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「日本の八咫烏が日本サッカー協会のシンボルだ」で必要かつ充分。

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上の産経を引用したのが次の文章

日本サッカー協会のシンボルマークにデザインされている3本足のカラスを日本神話の八咫烏(やたがらす)と記述している教科書に対し、協会が修正を求めていることが分かった。協会は「シンボルマークのカラスは、八咫烏であると同時に中国の古典由来のカラスでもある」と説明。教科書会社は記述の修正を検討している。

日本サッカー協会のマークが制定されたのは昭和6年。彫刻家の日名子実三(ひなご・じつぞう)氏が八咫烏をモチーフに、3本足のカラスがボールを押さえているマークの原案を作成した。八咫烏古事記日本書紀に登場するカラスで、神武東征で神武天皇が熊野から大和を目指す途中、大きなカラスに道案内され、即位したとされている。(略)

五輪やワールドカップ(W杯)の前には、協会関係者が八咫烏ゆかりの世界遺産熊野本宮大社和歌山県田辺市)などで必勝祈願を行っている。協会相談役の川淵三郎氏も「協会のマークは八咫烏」と繰り返してきた。

日本代表のエンブレムとしても使われている3本足のカラスは、日本チームを神武天皇のように勝利に導くシンボルとされている。(略)

しかし、サッカー協会によると、マークの由来は八咫烏「だけではない」という。

昨年発刊された「日本サッカー協会百年史」は、古事記日本書紀には八咫烏の足が3本だったという記述はなく、前漢思想書淮南子(えなんじ)」などにある三足烏(さんそくう)と混同されたと指摘。協会のマークの原案を作成した日名子氏もこうした事実を知っていたはずだとして、マークのカラスは八咫烏であると同時に、中国の古典に出てくる三足烏だと結論付けている。(後略)

 

協会の根拠はこの「旗章の意義」と言う文章だろう。

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要約すると

淮南子芸文類聚といった漢文の引用は「起承転結」の「起承転」の部分。 たいせつな主文は「球を釣へたる三足烏は八紘に光被すべき日本精神とわが日本蹴球界の統制指導を意味する」と書いてある部分で後は補足である。

 

【起】旗章は三足烏である

【承】『准南子』の精神訓や『芸文類聚』の五経精神を引用して三足烏が太陽の神であることを説明している。

そして

【転】神武天皇統制の時に皇軍を導いたのが八咫烏(という三足烏)であった、

というふうに話をもっていって、

【結】「球を鉤へたる三足烏は八紘に光被すべき日本精神とわが日本蹴球界の統制指導を意味する」と一番言いたいことを述べている。

 

つまり、漢文の淮南子五経正義の引用は【起承転結】の【起承】に過ぎないのだ。

要するに「シナの古典にも載っている烏だよ」と【転】の「日本の烏=八咫烏」を持ち出す前に言いたかったのがこの文章なのだ。

 

言い換えると、わざわざ文章の【起承転結】の【起承転】の部分で「日中の故事」を持ち出して「由来」を説明してはいるが、それもこれも「球を釣へたる三足烏は八紘に光被すべき日本精神とわが日本蹴球界の統制指導を意味する烏」と言いたいがためである。それがこの話の【結】として一番重要なこと。そのあとの文章は(その重要なことの)補足説明なのだ。こちらの補足のほうが「日中の故事」という「由来」より余程重要で、将来にわたって意味を伝えていくべき事柄と思う。


だから、起承転結の文章の【起承転】部分日中の烏の故事」やら「由来」を後生大事なこととしてわざわざ教科書の訂正を要請するほどに捉えるのは「政治的?意図」があると思われるだけ。みっともないのでやめるべし。というのが私の意見。

 

したがって、

「日本の八咫烏日本サッカー協会のシンボルだ」で必要かつ充分。

 

でないと、八紘一宇がどうこうとか余計な論争になる。当時*1の日本蹴球界から引き継ぎたいのはサッカーにかける情熱であって政治的立場ではないでしょう?

 

ちなみに、漢文の淮南子芸文類聚で引用している「日中」は「太陽の中」の意味で「日中の故事」ではないよ(笑)。

 

 

 

*1:1931(昭和6)年6月の大日本蹴球協会の理事会で旗章(シンボルマーク)の採用を決め、翌1932年の全国代議員会で彫刻家の日名子実三のデザインを協会旗に定めたが、1931年は満洲事変の発端となる柳条湖事件が発生した年であり、「満蒙は日本の生命線」というスローガンが流行語になった年である。翌1932年は満洲国が建国宣言した年。

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