※ 『中山世鑑』 「瞬天尊敦と申奉るは、大日本人皇五十六代、清和天皇の孫、六孫王より七世の 後胤、六条判官為義の八男、鎮西八郎為朝公の男子也」
※琉球王国の初めての正史である中山世鑑によれば鎮西八郎こと源為朝が琉球に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になったとする記述がある。 源為朝を祖とする舜天王朝は3代目の義本王の時に一旦滅んだが、後に第一尚氏が倒れたあと新王統を開いた、第二尚氏の始祖・尚円王の父・尚稷は『中山世譜』など正史によれば 、舜天王統の第三代王・義本の末裔であるとの説が記されている。尚円王統は琉球処分まで19代409年続いた。
※『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀は、摂政就任後の1673年3月の仕置書(令達及び意見を記し置きした書)で、琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、源為朝が王家の祖先だというだけでなく琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べている。
※真境名安興『真境名安興全集』第一巻19頁参照。元の文は
「「此国人生初は、日本より為レ渡儀疑無二御座一候。然れば末世の今に、天地山川五形五倫鳥獣草木の名に至る迄皆通達せり。雖レ然言葉の余相違は遠国の上久敷融通為レ絶故也」
※なお、最近の遺伝子の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民とは、同じ祖先を持つことが明らかになっている。
高宮広士札幌大学教授が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降である為、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘(2010年4月16日)するように、近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されている
+++++++
上記は友人の源義家 Yoshiie Minamoto 殿の文章をコピペしたもの。時々で使わせていただく所存です。