「琉球人」の発音 は、その音を当時の明人の漢字に当て嵌める(当て字にする)と「倭急拿必周(をじなはひつぉう)」、つまり、 wojinah-hizhou → wojinahーzhou と発音していたらしいと陳侃の使琉球録でわかる。だから、容易に現在の「うちなーんちゅー」の元が「おきなわひと」とわかると、過去のブログで説明した。そして、沖縄は「倭岐魚場」であっても良いとも主張してきた。
次のブログだ。
そして、今日、平成31(2019)年2月1日、海幸山幸の古事記原文を眺めていたら、下記の事実に気が付いた。
「邇」には、もともと ji と言う音がある。だから、
woni「和邇」を woji と濁れば、wojinah (沖縄)は「和邇魚」と書ける。
換言すると
「和邇魚」の「和邇」を woji と濁って読めば、wojinah「をきなは(沖縄)」になる。
つまり
現代沖縄方言の「うちなー(おきなわ)」の語源 wojinah と同じ発音である。
「和邇魚」と書いて、 wojinah 「をきなは(沖縄)」と読む。
そして、わたつみの国は、和邇魚(和邇と呼ばれる高速船の漕ぎ手の部族、「魚」は部族を表す)がいる海洋国家で一尋和邇(佐比持神=稲冰命)が帰った国。これは、「おきなわ」で間違いないのだと思いついた。
そう、古事記に「おきなわ」と書いてあるという事だ。
古事記本文:
即悉召集和邇魚問曰 今天津日高之御子 虚空津日高爲將出幸上國 誰者幾日送奉而 覆奏 故各隨己身之尋長限日而白之中 一尋和邇白 僕者一日送即還來 故爾告下其一尋和邇 然者汝送奉 若渡海中時 無令惶畏 即載其和邇之頚送出 故如期一日之内送奉也 其和邇將返之時 解所佩之紐小刀 著其頚而返 故其一尋和邇者 於今謂佐比持神也
まずは、ここまで。構想が練れたらブログに書こうと思う。
ここまで来たら、本を出しても良いかもしれない。
八千代市保品出土縄文丸木舟(複製・復元品)
八千代市立郷土博物館所蔵
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花見川流域を歩く HANAMIGAWA RYUIKI wo ARUKU: 縄文丸木舟と大賀ハス8