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チャイナやコリアがいう「東海」は東の陸の果て、「南海」は南の陸の果てのこと

チャイナやコリアがいう「東海」は東の陸の果てのことで、「南海」は南の陸の果てのことだ。
海上勢力でない彼らにとって「海(カイ)」は境と言う意味の「界(カイ)」であり統治の及ぶ限界であった。中華思想文化圏の人々にとって文字通り「海」とは「界」と同義であり、文明地域に対する周辺の未開の地域との境界のことで、「陸の果て」「地の果て」「(中華文明の)治の果て」の意味である。東の地(治)の果てを「東海」と言い、南の地(治)の果てを「南海」と言うからこそ、中華文明の光や皇帝の威光は東西南北の四海の手前まで及ぶというわけだ。

 

そして「海外」とは、国の境の外という意味の「界外」であり、それは「洋」という漢字で表される。「海内」が四海の内(側)、国内という意味で用いられて「天下」という意味を持つのも中華皇帝の支配範囲が、地の続く限りで、地の果てまでであることを示している。


さて、「洋」だが、「洋」とは東洋、西洋と用いられるように外国のことである。
いまでも「洋行」と言えば国外に出る事だ。


「洋」と言う字には「羊」がいる。

羊を贄として沈め、海神に航海の無事を祈る儀式が行われていた。

実際に、冊封使を載せた船上から生きた猪や羊が生贄として海に投げ入れた記録がある。それは、「いずれの王も統治していない世界」、「文明の光の外の世界」に出たがゆえに、その世界(海の王国)の人外の王(海神)に敬意を表するためである。

つまり、「洋」とは、中華皇帝やその他の人間の王の支配の及ばないところ。あるいはその方角の国のことだ。

 

このように、尖閣に中華皇帝の統治は及ばず、日本海はコリアが主張する「東海」ではないという理由は漢字の成り立ちからでも自明である。地の果て、沿岸が「海」なのだ。

 

 

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