掲題の事実については、既にこの私のブログで述べているつもりだったが、明記していなかったので、題字に明記した。
根拠は、下記のブログとそこで参照されていることをご覧いただきたい。
土地の名前ではないが、上記の根拠を裏付ける仮説として次のものがある。
もちろん、「倭」とは「大和」「日本」「和」のことである。
「わ」や「うち」が「自分たちの」や「日本の」の意味を持つことが自然に受けられることも自明であろう。
そして、それらの事実は中世沖縄の言語からたどり寄せたものだ。
私としては、古事記や日本書紀に海神(わだつみ)として記されているものが、何を意味するかは、既に答えたつもりである。
空船(うつほふね)や高天原、岩船の謎、遺伝子解析に触れたブログもある。そこではチベット高原からガンジス河口から沖縄諸島、九州の大隅半島に至るまでの民俗的挿話や想像も交えて、私の考えていることを示唆したつもりである。
学術的背景を経歴に持たないがゆえに不足する説明については、世に専門家と称する方々が解き明かしてくれると思う。
様々な文字に姿を変えた「う」は、元は「倭(wo)」という読みであり、久米人、球磨、隼人、耶秦、八幡と呼ばれる人々が残した現代の日本人(倭人)へのメッセージである。
(2016-6-12追記)もともとが。”wo”の発音と考えられるので、「御」「尾」という「お」の地名も検討してみる必要があるだろう。「尾道」など倭の道の可能性がある。