下記3点の地図は、いずれも同じ国(英国)、同じ作者による同じ出版社の発行になるものだ。そしていずれも米国国会図書館所蔵である。
Title:China and Japan
Contributor Names:Johnston, Keith, 1844-1879.
Created / Published:Edinburgh : W. & A.K. Johnston
1895(明治28)年以前の尖閣諸島は国際法上は無主地であったが、欧米の地図の上では沖縄県に編入される正式の手続以前に日本領と認識されていたと分かる。
参考地図 米国国会図書館所蔵
関連部分図
尖閣部分拡大図
所見:
▼Tia-yu-su、Hoa-pin-suと表記された尖閣は台湾北方3島と同じく無色。無主地として描かれていると思われる。
▼宮古島諸島は琉球に属すとされ琉球諸島が全て黄色で塗られている。
1871(明治4)年 英国 まだ無主地として描かれる尖閣
参考地図 米国国会図書館所蔵
関連部分図
尖閣部分拡大図
所見:
▼Tia-yu-su、Hoa-pin-suと表記された尖閣は台湾北方3島と同じく無色。無主地として描かれていると思われる。
▼宮古島諸島は琉球に属すとされ琉球諸島が全て黄色で塗られている。
1881(明治14)年 英国 尖閣が琉球諸島と同じ黄色に塗られ日本に属すとして描かれる尖閣
参考地図 米国国会図書館所蔵
関連部分図
上記の尖閣部分拡大図
沖縄本島部分拡大図
所見:
▼Tia-yu-su、Hoa-pin-suと表記された尖閣が他の沖縄諸島と同様に黄色く塗られている。下記と併せ日本のものであると地図作成者が認識していると分かる。
▼沖縄本島の左下に(To Japan)の表記がある。
▼台湾北方3島も台湾島と同色に塗られており、地図作成者が台湾島の付属島嶼と認識していたと分かる。
▼西南の役1877(明治10)年から4年で、琉球に関する日清間の紛議1879(明治12)年に米国大統領グラントが融和策を提案してから2年。日本はまだ国内が定まらず、海洋強国には遠く、大国である清に先島諸島を譲ろうとしていた時代である。
以下は1861,1871,1881に共通(詳細はLinkから実際の地図を参照して欲しい)
▼チャイナの国土がチベット、モンゴル、ウイグル、満州等と分けて描かれている。
▼南シナ海にチャイナとして描かれているのは海南島のみである。
下記は1881年の地図の全体図