同時多発テロの恐怖は沖縄にも及び、沖縄への観光ツアーや修学旅行が軒並みキャンセルされる事態となった。尖閣諸島をめぐっては、中国が今も領有権を主張している。現在も、日本全土の約0.6%の沖縄に、日本全体の米軍専用施設の約70%が集中しているという事実がある。これらのさまざまな問題を「感じにいく」ことが、沖縄研修旅行の意義であると私は思う。
2002年の研修旅行で沖縄を訪れたとき、元読谷村村長であった山内徳信氏にご講演いただいた。山内氏は冒頭、「同志社国際高等学校のみなさん、今年も沖縄に来てくださってありがとうございます。昨年、アメリカ同時多発テロがあって、それ以来沖縄への研修旅行はたくさんキャンセルされました。毎日毎日キャンセルの電話です。その電話に、そうですか、残念です。また世界情勢が落ちついたら来てくださいね、と答える。親や学校の先生からすれば、米軍の基地がたくさんある沖縄が次の攻撃目標になるんじゃないか。そんな危険なところに子どもをやるわけにはいかない。そう思うのも当然です。でもね、本土の人は沖縄に来なければいいけれど、沖縄の人はどこにも行けない。危険だと思っても、住むしかない。そんなふうに思いながら毎日過ごしています。」といわれた。このことばは私たちに対する非難ではない。沖縄に暮らす人たちの「実感」だ。こういう「実感」に触れることから、理解ははじまる。
昨年は戦後80年という節目であった。しかし、世界は決して「平和」ということばで表現できる方向には順調には動いていない。長い歴史の中でくり返される対立や戦争が「平和のため」という表現で語られるのは詭弁だ。「平和のため」という戦いの中で、どれだけ多くの人びとの命が消えていっただろう。どれだけ多くの自由が奪われていっただろう。どれだけ多くの不幸が生み出されていっただろう。相手の心に寄り添い、相手の悲しみも喜びも感じること、それが「平和」に向かうためのはじめの一歩だと思う。











