「倭」「和」は ”wo” (を) と読むと解る 沖縄は古事記の時代から日本だ。
「琉球人」
陳侃の使琉球録 倭急拿必周(をじなはひつぉう)
ローマ字表記 wojinah-hizhou → woknahーzhou
現在の「うちなーちゅー」。その元が「おきなわひと」とわかる。
「琉球」は 倭急拿(wojinah)だった。「をきなー」を経て「うちなー」か。
「日本人」
陳侃の使琉球録 亞馬奴必周(やまとひつぉう)
ローマ字表記 jamatohizhou → yamatohzto →yomaton-zhou
「皇帝」
陳侃の使琉球録 倭的毎 (をーつみぃ)
ローマ字表記 wotemei → wotsumi
15世紀の沖縄で「皇帝」を意味する言葉の「音」を表記する3文字「倭的毎 (をーつみぃ)」を「倭的海」と書いても同じ音になることから「綿津見、海神(わたつみ)」という言葉には『倭(わ=日本)の海』と言う意味が込められている。この場合の「倭的海=日本の海」とは倭が渡って来た東シナ海のこと。皇帝と倭的海が同じ(わたつみ)という音と言葉で通じている。
「宇都」「鵜戸」「宇土」「委奴」「海渡」・・・
地名 うと うど おと をと ・・・
ローマ字表記 woto → uto, oto, udo 等
稲穂を持った倭族(日本人の祖先たち)が、和邇と呼ばれていたウツホフネを多数連ねて、わたつみ(東シナ海)を渡って来た、その場所を倭度あるいは菟度 woto という。委奴(をと)も同じ。
「和邇」
読み下し 和邇(わに)【此の二字は音を以ちてす。下、此に效え】
ローマ字表記 woji → woni → wani
和邇とは船だ(船は和邇である)と、因幡の白兎の物語に書いてある。
和邇が(皆)列をなして伏す状態、和邇列伏 (わにれつをなしてふす)を(「わに」に「伏」をつらねる)と読んでその通り並べてみると「船は鰐」とわかる。元々の和邇(をに)には、「和=倭=吾=我」である『私』と「邇」である『貴方』が一体となった形で「私とあなた」の意味や後の世の「鬼」の意味もありそうだ。
「和邇魚」
読み下し 即ち悉く和邇魚(わにな)を召し集めて問いて曰わく
ローマ字表記 wojinah → waninah
当時の発音は wo-ji-nah、この発音は陳侃の使琉球録(16世紀)の夷語によると「琉球人」を wojinah-hizou と呼び、琉球が wojinah であったのと同じで、「沖縄(をきなは)」に通じている。海神の国、わたつみの国は沖縄と示唆している。倭が渡って来た東シナ海、倭的海と書けるわたつみの国は、海神であり綿津見大神である禮玉(れいきゅう)王、豊玉彦(とよたまひこ)が支配し、和邇魚(和邇と呼ばれる高速船の漕ぎ手の部族、「魚」は部族を表す)がいる海洋国家。一尋和邇(佐比持神=稲冰命)が帰り、稲冰命(佐比持神=一尋和邇)が帰った母の国。これは、「おきなわ」で間違いないだろう。
「鹽椎翁」
ローマ字表記 sio-tsuti-no-wojinah → siotsuti-no-oji
シオツチノオジを別名「事勝国勝長狹神」と呼ぶのは戦いの帰趨を決した役割を何度も演じたからだろう。「オジナ(wojinah)」は、海岸に住む古い「和邇・鰐・鬼(woni)部族=魚」であり、その代表格「翁=長(wojinah)」で、潮流だけでなく、戦いの帰趨すら読める戦名人だったのだろう。潮流に乗って「和邇(woni)」と呼ばれる船を操り、「わたつみ=沖縄(wojinah)」を拠点に周辺地域と盛んに交易も行っていた。その範囲は、日本海流に乗っては、北九州や朝鮮半島、因幡や東北、沿海州、九州の東岸からは瀬戸内海を通り、太平洋の大海原では黒潮に乗って伊勢や熱田、安房や小笠原列島の方まで進出していたに違いない。神話時代には大陸へと自由に行き来していたかもしれない。全国の「鬼(woni)」伝説にも関係しているのだろう。倭族の一員であり倭族と同じ大陸の揚子江流域から江南地域出身の航海術に秀でた部族であり、先祖に猿田彦が関係していると考えている。
そのような繋がりが、『中山世鑑』に鎮西八郎源為朝が琉球王の祖先だと書かれるはるか以前に、古事記の海幸山幸の神話の世界が九州と沖縄にあったと想像させる。つまり、火遠理命やその妻の豊玉姫命、あるいは玉依姫のような九州・沖縄間の貴人の行き来や和邇のような交易船の往来があったはずなのだ。
だからこそ、中世の九州からの落ち武者、あるいは政治亡命者が沖縄で一族の中の貴種として扱われ、歓迎される素地が沖縄に出来ていた。それが『中山世鑑』のような伝説が誕生する重大な要素である。そこには先祖と文明の一体感がある。そう考えるのが合理的だ。
宇佐神宮は古代に大陸の江南地域にいて、海流に乗って薩摩半島に上陸したと言われる隼人族との関連を持つ神宮とも考えられている。隼人族は「を」wo の付く地名を日本全国に残している。宇佐神宮もその一つだ。
また、大隅一ノ宮である鹿児島神宮は、正八幡宮という呼称を持っており、豊前宇佐と同族である隼人族とのつながりを示している。また、天津日高彦穂穂出見尊のほか、その妻豊玉比売命(=海神(ワタツミ)の娘)を祭神としており、海神(ワタツミ)と隼人族との関連も興味深い。
古代に海流に乗って大陸の江南地域から西南諸島をたどって九州へたどり着いた日本人の祖先が、今度は九州から西南諸島へと移動する様が見えるようです。
陳侃の使琉球録に記載してあった「倭的毎」は、その記載の当時「をーつめぃ」と読み、沖縄で皇帝を意味する言葉の「音」を表記する3文字でした。意味は「皇帝」であり、「大王」のことです。
中世沖縄で「を」を明の官吏に読ませるために充てた漢字が「倭」であり、「倭的毎」を「Wotsu mi(mee)」と読むインスピレーションを得たことから倭的海「わたつみ」が出てきた過程は下記のブログを参考願いたい。
明が国外に持ち出すことを禁止しているサトウキビを栽培する直川智と当時の琉球王国の立場(島津藩の立場も同じだと思うが)を考えると、サトウキビの密輸と栽培の事実を明国からカムフラージュする必要があったはずと考えて、明国製ではなく日本製の砂糖であると称したのが「ウージ」ではないかと言う私説がこちら。
日本神話の世界にあまり詳しくない方に注釈
「わだつみ」と入力すれば「海神」と変換しますが、その通り日本の海の神様で古事記、日本書紀に登場します。伊邪那岐(イザナキ)・伊邪那美(イザナミ)の神産みによって生れて登場する大綿津見神(おおわたつみのかみ)がその神様です。海彦と兄弟げんかをした山彦が立ち寄る先がわだつみの国です。その国は古代日本の近海にある国です。沖縄語の「皇帝」つまり国の支配者が「わだつみ」と関係があるとすれば、「沖縄=わだつみの国」説が成り立つわけです。