原子力産業は国際的にはエネルギーの安定供給と環境目標を達成するために重要性を増している。しかし日本では肯定的な報道はわずかだ。
アベノミクス最大の致命的失敗は原子力政策の規制強化だ。
民主党政権時代の規制を放置したことを言っている。
単に、発電所再起動の遅れ、海外を含む新規投資に消極的になったというだけでは済まない。何よりも「安全対策費用の増加」である。
安全基準の国内基準と国際基準との乖離は、原子力メーカーの競争力を根こそぎ削ぎ落とした。その結果、新規原発に投資が不可能になった。そして、次世代に熾烈なエネルギー資源獲得競争という禍根を残したといえる。その政治責任は重たく重要だ。
安全には、基本的にダブルスタンダードはあり得ないのだ。
メーカーは厳しい基準に企業内の品質(安全)基準を統一せざるを得ない。日本向けはここまでやるが、海外向けは〇%省略するというわけにはいかないのだ。
東芝の情けない企業統治能力による原子力部門の凋落は日本の原子力産業そのものの凋落の象徴だったが、311以降の日本の原子力政策は、原子力規制委員会の、どのような基準も、より厳しければそれで良いのだ、その方が国民に迎合できる、という国際基準の合理的値より厳しいことに意義を見出す(コストも競争力も安全保障も技術保持も無視の)独善的なやり方に極まる。これは、「何ものにもとらわれず、科学的・技術的見地から、独立して意思決定を行う」という独立した意思決定が、独善と化しているからだ。
事業者、専門家(特に安全)、メーカーとの充分な対話がない。意思決定までの議論が透明性を欠く。実効ある行動なのかもしれないが、デュープロセスの観点からも有識者会議などは、そのメンバー選択の指針や会議そのものの法的あるいは意思決定関与の度合い等の位置付けが外部から見えてこない。
だから、独立した意思決定と言っても、外から見るとコミュニケーションと透明化が決定的に欠けた状態で運営されるという点で、中国共産党中央政治局常務委員会の意思決定と同じなのだ。「独善が独裁を産む」状態になっていると思う。透明で開かれた組織とは程遠いのだ。
独善と化した原子力規制委員会の組織理念を見直すべきだ。そして、透明で開かれた組織として生まれ変わるべきだ。
それでも、それまでの間、バカげた政策で、日本の原子力産業が空洞化するのを自衛しなければならない。
周辺で核技術を狙う国があるのだ。
だから、まず、最先端事業を担う技術者を擁する重電各社の人・物・技術等の構成要素はエネルギー安保上、どうしても流出を避けるべく手を打つべきだ。
上記は、下記のFBへの投稿に手を加えたもの
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画像は平成31(2019)年2月3日の読売朝刊から