【反共は反知性主義???】
「反共」を反知性主義だと批判でき得たのは、せいぜい天安門事件、ベルリンの壁崩壊(1989年)、ソ連崩壊(1991年)までだろうね。今では「容共」が反知性主義と批判されてよいと思う。
共産主義は人間の欲望を社会システムとして組み込むことに失敗し、システム保守要員を富と権力を独占する特権階級にしてしまう危険で使えない思想だと今では誰もが知っている。
おまけに彼らの社会では、社会矛盾というものは、プロパガンダで「社会敵」を作り出して、権力闘争でそれを打倒することによって解決が図られるという現象となって表れる。我々はそれを何度も目にした。
力によって生み出された政権内矛盾は力によって解決されるという構造は、反省もなしに未だに続いている。
こんなことを言うのは、NHKでニクソンの話をしていて、ニクソンが「反共」を武器に政権を得たという歴史的事実の評価があったからなんだ。
60年代でもあるまいし、デタントの時代もはるか遠くだ。文化大革命を待つまでもなく、「共産主義は反知性主義だ」と気付く人間が多かったにもかかわらず、時代錯誤も甚だしい。それでも、ニクソン政権誕生当時なら「あり得た」考えかただろう。
キッシンジャーは、対ソ戦略で中共に接近した立役者で、その大統領がニクソンだ。ニクソン時代の「反共」ですらついていけない評論家は「現在の政治に口を挿むべきではないな」と考えた。