Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

kaiunmanzoku's bold audible sighs

Be love Be peace Be harmony Be compassion Be joy

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.

「漢委奴国王印」の「委奴国」は倭が渡って来た国という意味の「うとのくに」だ。

 一般に「かんのなのわのこくおういん」と読まれている「漢委奴国王印」の話だ。

漢委奴国王印(からのうとこくおうのいん)」の「委奴国(うとこく)」は倭が渡って来たという意味の「倭度うと)」であり、「うのとこく」「うとこく」「うとのくに」等の倭一族が渡り住んだ土地の意味で読まれるのが正しい。という可能性がいっそう高まったと思う。

なお、一般に「かんのなのわのこくおう」と読まれている「漢委奴国王」の金印の読み方については、先に異議を唱えてあるので、この「うとこく」の読みについては下記の漢委奴国王」の金印の復習でを参考願いたい。

からのうとのくにのこくおうのいん」と読み、漢(から)からわたってきた倭族の国という意味だ。倭族の国というのが「鵜戸の国」に符合するはずだという意味である。

「漢(から)のが、漢からわたつみ(東シナ海)を、って、作った、そのである。

先のブログで委奴国」は鵜戸にあったとしたが、今回の古事記の「因幡の白兎の考察」で、稲を持った稲羽の*菟が和邇と呼ばれる丸木舟を連ねて日本へやってきたという寓意を発見して、「委奴国は鵜戸説」への少々の裏付けが出来、「委奴国はうとのくにと読む説」についての根拠は強化できたのではないかと思っている。

 

兎が度る(ウサギが渡る)という意味の「菟度(うと)」という言葉と、「和邇」が連なって「菟」がその上を渡り来るという話を、寓意を込めた神話や地名として未来に残そうとした日本人の祖先たちの遠大な意図を感じる。

それが、「うとのくに」という倭が渡ってきた国というを残したかった古代日本人の思いに対して、敬意を払うことが私の立脚点だ。九州各地に残る「うと」という地名と因幡の白兎の神話である。

 

f:id:kaiunmanzoku:20140108014736j:plain

++++++++++「漢委奴国王」の金印の復習++++++++++

誰もが中学の歴史で学んだ、志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印のことをおさらいしよう。「漢の倭の奴の国王(かんのわのなのこくおう)」と読むことになっている。

1.この金印は、天明4年(1784)に発見され、委奴国とは「後漢書倭伝」の倭奴国のこと。つまり、博多湾西側の糸島半島の、8世紀以後、怡土郡とよばれた「魏志倭人伝」の伊都国ではないかとされている。この場合、倭奴国は イト国と読むはずだ。

2.しかし、「倭奴国」をイト国と読まずに「倭の奴国(わのなこく)」と読 むという。理屈はこうだ。「魏志倭人伝」には、二つの奴国がある。一つは、博多に相当する奴国で、もう一つは、女王の支配する領域の一番南にある奴国。その南には狗奴国があると考える説だ。

その場合、「倭奴国」という3文字は、「伊都国」ではなく、「倭の奴国(わのなこく)」を表すとして、「漢の倭の奴の国王」と読むというのだ。

 

この 1.2.の考え方にはそれぞれ問題がある。

1は「倭奴国倭国の一番南の地である」という上記の 「後漢書倭伝」と矛盾する。

2は ふたつの「奴国」の存在の証明と「倭の奴国(わのなこく)」と読む不自然さである。

 

私は、「倭」を wo と発音する事実から次のように推測する。

倭奴国は、鵜戸にあった。古代日本で、倭奴は「うと」と呼ばれていた。

これは、「後漢書倭伝」の位置に沿う解釈であり、ふたつの「奴国」の存在を証明する必要がない。古事記日本書紀にも矛盾しない説明ができる解である。

 

「倭」と「委」は同音である。wo が 「倭」あるいは「委」として、用いられて不思議はない。後世になって「倭」や「委」が日本で「ワ」と発音されるに至って、元の音に近い「鵜」と言う文字が充てられるようになったのであろう。

「奴」も同様と考える。15世紀の沖縄で nu ではなく、to と発音されていたと推測される*ことから、トの音、あるいはトが変化したドの音が「戸」に代えられたのだろう。

当然、「後漢書光武帝本紀」の中元二年(57)正月に、使いを遣わした「東夷倭奴国王」と、「後漢書安帝本紀」の永初元年(107)の冬十月に使いを遣わした「倭国」とは同じ国の使節と解釈できる。

女王卑弥呼のいた「奴国」も同じ国だ。

倭奴国は、ウト国、うのとこく である。

以上は下記に述べている通り

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

2016年12月5日 『(から)のが、漢からわたつみ(東シナ海)を、って、作った、そのである。』の一文を追加した。

 *菟が和邇と呼ばれる丸木舟を連ねて日本へやってきたについては下記を参照願います。(2016年12月5日付記)

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

2016年12月30日追記:《「倭」と「委」は同音である。wo が 「倭」あるいは「委」として、用いられて不思議はない。》と上記に書いたが、「倭」から人偏(ニンベン)「亻」をわざわざ外し「委」として、「倭」を表現した、そのことにもっと注意を払うべきだろう。

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.