古事記本文:
於是其弟泣患居海邊之時 鹽椎神來問曰 何虚空津日高之泣患所由 答言 我與兄易鉤而 失其鉤 是乞其鉤故 雖償多鉤不受 云猶欲得其本鉤 故泣患之 爾鹽椎神云我爲汝命作善議 即造无間勝間之小船 載其船以敎曰 我押流其船者 差暫往 將有味御路 乃乘其道往者 如魚鱗所造之宮室 其綿津見神之宮者也 到其神御門者 傍之井上有湯津香木 故坐其木上者 其海神之女見相議者也【訓香木云加都良】
読み下し:
是(ここ)に其の弟(火遠理命ほおりのみこと)、泣き患(うれ)えて海邊に居(お)りし時に、鹽椎(しおつち)の神、來たりて問いて曰く、「何ぞ虚空津日高(そらつひこ、火遠理命)の泣き患える所由(ゆえ)は」。 答えて、「我(あれ)、兄(え)と鉤(はり)を易(か)えて其の鉤を失う。 是に其の鉤を乞うが故に、多(あま)たの鉤を償(つぐな)うと雖ども受けずして、『猶お其の本の鉤を得んと欲う』と云いき。 故、泣き患うる」と言いき。 爾くして鹽椎の神、「我、汝命(なむじみこと)の爲に善き議(はかりごと)を作(な)さむ」と云いて、即ち无間勝間(まなしかつま)の小船を造りて、其の船に載せ以ちて敎えて曰く、「我、其の船を押し流さば、暫(しば)し往(ゆ)くに差*1(つかわ)せ。 將(まさ)に味(うま)し御路(みち)有らむ。 乃ち其の道に乘りて往かば、魚鱗(いろこ)の如く造れる宮室(みや)、其れ綿津見(わたつみ)の神の宮なり。 其の神の御門(みかど)に到らば、傍(かたわら)の井の上(へ)に湯津香木(ゆつかつら)有らむ。 故、其の木の上に坐さば、其の海の神の女(むすめ)、見て相議(あいはか)らむなり【香木を訓(よ)みて加(か)都(つ)良(ら)と云う】」。
現代語訳:
こうしたわけで、その弟(火遠理命 ホオリのみこと)は泣き憂いて、海辺にうずくまっていた、その時、鹽椎の神*2が来て問い尋ねた
「どうしたのだ、虚空津日高(そらつひこ、火遠理命)が泣き患うわけは何だというのだ」
答えて
「私は、兄と釣針を取り替えて、その兄の釣針を失ってしまったのです。だから兄が釣針を返せと要求するので、たくさんの釣針を弁償しようとしたのだけれども受け取ってもらえず『やはり元の釣針を返して欲しい』と言うのです。だから、泣き患っているのです」
と言った。
そうしたところ、鹽椎の神は
「私が、あなた様のために物事がうまくいくように計らって差し上げます」
と言って、たちまちのうちに隙間のない密閉された籠の小舟を作り上げ、その船に火遠理命を乗せて、教え伝えた事には
「私が、この船を押し流しますので、暫くその船が進んで行くのに任せなさい。そうすればあなた様にとって善い道筋となりますでしょう。というのは、その道が行き着くところは、魚鱗のように並び輝く宮殿です、それが綿津見の神の宮殿です。その神の宮殿の門に着いたら、そばに井戸の上にかかったカツラの木が有ります。そうしましたら、その木の上に座っていれば、綿津見の神の娘が、あなたのお姿を見つけてお互いがうまくいくよう計らおうとするでしょう。【その香木は訓読みにすると、加(か)都(つ)良(ら)と云う*3】」
超訳:
山幸彦が、困り果てて泣きながら海岸にたたずんでいると、海の潮の流れをよく知る神様で塩椎神(シオツチノカミ)という名前のお爺さんと出会いました。
山幸彦がわけを話すと、お爺さんは竹でかごを編んで小舟を作りました。
そして、「このかごの船に乗って海の国へ行きなさい」と言いました。
「私が小舟を押し流したらそのまま進みなさい。そのうちよい潮にぶつかります。その流れに乗ればやがて魚の鱗を並べたように輝く宮殿が見えてきます。それは綿津見の神(ワタツミノカミ)という海の神様の宮殿です。
その海の神様の宮殿の門に向かっていくと、そのそばに泉があり、その近くに桂の木があります。その木に登って待っていなさい。海の神様の娘があなたを見つけてくれるでしょう」
上の超訳は下のブログで私が訳したもの
*1:動詞として「行かせる、差し向ける」の意味と解釈すべき
*2:シオツチノオジを別名「事勝国勝長狹神」と呼ぶのは戦いの帰趨を決した役割を何度も演じたからだろう。「オジ(woji)」は、海岸に住む古い部族「鰐(woni)」の一員であり、その代表格(長)で、潮流だけでなく、戦いの帰趨すら読める戦名人だったのだろう。潮流に乗って和邇(woni)と呼ばれる船を操り、わたつみの国と交易も行い、日本海流に乗って北九州や朝鮮半島、因幡や東北、沿海州、瀬戸内海や黒潮に乗って伊勢や熱田、安房や小笠原列島の方まで進出していたに違いない。全国の「鬼(woni)」伝説に関係しているのだろう。先祖に猿田彦が関係していると考えている。
*3:わざわざ訓読みにして、「勝」、「勝長狹」の音を連想させていると思う。事勝国勝長狹神、鹽椎の神(シオツチノカミ) が見守るという寓意と解する