【帰化のセレモニーについての提案】
儀式を通して日本人になったと実感していただくために
セレモニーは重要です。その中に入れるべきことを提案したい。
帰化式次第
①国旗、国歌への忠誠
②日本の歴史と慣習の尊重
③順法
④(以上を日本語で口述宣誓したうえ、)宣誓文に署名
⑤国旗掲揚と国歌斉唱
⑥天皇陛下の名によって帰化手続が完了したことを告げる
日本人なら皇室とのつながりが多少なりともあるというのが、我が国の特徴です。古代に帰化を許された人々は勅許を以って許可され住む場所を与えられたことが記紀に明らかです。
であるならば、⑥の手続きを儀式に組み込むことは非常に重要と考えます。
日本の歴史と伝統の粋を感得させ、儀式を通して日本人になったと実感していただけること間違いなしと思います。また、日本文化を破壊しようと考える不逞分子の流入を防ぐ一助にもなり得ると思います。
この手続きは、居住許可についても準用すべきだと考えます。
以下はご参考です。
(古事記)
又、科賜百濟國、若有賢人者、貢上。故受命以貢上人名、和邇吉師。即論語十卷・千字文一卷、并十一卷、付是人即貢進。〔此和邇吉師者、文首等祖〕
天皇はまた百済国に「もし賢人がいるのであれば、献上せよ」と仰せになった。それで、その命を受けて〔百済が〕献上した人の名は和邇吉師(わにきし)という。『論語』十巻と『千字文』一巻、合わせて十一巻を、この人に附けて献上した。〔この和邇吉師が、文首(ふみのおびと)の始祖である〕
十五年秋八月壬戌朔丁卯、百濟王遣阿直岐、貢良馬二匹。即養於輕阪上廄。因以阿直岐令掌飼。故號其養馬之處曰廄阪也。阿直岐亦能讀經典。及太子菟道稚郎子師焉。於是天皇問阿直岐曰、如勝汝博士亦有耶。對曰、有王仁者。是秀也。時遣上毛野君祖荒田別・巫別於百濟、仍徵王仁也。其阿直岐者阿直岐史之始祖也。
十六年春二月、王仁來之。則太子菟道稚郎子師之、習諸典籍於王仁莫不通達。所謂王仁者 是書首等始祖也。
十五年(404年)秋八月、壬戌朔の丁卯(6日)に、百済王は阿直岐を遣わして、良馬二匹を貢いだ。そこで、軽(現在の奈良県橿原市大軽町の辺り)の坂の上の厩で飼わせた。そうして阿直岐に任せて飼わせた。それゆえ、その馬を飼った所を名付けて厩坂という。阿直岐はまた、経典をよく読んだ。それで、太子菟道稚郎子は、阿直岐を師とされた。ここに、〔応神〕天皇は阿直岐に問うて言われた。「もしや、お前に勝る学者は他にいるのか」。答えて言った。「王仁という人がいます。すぐれた人です」。そこで上毛野君(かみつけのきみ)の先祖である荒田別(あらたわけ)と巫別(かんなぎわけ)を百済に遣わせ、王仁を召しださせた。その阿直岐は、阿直岐史(あちきのふびと)の始祖である。
十六年春二月、王仁は参った。そこで菟道稚郎子は王仁を師とされ、もろもろの典籍を王仁から習われ、精通していないものは何もないようになった。いわゆる王仁は、書首(ふみのおびと)らの始祖である。
主張したいことは「時の政府の都合や帰化したい個人の営利的都合による帰化ではないよ。誠心誠意これで貴方を正真正銘の日本人として我々日本人が認めるし、あなたも誇りをもって日本人と思ってよいですよ」を形にすることです。