kaiunmanzoku's bold audible sighs

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狗奴国は gauto koku と呼ばれ、「そねむ弟の国」の意味で、鹿児島県志布志市の地名「猜ヶ宇都」に名を残している通り、志布志市付近にあった

 

先に、「倭」を wo と発音する事実から次のように推測した。

倭奴国は、鵜戸にあった。古代日本で、倭奴は「うと」と呼ばれていた。

倭奴国は、鵜戸にあった。 沖縄方言から推測する事実:古代日本では「倭」を wo と発音していた - kaiunmanzoku's bold audible sighs


それでは、同じ文章に出てくる狗奴国を何と呼んでいて、それはどういう意味で、どこにあったかを推測してみた。


やはり、キーは中世沖縄方言である。

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女王之南又有狗奴國 以男子爲王 其官曰拘右智卑狗 不属女王也

女王の南、また狗奴國あり。 男子を以って王と爲す。 其の官を拘右智卑狗という。 女王に属さぬなり。
引用元:魏略(逸文4)翰苑卷三十

 

其南有狗奴國、男子為王、其官有狗古智卑狗、不屬女王。自郡至女王國萬二千餘里。

その南に狗奴国があり、男性を王と為し、官には狗古智卑狗があり、不属女王に従属していない。郡より女王国に至るには一万二千余里である。

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其八年、太守王到官。倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和、遣倭載斯、烏越等詣郡説相攻撃状。遣塞曹掾史張政等因齎詔書、黄幢、拜假難升米為檄告之。

その八年(247年)、(帯方郡)太守の王が(洛陽の)官府に到着した。 倭の女王「卑彌呼」と狗奴国の男王「卑彌弓呼」は元より不和。倭は載斯、烏越らを派遣して、(帯方)郡に詣でて攻防戦の状況を説明した。(帯方郡は)長城守備隊の曹掾史である張政らを派遣し、詔書、黄幢をもたらし、難升米に拝仮させ、檄文を為して、(戦いを止めるように)これを告諭した。

 

卑彌呼以死、大作家、徑百餘歩、徇葬者奴婢百餘人。更立男王、國中不服、更相誅殺、當時殺千餘人。復立卑彌呼宗女壹與、年十三為王、國中遂定。政等以檄告壹與、壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還、因詣臺、獻上男女生口三十人、貢白珠五千、孔青大句珠二枚、異文雜錦二十匹。

卑彌呼は既に死去しており、大きな墓を作る。直径は百余歩、殉葬する奴婢は百余人。更新して男の王を立てるが、国中が服さず、更に互いが誅殺しあい、当時は千余人を殺した。再び卑彌呼の宗女「壹與」を立てる。十三歳で王となると、国中が遂に鎮定した。張政らは檄文を以て壹與を告諭し、壹與は倭の大夫の率善中郎将「掖邪狗」ら二十人を遣わして張政らを送り届けたによって、臺(皇帝の居場所)に詣でて、男女の奴隷三十人を献上、白珠五千、孔青大句珠(孔の開いた大きな勾玉)二枚、異文雑錦二十匹を貢献した。

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狗奴という名前を「くな」とよませ、狗奴国は「くなこく」と言うのが通説だ。

しかし、私は倭奴を「うと」と読むと断言したので、「奴」を to と読み、「狗」をどう読むかを考察することとした。

 

沖縄方言を読んだときと同様にチャイナ語からいくつか候補を選び出して、魚狗と書き、yugouと呼んでカワセミの意味がある事をヒントに、gou, あるいは gau と読むと推測して、地名を検索してみた。

 

試行錯誤の末、二つの候補を見つけた

gauto    神合(がうと) 熊本県宇土市神合町
abegauto 猜ヶ宇都(あべがうと) 鹿児島県志布志市の地名

である。

 

熊本県宇土市神合(がうと)町を注目した理由は、宇土市にあって gauto という音を含んでいたこと。もう一つの鹿児島県志布志市猜ヶ宇都(あべがうと)で、注目したのは犬ヘンを持つ「猜」の字と ヶ宇都 gauto という音をふくんでいたことだ。「猜」は猜疑心の「猜」であるから、そねむ 疑う、ねたむの意味があり、「狗」と言う文字に通じている。

 

猜ヶ宇都(あべがうと)を発見した時、神合(がうと)はどうでも良くなった。こちらの方は倭奴国のもう一つの候補か倭奴国の広がりを示すと考えておけばよいだろう。

 

それよりも abegauto 猜ヶ宇都(あべがうと)である。

そねむ、疑う、猜疑する心の意味を持つ 「猜」の字 と

沖縄方言に ウットウ (弟 妹 年下の人)という言葉があることを併せて考えると

猜ヶ宇都(あべがうと)とは、「そねむ弟(うと)」を示すのではないか。

しかも、犬ヘンが付いていて「狗奴国」の」との関連を深く感じさせる猜ヶ弟で(あべがうっとう)と呼んで「奴」の1字を漢字で充てたのかもしれない。「狗奴国」が「猜ヶ宇都」になる過程で「あべ」の音が「狗奴国」に加わった経緯が不明だが、これは、

「狗奴国」→「猜倭奴?」→「猜宇都?」→「猜ヶ宇都」あるいは

「狗奴国」→「猜ヶ倭奴?」→「猜ヶ宇都」

 と変化していく途中で起きたことかもしれない。

 

邪馬台国の女王「卑弥呼」と狗奴国の男王「卑弥弓呼」の名前の類似性は、二人が姉弟の可能性や伯母(叔母)と甥の可能性を感じさせる。それが、倭奴(うと)という言葉と関係があるのかもしれない。「倭(wo)」の音が「自分たちの」であるとか「身内の」であるとかの意味を包含する音だと中世沖縄方言の考察から推測できるからだ。ウットウという現代の沖縄方言が、弟や妹、年下の身内を指すことにそれが残っている。

 

こう考えてくると、猜ヶ宇都(あべがうと)には、「猜疑心の強い年下の身内」という意味も含めて「狗奴国」の資格のすべての条件が満たされている。

 

以上をまとめると、

狗奴(がうと)国は、弟の国と言う意味である。しかも卑弥呼の弟の国である。女王の南の国である。鹿児島県志布志市の地名「猜ヶ宇都」に名を残している通り、志布志市付近にあった。

これが、私の結論である。日向三代卑弥呼倭奴国との矛盾も生じない。

専門家の意見を乞う。

 

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