2012年の7月に
尖閣諸島 大陸の歴代政権(中国)はどう認識していたか - kaiunmanzokuのざれごと、たわごと、綺麗事
で紹介したマイヤー実用小百科のアジア地図(1892年発行)については、上記のサイトと「尖閣反駁マニュアル百選」(集広舎)を参考いただきたい。
ここでは、同じ年に同じ出版社から発行された「中国・日本図」(下方に掲載)について述べる。
この地図は、Norman B. Leventhal Map Center にアーカイブされているもので、デジタルライブラリーで閲覧可能だ。
この地図は、以下の書物の中から見つけた。
Meyers kleiner Hand-Atlas. Mit Benutzung der Kartenmaterials aus Meyers Konversations-Lexikon zusammenstellt in 100 Kartenblättern und 9 Textbeilagen
by Meyers konversations-lexicon
Published 1892
「中国・日本図」CHINA UND JAPAN
https://archive.org/stream/bub_gb_t_hAAQAAMAAJ#page/n254/mode/1up (左半分)
https://archive.org/stream/bub_gb_t_hAAQAAMAAJ#page/n255/mode/1up (右半分)
地図は、製本の都合であろう、真ん中で折り込まれ2ページにまたがっている。
全体を横に並べてみるとこうなる。
https://archive.org/stream/bub_gb_t_hAAQAAMAAJ#page/n255/mode/1up (右半分)と、その拡大図
国境線が台湾島と尖閣諸島、与那国、緑島の間を通り、蘭嶼の北方を横切っている。
台湾島は中央の山脈で色分けされており、西側が対岸の福建と同じ桃色、東側が橙色で彩色されている。
北海道と樺太の間の海上にも日本の領域を示す点線が引かれており、同様の点線が南シナ海や東シナ海に「清の領域を示す線」として引かれていないこととは対照的である。
下の拡大図で分かる通り、この地図で収まり切れなかった海南島をわざわざ欄外に描いているが、東シナ海・南シナ海に国境線を示す痕跡は見られない。
https://archive.org/stream/bub_gb_t_hAAQAAMAAJ#page/n254/mode/1up (左半分)
その他の所見として、モンゴルやチベットがチャイナとは別個に描かれている。
清朝の統治方法に則った描き方である。すなわち中華皇帝としての支配地と大ハーンとしての支配地の区別がなされているのであろう。
この事実は、国際的にも知られていたから当然である。