「 因幡の白兎 兎と鰐 大国主命」(1)~(4)として紹介した私の訳を解説する。
私が因幡の白兎を考察してみようと思ったのは、日本人のルーツに係わる事実がこの物語に隠されていると思ったからで、先に自分なりに考察してみた海幸彦と山幸彦の物語との共通項がいくつかあったのが、そう思った理由である。
共通項の代表が「ワニ」だ。
思えば、「倭」に wo という音があって、後に
「う」と発音され「鵜」「宇」「羽」「菟」に変化し、
「を」や「お」と発音され「御」「尾」「淤」等になり、
「わ」と発音され「和」「吾」「輪」「羽」「我」「倭」に形を変えた。
それらの字が「倭族」「ヤマト」「日本」や「私」「我々」「我が一族」等の意味を持つと気付いたことが、日本人がどこからやってきたのかを知ろうと思ったきっかけである。
したがって、私の因幡の白兎の解釈はその部分を中心として解説することになるが、私には謬説を拡散する意図はなく、門外漢だけが提供できる面白い視点こそが、その意図するところだと予めお断りしておく。
+++++以下は、私の因幡の白兎の解釈+++++
スサノヲの第6代目の子孫である大国主は、高天原から天の岩船(猿田彦が案内人)でやって来た種族であり、その一族は、この物語の時代までの長い間に八十神と呼ばれるぐらい多くの種族に増え、分岐して、日本列島を行き来していた。既に日本の各地域間の交易が盛んになっていたからだろう。
これに対して天の岩船に少し遅れて来た種族がいる。その一つ因幡の白兎、ウサギ族は海の向こうの国から、多くのウツホフネ(菟乍歩伏寝)を連ねて、幾夜となくその船の中で寝起きしながら、わたつみを越え渡って来た種族である。特に因幡のウサギの一族は稲穂を日本に伝えた種族として特徴のある一族である。稲羽とは「稲を伝えた倭族」の意味であり「稲を伝えたのは我々」という主張を持つ。
私は、同じ倭族に天の岩船グループとうつほ船(空船)グループがいると思っている。
天の岩船が猿田彦が案内人で長江河口付近から北九州・五島列島と朝鮮半島に、ウツホフネはシオツチノカミが案内人で長江以南の福建付近から、西南諸島・南九州にたどり着いたと推測している。
ウツホフネを操る人々は「をに」とも呼ばれる海の一族だが、ウサギと同じ倭族だ。「をに」という音に充てられる「和邇」という漢字は、倭という意味をもつ「和」という文字と、汝という意味を持つ「爾」に、道や歩いたり進んだりする意味を持つ「しんにょう」が合体した「邇」、という二文字からできている。つまり「倭である『私』と『貴方』が一体になって日本に『やって来た』」という意味だ。「和邇」とは、物語の中で「私と貴方は同族」と読者や聴衆に伝えている漢字表現である。わざわざ、これ音を以て二字とする、下はこれに倣う(此二字以音、下效此)と伝えなければならない意図を感じるのである。
兎度和邇上(ウサギが ワニの上を 渡る)と言う意味を持つと考えられる「兎度」「鵜戸」「宇土」「宇都」「宇戸」「宇渡」「委奴」等の「うと」には、多くの丸木舟を連ねそれらに乗って日本列島に倭が渡ってきたという意味がある。特に地名は九州に多く認められる。
南方から、稲を伝えた栄誉ある倭族は、この物語の時代になって九州から因幡に移り住んだのだろう。
さて、ウサギは八十神のアドバイスを例に挙げて
「一族がこの地に住むようになってから、いろいろな種族と交わってまいりましたが、取り立てて親切にしてくれる人々はなく、文化の違いで役に立たないことや、害になってしまうことが多かった」
と話している。
物語の
「『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と言われてそうしたら、全身まるまる傷だらけとなりました」
という下りだ。
これは、一族の繁栄のためには、この地で生き抜く知恵と力を持った他の一族ともに国を治めるのがウサギ一族の未来のためだという判断だろう。回りくどいが、因幡の白兎が一族のリーダーの姫である八上姫の配偶者を探す側から一族の置かれた政治的社会的環境を述べていると言えるだろう。
一方、八上姫を娶る側の八十神や大国主にすれば、農耕技術を持った一族との共同統治という魅力ある話なのである。
私が紹介した、因幡の白兎の具体的エピソード、超訳と現代語訳は、おおよそ上記のような考察を経たうえで書いたものだ。
まだ、少女で子供だった八上姫は、一族のために良き伴侶を得なければならないと思ってはいたが、その実感がわかずにいた。多くの立派な男たちが姫を訪ねて求婚を申し出てくれるが、恋に落ちるどころか、この人ならと強く惹かれる人すらいなかった。
この「雖欲度此地、無度因」の表現は下記の章で解説済みだ。
とうとう最後のあなたに衣を全て脱がされて - kaiunmanzoku's bold audible sighs
だから、大勢の男たちに気のある振りだけをして
「私の貴方(和邇)、私の貴方(吾が爾)、私の貴方(吾が汝)、私の貴方(わたしの愛しい人)」
と言っては、騙してきていた。
この様な言い回しで男たちを騙す言葉こそが和邇和邇和邇と和邇の上を渡っていく兎なのだ。
和邇は、爬虫類の鰐でもなく、魚類の鰐ざめ、鮫でもない。
日本人の記憶を秘匿する意味では船であり、物語の表層からちょっと奥に秘められている寓意の上で和邇とは八上姫と求婚者、二人の事であり、騙す言葉のことである。
しかも、兎(と)がその気になれば縁が結ばれるという約束のことである。
ついに、業を煮やした求婚者の一人が八上姫を騙して、裸に剥いて、火傷に近い日焼けを負わしめたのだ。この下りは前述の「因幡の白兎 兎と鰐 大国主命(4)」を参照願いたい。
物語のその次の下りは、役に立たなかった八十神のアドバイスと、役立った大国主のアドバイスの比較である。ここも前述の「因幡の白兎 兎と鰐 大国主命(4)」を参照して下さればよい。
超訳だけで示すと、
「日焼けをあなたの兄弟の教えてくれた方法で治そうとしたら、火傷が重症化して全身真っ赤々になっちゃったわよ。これじゃ赤肌のウサギだわ。もうやってらんない。
でも、貴方に教わった方法で日焼け治療を試したら、元の色白美人に戻れたわ。とっても嬉しい」
となる。
この部分で、私が注目したのは、八十神も大国主も、そしてウサギですら水上を移動する手段とその文化を持っていたと推測できる根拠となる「水門(みなと)」という言葉だ。船に乗った人から見て門のような地形、役割をしているから水門であろう。どう考えても、水上生活者の視点であり、陸上生活者の視点から出てくる単語ではない。船で出入りする者の視点でこそ「門」と言い表せるが、徒歩で歩く者にとっては「障害」なのが、「河口」である。
大国主も八十神も「此水門(このみなと)」まで船を用いてきたのだろう。そして、鰐やら鬼やらとなにやら凶暴な名前で呼ばれれてはいるが、鰐や鮫でも鬼でもないもの達もいただろう。そのもの達は、交易船とその操り手であった「をに」である。水門という名がある以上、そこに間違いなくいたに違いない。何頭も、あるいは何隻も何人もいただろう。
そんな河口に、全身が真っ赤に腫れ、その皮がめくれ、体力が弱っていた少女が、一人で治療のためによろよろと潮や水を浴びに行っても、凶暴な鰐や鮫の群に襲われる危険は万が一にもなかったはずだと想像できるのである。
的確なアドバイスを受けた八上姫「あかはだのうさぎ」は、元の通りの白うさぎとなって、大国主命に「姫(である私)は貴方と結婚を約束します」と、この時には目の前の白兎こそが八上姫であることを気付かぬままの大国主に告げる。
この言葉が発せられた時こそが、大国主の優しさと豊富な知識が、まだ日焼けが似合うような少女でしかなかった八上姫の恋心を目覚めさせ、一人前の女性として結婚を決断した時であり、いたいけな少女が色白の美しい大人の姫君として変貌した瞬間である。これが、因幡の白兎が兎神(うさぎかみ)として祀られるきっかけとなる。
やがて、館で公式に対面した時、八上姫は八十神の求婚を正式に断り、大国主と結婚する旨の強い言葉を世間に公表する。
このアカハダノウサギ(日焼けした女児)がシロウサギ(美しい乙女)へ変貌する様、少女が女神になった瞬間のきらびやかさへの驚きこそが、この物語の白眉であり、長々と伝えられてきた理由の一つであろう。
以上が、私の因幡の白兎の解釈です。
2016年12月5日6日 和邇和邇和邇の説明部分は、和邇(私の貴方)の方が分かりやすいのでその趣旨が分かるように訂正した。その言葉を「男たちを騙す言葉」として表現し直した。