委奴を「woto」「をと」「うと」と読んでいたという私の説については先に述べた。
上のブログは、次のブログに引き継がれて私の脳内妄想をさらに掻き立てた。
その続きが、本日のブログだ。「ヤマト」と「クマソ」が兄弟(同族)であるということをいまに伝えている「海佐知と山佐知」の兄弟の物語の事だ。
海幸彦と山幸彦の対立は、海の倭度と山の倭度、つまりわたつみ(東シナ海)を渡って来た同族の倭族の間での戦いであった。その結果として、山の倭族(委奴)が勝利を収め、海の倭族(委奴)が敗北し隅(球磨)に追いやられた。
山の委奴は、後の神武天皇に繋がっていく。
つまり、
ヤマウト(山委奴)は、ヤマト(邪馬台)(大和)となり、
隅(球磨)に追いやられたクマウト(球磨委奴)が、クマソ(熊襲)となった
のではなかろうか。
参考:
なお、私には謬説を拡散し通説を批判する意図はない。「門外漢が考えるとこうなる」という観点から新しい視点を提供することが主目的だ。
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